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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
42/208

【041】閣下、計画が脆くも崩れる

 リリエンタールは他にもう一人、ガイドリクスの身代わりを立てていた。


 その人物はアイヒベルク伯爵がマンハイムで捕らえ、連行してきた男――ケッセルリンクの部下として、リリエンタール殺害の準備を整えた人物。

 ケッセルリングはこの時代の王族の縁戚としては珍しくはないが、貴族以外を側に置くことを嫌う。

 そんなケッセルリングに近づくことが出来たことから分かるように、マンハイムの男は一応貴族の出で、マナー全般を問題ない程度に身につけている。

 更に彼はロスカネフ語をほとんど解さないが、アディフィン語は使える――ガイドリクスがアディフィン語に堪能なのは、上層部や王家の影(メッツァスタヤ)内では常識。

 身を隠すためにアディフィン語を使っているのではと思わせるのが目的。

 美声の部類に入るガイドリクスと、特徴のないマンハイムの男の声は違うのだが、意外と異国語を喋っていると、その言語を知らない者からすると、声質を聞き分けるのは難しいのも理由の一つ。


 そのマンハイムの男が更に本物らしく見えるよう、護衛を配置した。

 護衛を任されたのは国家憲兵の長アンバード少将――今回は(・・・)アーリンゲが就いた。

 このアンバード少将というのは、ロスカネフ王国がリリエンタールを招聘した際、部下がロスカネフ軍内で動けるように用意されたもの

 「国家憲兵長官クリステル・アンバード少将」という人間がいるわけではなく「国家憲兵長官クリステル・アンバード少将」という階級なのだ。

 そこへの配属はリリエンタールの一存。

 使い方も自由だったので、リリエンタールは作戦に応じて適宜に配置を換えることにしていた。

 最近は専ら優秀なサーシャがアンバード少将兼マルムグレーン大佐として動いており――サーシャに軍人の手ほどきをしたアーリンゲは、その成長を喜んでいた。


 そのアーリンゲが今回アンバード少将を拝命し――サーシャの帰還を心待ちにしながら、ガイドリクスの仮装をしているマンハイムの男を側におき「貴人扱い」し周囲に注意を払っていた。


 仮装呼びに関してだが、マナーを知っている没落貴族と、現役王族ではさすがに仕草に立ち居振る舞い、その他なにもかもが違い過ぎて、アンバードにはどうしても仮装にしか見えなかった。


 サーシャが帰ってきたら、次は(・・)アンバード少将の地位をフリオに譲り、アーリンゲはアイヒベルク伯爵の下で動くことになるので……と作業を続けていたところに「サデニエミ商会の違法取引」についての密告があった。


”あの商会、そんなことはしていなかった筈だが?”


 内容を聞き「たしかそれは、アールグレーンが行っている違法取引では?」と――アールグレーン商会の違法取引に関して、アルドバルド子爵側はほとんど掴んでおり、報告も聞いていた。

 裁判にかけることができるほど証拠を持っているのだが、王家を害そうとしない限り王家の影(メッツァスタヤ)は罪を曝くことはしないので、そのままになっている。


 これは悪を見逃しているのではなく、非合法な手段で手に入れた情報は、裁判には使わないという王家の影(メッツァスタヤ)と王家の掟に基づくもの。


 あくまでも彼ら(メッツァスタヤ)は影であり、表舞台には出ない。


 情報を知っているアーリンゲは「たしか、そうだった筈……」と思いながらリリエンタールの元へと出向き――彼の口から「アールグレーン」という言葉を聞いたので、思い違いではなかったと確認してから、密告を受けた憲兵とその家族を尋問すると同時に、サデニエミ商会の詳しい調査を行うことにした。


【アールグレーンに紹介された従僕が戻ってきておりません】


 密告者とその密告を受けて報告を上げてきた職員を海外へ――密告者だけではなく職員もアールグレーンに買収されていたので、全てを吐かせたあと始末し、職員は「海外出張」、密告者はシュレーディンガーが指揮を執っている臨床試験へ。


”臨床試験から帰ってきたやつはいないけどな”


 アーリンゲとしては帰ってこなくてもいい存在なので――ちなみに職員は海外行きだが既に死亡しており、死体となって異国へと運ばれている最中。


【従僕か】

【はい。人当たりの良さを買われたようです】

【ふん。従僕は逃げたな?】 

【はい。本来の計画では、従僕が用意した偽の証拠を、乗り込んだ憲兵が発見すると同時に、抵抗してきたサデニエミ邸にいた者たちを殺して口封じする手はずでした。ですが先日、予想もしていなかったタイミングで憲兵隊が現れたことで、従僕は作戦が失敗した、もしくは自分も口封じに殺されるのではないかと判断して逃げた模様です。普通の家に憲兵小隊が乗り込むことはありませんので、逃げるのも無理はないかと】


 アーリンゲの言う通り、憲兵隊が民間の一住宅を訪れるなど、よほどの重大犯罪を犯していない限りない。


【良い判断だ。従僕(それ)は放置しておけ】


 二人の会話を側で聞いているマンハイムの男――名目はガイドリクスとリリエンタールの話し合いなので、男は席に付いている。

 目の前にコーヒーと菓子が運ばれてきたが「毒殺の恐れもあるからな」とアーリンゲから伝えられているので、手を出す気になれない。

 更に男の前にあるコーヒーと菓子はリリエンタールの前に出されたもので、アーリンゲがすかさず交換した――以前仕えていた相手が殺害を企て、自分も携わったことのある、暗殺が身近にある相手が食べるはずだったものに手を出せるほど、男に度胸はなかった。


【アールグレーンをいかがなさいますか?】


 アールグレーンにもサデニエミにも、リリエンタールはなにも思い入れはない――のだが、片方の商会はクローヴィスの幼馴染み。

 家族ぐるみで交流のある商会が潰されたり、捕まったり、殺害されたりしたら、クローヴィスの人生に要らぬ翳りが生じる。

 クローヴィスを「クローヴィス」の状態で手に入れたいリリエンタールにとって、アールグレーン商会の行為は粛清に値する。


【またサデニエミに手を出すつもりならば、十の兵で襲撃するか】


 アールグレーンもロスカネフ王国一の商会なので、警備は雇っているが、


【指揮は誰が?】

【わたしだ】

【閣下の陣頭指揮用に、明日までに十()の兵を用立てろといわれたら、アイヒベルクも困るかと。ここがロスカネフでなければ、容易いことでしょうが】


 市街地に十万の兵を展開すると言い出す、天才の名を欲しいままにしている指揮官を相手にできるはずもない。


”十はおかしいと思ったけど、十万もおかしいだろ”


 二人の会話を聞いていたマンハイムの男は思ったが、もちろん何も言いはしなかった――兵の単位が万なのは、リリエンタールの軍階級が元帥なので、指揮兵力は万単位になるのは同じ幼年学校で学んだもの同士、わざわざ語る必要もない、彼らにとっては当たり前の常識でしかない。


【それで、ヘラクレス(アーリンゲ)リーンハルト(アイヒベルク)が苦労するような状態なのか?】

【苦労させなくても良いかと。従僕が逃げたことに不審を感じたサデニエミの主人が、交渉を打ち切る方向に舵を切りました】

【ほぉ……従僕の一件で、国内最大の商会との提携を、そこまですっぱりと切れるとは、商売の規模は小さいが、なかなかやり手だな。だからこそ、自分たちの違法を押しつけようと思ったのであろうが】


 人の心が読めると言われるリリエンタールには珍しく、全てを的中させていない――アールグレーンが曝かれそうになっている違法な商売を、サデニエミ商会がしているように見せかけようとしたのは、リリエンタールが推察した通り、サデニエミ商会にはやれる能力があるから。

 だが提携を切ったのは従僕の一件だけではなく、クローヴィスの一言も大きな要因だった。

 それと提携を切るのを後押ししたのはクローヴィスの弟デニス。

 彼は過去の蒸気機関車にまつわる犯罪事件から、従僕がなにをしていたのかをほぼ完璧に当てた――途中途中、かなりの脱線と、各駅停車でかなりの時間を要したが、それでも正解にたどり着けたのだから満点と言っていいだろう。


【はい。良い人選でしたが、図らずもエーデルワイス(クローヴィス)さまとサーシャが、計画を粉砕してしまったようです】

【そうか】


 二人がマンハイムの男を無視したまま話を続けていると、


「戻りました」


 クローヴィスを追っていたサーシャが戻ってきた。


「キース閣下から逃げ切れずに、申し訳ございません」

「気にすることはない。あれのことを考慮にいれていなかった、わたしの失態だ」


 リリエンタールの口から出た「失態」という言葉に、サーシャとアーリンゲは顔を見合わせ――マンハイムの男は変な空気を感じたが、ロスカネフ語が分からないので、黙っていることに徹した。


エーデルワイス(クローヴィス)さまは、特に問題なく帰途につかれました。もう少ししたらオルフハード少佐(わたし)に報告を持ってくる筈です。北方司令部に先乗りしていた、ヒースコート閣下の部下からいただいた命令書通り、エーデルワイス(クローヴィス)さまの行動制限を行います。憲兵をそのまま護衛にしますね」


 ガイドリクス軟禁は彼の副官クローヴィスを、溝鼠(ドブネズミ)たちがはびこる空間から遠ざける理由もあった。


「頼む」

「はい、お任せください」

「それと、あの娘がなにかしたいといったら、全て叶えて構わぬ。おそらくあの娘のことだ、ガイドリクスに会いたいと言うであろう……一応ここにもガイドリクスはいるのだが」


 リリエンタールが無表情のまま――アーリンゲがマンハイムの男を指さす。


「…………これは、さすがに騙せないかと。わたしが影武者を務めたほうが、まだ誤魔化せると思いますが」


 マンハイムの男は、相変わらず何を言われたのかは分からないが「え、これ、殿下? いや、ないです」と言われたのは感じとった。


古美術商(ヤンネ)ならば、上手くやるであろうよ」

「畏まりました。それでは失礼いたします」


 サーシャは車中で仕上げた報告書をアーリンゲに渡し、忙しくリリエンタールの前を辞した。


 サーシャに「あの娘を連れて来い」と喉まで出かかったが、執事に「会うなよ。サーシャに無茶言うなよ」と釘を刺されているので、リリエンタールはぐっと我慢した。

 テーブルに肘をつき指を組み、額を乗せて――


「閣下、そろそろ観劇の準備を……いつかエーデルワイス(クローヴィス)さまをデートに誘う際の予行だと思えば、気合いも入るのでは?」

「あの娘は、どんなオペラが好きであろうな」

「御本人に聞かれるのがいいかと。そういう会話ができるようになるといいですね」

「十()の兵で、アールグレーン邸を落とすよりずっと難しい」


 リリエンタールはクローヴィスに会いたい気持ちを我慢したのだが、


「あの娘が逃走? 捕らえた? 嘘であろう? あの娘を捕らえられるのはレイモンドくらいのものであろう……この場合、会ってもいいとは思わぬか? サーシャ」

「はい」


 クローヴィスの嘘には気付いたが、予期せぬ行動に一度しっかりと話を聞かねばという理由を付けて、会うことにした。

 クローヴィスの予期せぬ行動はこの先、リリエンタールの計画を頻繁に叩き壊すことになる。



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