【040】代理、人生最長の五分間を過ごす
数々の偽情報と共にガイドリクスは軟禁された――もちろん本物のガイドリクスではなく、ヤンネが影武者となって。
信憑性を持たせ、また疑わせるために、事情を知っている執事に面会に訪れるよう指示し、そして執事を追い返すように命じた――それをどのように受け取るかは彼ら次第。
同じく軟禁された第二副官はオースルンド――彼は傷病休暇を返上して、自分が偽っている場所に戻ってきた。
今だ銃創は癒えていないが他に人がおらず、また「軟禁状態って、基本、寝てるだけでいいから」ということもあり任務に復帰した。
辛いのは痛み止めを飲めないこと。
薬をすり替えられては困るということもあるが、鎮痛剤を飲んで意識がぼうっとしている時に何ごとかが起こった場合、対処できないと困るので、痛む傷を抱えてベッドに横になる。
傷を負っても動けるように訓練しているので――薬もある程度訓練しているが、どちらがいいか? を比較すると、やはり薬を使うと判断力が鈍る。
”薬で感覚が鈍くなるくらいなら、痛い方がましだからなあ”
この状況では憂いなくぐっすりと安眠はさすがに無理だが、ガイドリクスの影武者を務めているわけではないので、万が一殺されても死ぬのは「オースルンド」なので気楽――オースルンドは自分のまま死ぬのは苦にはならないが、影武者を務めている時は細心の注意を払い生き延びることを信条としている。
なので、今は彼にとっては死んでも「まあいいか」くらいの状況のため、幾分気を抜いて目蓋を閉じることができる。
この二人の軟禁場所は王族と庶民ということで、ヤンネは王宮の一室、オースルンドは軍施設の一角――両者を引き離したのは策。
それほど数の多くない王家の影内でリスティラ伯爵夫人が使えるのは更に数が少ない。
両者を同時に攻撃することは難しく、片側を害し外れた場合――どちらも外れだが――もう片方に連絡が届いては困る……など、さまざまな理由からあまり危険度は高くない。
もちろんアルドバルド子爵の手駒を減らすべく、どちらか片方だけでも片付けようとする可能性もある。それへの対処だが、特にない――ヤンネとオースルンドは守られる立場の人間ではない。彼らは対象を守りながら自らの身は自身で守らなくてはならない。
「殿下。大変なことになりましたね」
身辺がしっかりとしている人しか面会できないことになっているヤンネを訪れたのは、
「ア……ルドバルド」
彼の父親であるアルドバルド子爵。
「うん。喋り方は悪くない。華やかさもオースルンドよりはあるけれど、殿下特有の昏さと控え目なところがないね。なんかお前、殿下だけではなく他のに比べても軽薄なんだよねえ。わたしに似たのかな? でもまあ、短時間ならお前は他よりも上手く化けられるから、面会時間に制限がある軟禁状態の場合は、お前のほうがいいかもね」
ヤンネを見てアルドバルド子爵が、気を付ける点を指摘する。
「あ、はい。お戻りになられたのですか」
一応父親であるアルドバルド子爵の軽薄さは、装っているだけでは? とヤンネは思う。そもそもヤンネは父親が軽薄だと思ったこともない。
「うん。リヒャルトが急いで戻ってこいって言うから、本気で急いだ。船にもガンガン無線入れてくるし。こんなに大変な思いをしたのは、初めてだよ」
アルドバルド子爵はブリタニアスの首都に入るとすぐに現地諜報員に、首相の居場所を探らせ、その日の夜は自宅にいると知り、予約も取らずに自宅を訪れ、翌朝の女王との面談を取り付け、リリエンタールに言われたことを伝えて、すぐに帰途に就いた。
「それは、お疲れさまでした」
「一応教えておくけど、ブリタニアス海軍は自由に使えることになったよ。もちろん費用は全額向こう持ち。人間業じゃないって、こういうことを言うんだねえ」
「そうですか」
他国、それもロスカネフ王国とは比べものにならないほどの大国が、軍を動かす費用を払ってまで言うことをきく――アルドバルド子爵が言う通り、まさに人間業ではないと思うが、ヤンネにとってはアルドバルド子爵もリリエンタールも同じ人間の括りにはないので驚きよりも、すんなりと納得はできた。
ただこの軍を用立てる理由が「クローヴィスを口説くため」……と聞かされたときは、掛け値無しで驚いた。最初は軍隊で脅すのかと思ったが、脅すには大規模過ぎ――そのように使うのではないらしいことは分かったが、どのように使うのかについては聞かなかった。
聞いたところでどうにもならないということもあるが、下手に聞いたらとんでもない仕事を割り振られそうなので――ヤンネは厄介事を察知する能力は極めて高い。
「そこは”そうか。さすがリリエンタールだな”だろう」
「はい」
「わたしも軍をどう動かすのかはまだ聞いてないけれど、これからの情報収集は戦争のためのものになるんじゃないかな」
「はい」
「お前たちは戦争用の情報収集はしたことないから、良い経験になるだろう。心配しなくてもいいよ。わたしたちの情報があろうが、間違っていようが、リヒャルトにとってはどうってことないから」
一応父親の登場に驚き、そしてリリエンタールの策により、他国の海軍が自由に使えるという情報から立ち直り――
「リリエンタールだものな」
ヤンネはガイドリクスらしい返事をする。
「うん、良い感じです、殿下」
アルドバルド子爵はそういい、部屋を出ていった。
あまり人と会わないほうがいい状況なので、面会はこれが最後だろうと思っていたヤンネだが――
「閣下、お久しぶりです」
「少尉か」
”なんで来た!”
事前連絡もなにもなく、どこかに行っていたらしいクローヴィスが現れた。軍人らしく、軍服を着ているガイドリクスに対し「閣下」と呼びかけてくる美貌の少尉。
ヤンネはこの彫刻と見紛う精巧な美貌を誇るクローヴィスのことを、つい最近までほとんど知らなかった。
「途轍もなく美しいのがいる」というのはオースルンドから聞いてはいたが、それだけだった。クローヴィスが軍の有名人であるキースに会ったことがないように。
ヤンネが初めてクローヴィスを直接間近で見たのは傷を負ってからだが、額に大きなガーゼを貼り付けてなお芸術品のままで、ガーゼを外して見せてくれた赤く生々しい傷と黒い縫合糸――それもクローヴィスの美貌を損なうことはなく、ヤンネは驚きを噛み締めた。
リリエンタールの妻になると聞かされてから、情報を集めて頭にたたき込んだ――幸いなことに、クローヴィスは波瀾万丈などとはほど遠い、士官候補生時代からタイトルを根こそぎ奪っていたこと以外は、ごくごく普通の人間だったので、覚えるのに苦労はなかった。
だが――
「閣下。面会時間が五分なので、単刀直入に聞きます。閣下はエリーゼという女性をご存じでしょうか?」
”誰のこと? なんの話ですか? 皇妃さま”
イーナ関連について、ガイドリクスたちはヤンネに伝えていなかったので、何のことか全くわからなかった。
各々の持ち場があり、周囲に知らせずに動くこと自体は珍しいことではない。
だがクローヴィスを見れば「ガイドリクスは知っている」という眼差し――なにせクローヴィスはガイドリクス直筆のサインがあった命令書で動いているのだから、ガイドリクスが知らないなどとは思わない。
偽の命令書だったことや、イーナのことなど全く知らないヤンネは、クローヴィスの次なる言葉に賭けて、質問を質問で返す。
「何家のエリーゼだ」
”不信感を懐かないで……ください。バレたら処分される。あとエリーゼって名前、ありふれ過ぎて、分からんのです。お願いいたします皇妃さま、もう少し情報をくだされ!”
王家の影はロスカネフ王家の影。
当主や主が許可した相手以外に正体を明かすことは、原則許されない。
もしも知られてしまった場合は、明るくない未来が待っている。
先日ヤンネの元を訪れたアルドバルド子爵は、クローヴィスに関しヤンネになにも言わなかったので、気取られるわけにはいかない。
もしも気取られた場合、通常であれば、相手を殺して秘密を守る――ヤンネを含むアルドバルド子爵の息子たちは優秀なので、まず見破られることがないので、殺して秘密を守ったことはないが、年に数名がそういう状況になる。
今回はもっと条件が悪く――彼らはクローヴィスを殺すことはできない。
”リリエンタールの件がなくても、これは無理だ。最新鋭駆逐艦に小魚の背骨で立ち向かうくらい……完全に住む世界が違う軍人だ”
「イーナ・ヴァン・フロゲッセルの姉です」
”フロゲッセルの男爵か……あれ? 姉? ん……娘ってことか? 妹?”
「姉がいたのか?」
貴族の一員であり、職務上末端貴族まで目を光らせるヤンネは、その名前に覚えがあった。
「はい。貴族名鑑にも載っておりました」
「そうか」
「エリーゼ嬢に首都で評判の薔薇のクリームを贈ったのですが、彼女の好みかどうかと、贈ったあとで不安になりまして。閣下が令嬢のことをご存じならば、ご趣味を聞き、好みならそのまま、そうでなければ別の品でも贈ろうかと思った次第であります」
”なんで? どうして、殿下にド田舎貧乏貴族の老嬢のこと聞くの? え? どういうことだ? 殿下、エリーゼのことが好み?……そんなことはないだろう。フロゲッセルのエリーゼの噂なんて中央では一つも聞かない。なによりフロゲッセルなんて田舎貴族、殿下はご存じないだろう。じゃあなぜ、そこへ向かった? いや、向かわせた……”
「……」
話が全くみえないヤンネは、深く感じ入り考えているかのような素振りで誤魔化すことに決めた。
彼の人生においてもっとも長い五分間――見張りが面会時間の終わりを告げた時は、心から安堵する。
クローヴィスは最後まで軍人らしい態度を崩さずガイドリクスの身を心配し、部屋を出ていった。
「バレていないことを願う……」