【038】執事、後手の理由を聞く
リリエンタールはクローヴィスを口説くための手土産を用意すべく、次々と策を講じた。
途中でサーシャがキースに捕らえられてしまうという、本当のアクシデントがあったものの、キースを予定よりも早くに中央司令本部に呼び戻すことにし、急ぎその準備を整えた。
それらの策を側で聞いていた執事は――
「色々と聞きたそうな表情だな、ベルナルド」
一段落ついたリリエンタールにコーヒーを出し――もう一つテーブルの向かい側に置いて執事が座る。
「聞きたいことは一つだけですよ」
自分が淹れたコーヒーにミルクを注ぎ、スプーンでかき混ぜながら「真意」を尋ねる。
「そうか」
「あんた、なんで、わざと後手後手に回るような策を取ってるんだ?」
リリエンタールは一口コーヒーを飲んでから、
「大統領選挙に勝つため」
執事のほうを見ることなく、そのように告げた。
「…………」
「混乱を終息させてやれば、その手腕を尊敬するであろう?」
「自作自演?」
「わたしとしては、好きにやらせて、それを収めるのだから、自作自演ではないな。そしてお前が言ったように、自作自演であると思われないようにするために、後手に回るようにするのだ」
「?」
「言ったであろう? わたしは大統領になる。お前が言った通り、大統領選挙というのは、いわば人気投票だ。だから有権者を従える必要がある?」
「従える?」
「そうだ。逆らわないほうが得策だということを教え込む」
「あんたの有能さを有権者に見せつけるってことか」
「それもあるが、同時に有権者自身に自分は無能で無力だと、思い込ませる。自分が政治を執れば、国が滅びると思うほどにな」
ずっと視線をコーヒーカップに落としていたリリエンタールが顔をあげ、向かい側に座っている執事を見る――その視線は射るかのよう。
「あんたが人気投票で勝つって言った時、何言ってんだよって思ったけど、それならあんたが勝つな」
慣れぬ者ならば怯む視線だが、執事は慣れたもの――睨んでいるわけでもなければ、威嚇しているわけでもない、リリエンタールの普通であることを知っているので、これに怯えるようなことはない。
「まあな。それでお前が聞きたいであろう、諸々についても説明しておこう。まずはクリスティーヌのことだが、何故殺さないのか不思議なのであろう?」
王家を狙うリスティラ伯爵夫人クリスティーヌ。
問題のある人物を殺せばいいというものではないが、世の中には殺害するのが最良な害悪も存在する。
リスティラ伯爵夫人はその部類の人間だが、王家の影であるテサジーク侯爵一門は、どうしても彼女を殺害することができない。
王家の影と王家は、王とその子は殺さないという盟約のもと、主従関係が成り立っている。
それに関しては絶対、故の信頼。
表に出せない血を管理し、いざとなれば王家の血が途絶えるのを阻止するのも、彼らの役目。
王家の影が王家の影である以上、王の血を引くものを殺害できない――リスティラ伯爵夫人は王家の子で、事情がありテサジーク侯爵家が引き取った……とされている。
本当のことはテサジーク侯爵しか知らない――ただ「王の血を引く」ということになっている。
何にせよ、そういった盟約と事情により、能力が遙かに優れているアルドバルド子爵だが、妹であるリスティラ伯爵夫人に対して殺すという、容易い対処方法をとることができない――もっとも今ならば殺害することもできるのだが、父であるテサジーク侯爵がアルドバルド子爵を止めていた。
盟約では王とその子――正しく表記するならば、現王と現王の直系卑属一親等を殺害しないというもの。
現在の王はヴィクトリアで、彼女に直系卑属一親等は存在しない。
系譜というものにあまり詳しくないクローヴィスは、上官のガイドリクスを王弟で直系男子と認識しているが、実際は既に家督が姪のヴィクトリアに移っているため、ガイドリクスは王家としては傍系。
よって王家の影からも命を狙われる。
「そう。あんたなら、ロスカネフ王家の血筋だろうがなんだろうが、殺せるよね」
王家故の複雑な柵や、血の盟約などについて執事はどうこう言うつもりはないが、リリエンタールにはそのような制約は一つもない。よってもっとも簡単な手段を選べ、リリエンタールという男は、争い事に関しては最小限の労力で最大限の結果を出す――だからなぜ殺害しないのか、執事は気になっていた。
「たしかに、鉛玉で頭を吹っ飛ばせば終わりだ。クリスティーヌの部下たちも、閉じ込めて焼き殺せばいい。それは最も簡単な方法だが、だがそれでは、ただ敵を排除しただけで、わたしにとって何の利にもならない」
コーヒーを飲み終えたリリエンタールはカップをソーサーに、音一つ立てずに置く。
「利にならない……それをしないのは、大統領選のためってこと?」
「そうだ」
「あの女に騒ぎを起こさせて、手の施しようがなくなったところで、あんたがまとめるってこと?」
「それもあるが、第一はあの女に、わたしがあの娘を口説く際に邪魔な有権者、それらの失脚を誘うよう動いてもらう」
「失脚ねえ……」
「わたしはあの娘を口説く際に、結婚しても仕事を続けられ、その伴侶にわたしが相応しいとプレゼンテーションするのだが」
「あ、うん。口説き文句とは思えないけど、あんたはそれでいいと思う。それで?」
「有権者というのは、一定額納税している二十五歳以上の男性だ。この有権者の中には、女性の社会進出を嫌う者もいる。そいつらに法案を邪魔されるわけにはいかぬので、排除する」
「それをあぶり出すの?」
「あぶり出すのは、もう終わっている」
「…………」
”あんたさーいつの間にー”という執事の視線を受け、
「女王を認めさせる際にわたしが、拒否していた者たちのトップと交渉したのだ。そのトップの取り巻きは社会進出反対派と断じてよかろう」
以前そういう理由でここまで来ただろう……と。
「なるほど」
同じくコーヒーを飲み終えた執事は、空になったカップにミルクを注いだ。
「その辺りの者たちをまとめて、一時的に選挙権を失わせる。なに、奴らにも家族がいるし、全てを急激に没落させては国力が衰退してしまうから避ける。わたしが大統領になる前後だけ、力を失わせるのだ。それには、クリスティーヌを使うのが一番だ」
ロスカネフ王国の大統領選挙は直接選挙で、選挙権は一定の額を納税している男性にのみ与えられるのだが、この納税額を納めている人間は、中産階級の中流から上の階層に属している人間。
特に上流階級は女性の教育すら必要無いという考えのものが多く――リスティラ伯爵夫人はそんな彼らと同じ社会に属しているので、細いながらも繋がりがある。
「あ……ミルク飲みます?」
身分や階層に関して詳しい執事は、どの層を狙うのかがはっきりと分かった――ついでに、庶民の政界進出を阻む貴族たちの排除も、同時に進めることも。
「もらおう」
コーヒーを飲み終えたカップをリリエンタールが差し出し、少し腰を浮かせて執事はミルクを注ぐ。
「とりあえずクリスティーヌのことだが、いくらあれが隠された王族であろうとも……あれ自身、己が王の子ではないことを忘れている」
現在の王はヴィクトリアで直系一親等はいない。
「王族っていうのは、色々忘れるもんなんですよ」
「そうかもしれんな」
「それで、クリスティーヌを排除する方法って?」
「クリスティーヌの出方を見るが、わたしとしてはクーデターが起これば最高だな。もちろん考えを改めて、何もしなければ、テサジークに配慮してやるが」
テサジーク侯爵と息子のアルドバルド子爵の唯一の違いは、王家に対する忠誠心。両者とも持ち合わせているのだが、アルドバルド子爵のそれは父親が持つものと、また違っていた。
テサジーク侯爵は違うことを理解し、その違いこそがこの先生き延びられるものだと分かっているが――古めかしい王家に対する忠誠心を捨てられないでいる。
「起こすように仕組むんだろ?」
「わたしは仕組まぬよ。ただ、クーデターを起こせるような隙を作ってやる。わたしが国内にいては、動けないようなので、良い時期にロスカネフ王国を離れてやるつもりだ」
「何処に行くつもり?」
「フォルズベーグだ」
「近所過ぎる! わたしだったら、あんたがフォルズベーグ行ったくらいじゃあ、動かないよ!」
フォルズベーグ王国は隣国だが、元ルース帝国の領土で見たら、隣の都市程度の距離。アディフィン王国の北南のほうがまだ距離がある――東西で10000kmもあるような国を統治する筈だった男が、最大でも700kmくらい離れたところで、手が及ばないと考えるほうがどうかしていると執事は思う。
「クリスティーヌは動くであろうよ」
だがリスティラ伯爵夫人は動く。
彼女にとっての隣国とはかなりの距離がある――人によって距離というものは違う。リスティラ伯爵夫人はリリエンタールのことは見くびっていないが、己の尺度で考えてしまうのは仕方のないこと。
「動いちゃうんでしょうね。それでフォルズベーグに行く、表向きの理由は?」
「ウィレムの即位の際、聖職者として立ち会う」
「ふーん。あの王子を玉座に就けるんだ」
「玉座には就けてやる。あとは知らぬが」
執事は知っている。勢いがあれば即位はできるが、勢いで統治はできない。
統治には多くの人間が必要だが、リスティラ伯爵夫人の周囲に手足となり統治を助けられるような者はいない――
「…………あとって、どうなるの?」
執事はフォルズベーグ王国の王子ウィレムの周囲に、そういう人間がいるのかどうかは知らないが、国王が誰も立ち入らせるなと命じ、己が謝罪している場にのこのことやってくるような王子の周囲に、統治の助けになりそうな側近がいるとは思えなかった。
「共産連邦が攻めてくる」
「共産連邦に対する同盟を組んでるんだから、やつらが攻めてきたら協力しなくちゃ駄目じゃない。あ、でもロスカネフにあんたがいたら、リヴィンスキーも攻めるの止めるかも知れないな」
「急先鋒のマルチェミヤーノフがいるから、共産連邦の策は実行されると思っているが、ヤンヴァリョフが発狂してマルチェミヤーノフを殺害する可能性も視野には入れている」
「共産連邦が来なかったらどうするの?」
「内乱を仕立てる。そうなれば、共産連邦も黙っていられない。内乱という好機を逃すなど、できるわけがない」
一つに纏まっていても攻め滅ぼせる国が、内乱で混乱に陥っていたら、見逃す筈がない――不凍港を得るためならば。
「そういうお国柄でしたね。港を得るためにって南下するし、西方に攻め込むし……逃すわけないね。でもさ、内乱ってどうやって? それより、フォルズベーグ国内にいる国王や王太子は?」
「そろそろフォルズベーグ王家の主要王族は死ぬ。異国に逃れていた第二王子の帰還が待たれる。あの娘の額に傷を付けた国など、滅びてなくなればいい! いや、わたしがなくす!」
コーヒーを飲み終えたカップにミルクを注ぎ飲んでいる血色の悪い男が、やや感情的になるのは珍しかった――ワインでも飲みながら、話の続きを聞こうと執事が立ち上がると、ドアがノックされ、
「閣下、ご報告が」
ロスカネフ軍に入り込んでいるアーリンゲが現れた。
「どうした、ヘラクレス」
「密告があったとの報告が。なんでもサデニエミ商会が違法取引をしているとか。証拠もあるとのことですが。わたしが調べている範囲では、サデニエミ商会にはそんな形跡は全くありません」
報告を聞いたリリエンタールは、
「どこからの情報だ?」
「確かな筋としか申していないようです」
「では歌わせろ。短時間で。拷問しても構わぬ。ああ、それの家族を攫ってこい。同じ目に遭わせてやれ」
早々に偽情報だと断言した。
「御意」
「おそらくそれは、アールグレーンの関係者からの情報だと歌うであろう」
「御意。本日中にはご報告いたします」
「ロドリックを持っていっていいぞ」
アーリンゲが下がったあと、執事は当初の目的通りにワインをグラスに注ぎ、
「分かってるのに、吐かせるんだ。ヘラクレスも拷問なんてしたくないでしょうに」
一つをリリエンタールに差し出す。
「念のためにな」
「ロドリックまで貸し出すとか、あんた、本当に容赦しないんだね」
「スパーダではないだけ、いいだろう」
「それはね……そろそろ帰ってくるころですね、スパーダ」
受け取ったリリエンタールはグラスを掲げ、軽く乾杯してから飲み干し――イレギュラーについて執事に軽く説明をした。
それが正しいかどうか――アーリンゲは告げた通り夜が更ける前に戻ってきて、おおよそリリエンタールが語った通りのことを報告した。
「相変わらず、あんた凄いけどさ……あの娘さんのことは?」
「それについては、サーシャが帰ってきたら対策を練る」
「そう…………サーシャとあの娘さんは、年も近いからいいと思いますよ……」
”こっちの後手は、作戦じゃないな……仕方ないけど”