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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
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【037】箱庭が綻びるとき/01

「少尉。リリエンタール大将閣下より、火急の命が下されました」


 ブルーノとクローヴィスの見合いを阻止するべくサーシャが投入した憲兵隊――これが意外な方向で乙女ゲームの世界の一端を綻びさせた。


 クローヴィスが憲兵小隊を率いてサデニエミ家を去ったあと、


「いやあ、凄いな」

「そりゃあ、見合いも断るよなあ」

「殿下やリリエンタールから、直接命令下される立場なんだもん」


 ホームパーティーに参加していた、クローヴィスを知る面々は口々にブルーノを慰めた。


「初任から王弟殿下付きだからなあ」

「将来を嘱望されているって、イヴみたいなヤツのことなんだろう」

「馬術と射撃、凄かったもんな、デニス」


 同級生から話を振られたデニスは違う方向を見ていて、反応しなかった。


「どうした? デニス」


 窓の外を眺めていたデニスの肩を同級生が叩くと、


「あ、ううん。なにも。えっと、何の話?」


 すぐに視線を戻し――


「イヴの射撃と馬術のがすげえって話」

「うん、姉さんのそれは凄いね」


 何ごともなかったかのように話題に混ざり、ブルーノの見合いを兼ねたホームパーティーは無事終了した。


「後日、改めて残念会開いてやるからな」

「ありがとよ!」


 自分の見合いメインのホームパーティーに参加していた同級生たちを見送ったブルーノ。ホームパーティーが終わる前に父親に「ポールさんにも同席してもらって、話したいことがある」と伝えていたので、すぐさま父親のコンラッドに話すべく二人が待つ書斎へと急いだ。


「イヴが?」

「はい。詳しいことは言えないが、今日中にでも提携を切れと」


 息子(ブルーノ)にそう言われたコンラッドは、イヴの父親であるポールと顔を見合わせ、互いに首を捻る。


「いきなり言われてもな」

「俺も驚いたけど……相当マズイ感じだった」


 サデニエミ商会のトップとしては、やっと提携を結びかけた国内最大の商会アールグレーンと、はっきりとした理由もなく提携を打ち切れと言われて、即座に頷くのは難しい。


「わたしは娘を信じるだけでいいから、アールグレーンとの契約は結ばないことにするが……」


 幸いポールはアールグレーン商会の一部門から仕事を持ちかけられていた段階で、まだ本契約どころか仮契約もしていないので、断るのは簡単だった。


「ブルーノ」

「分かっているよ父さん。でも、イヴの喋り方が物騒だったんだ。”最悪、商会は潰してもいい。いざとなったら全てを捨てて、命を守れ”って」

「それは……」

「イヴは無用に人を怖がらせるようなことは言わないし、人を貶めるようなこともしない」

「確かにそうだが……」 


 コンラッドとしては息子が言っていることも分かる。

 受け入れてくれないことは分かっていたが、それでも見合いを組み、ひょんなことから成婚に至ったとしても、クローヴィスならば問題ないと言い切れる人柄であることは知っている――だからこそ見合いをポールに申し込んだ。

 それでも決断するのは難しい。

 ブルーノはもどかしさを感じつつも、ブルーノ自身はっきりと理由を教えてもらえたわけではないので、今ひとつ強く押せない。

 クローヴィスの父ポールは、娘を信じているが、無関係な商会の取引に関与する理由にはならない。

 そんな中、ドアをノックする音が響いた。


「ちょっと話があるんだ」


 ノックの主はデニス――クローヴィス一家はポールの話が終わるまで、待っていた。


「済まないデニス。いま、それどころじゃなくて」


 ドアを開けて断りを入れるブルーノに、


「これもかなり厄介なことなんだ」


 デニスはドアの隙間に足を押し込み、背の低いブルーノにのし掛かるようにして、


「おじさん、アールグレーンに嵌められてる可能性がある」


 自分たちの話し合いの内容が聞かれていたのか? と、三人は焦ったが――


「三人もアールグレーンについて話をしてたんだ」


 ドアを開け放ち、部屋との境に背を預けたデニス――そのデニスの指示で、三人は書斎のカーテンを閉め、明かりを灯した。


「それでアールグレーンが何を?」

「出迎えてくれた従僕がいたよね」

「ああ。アールグレーンの紹介で……」


 クローヴィスをも出迎えた「見目のよい従僕」は、アールグレーン側の紹介で雇った男だった。

 業務提携の話が出ている、国内一の商会からの推薦となれば、ブルーノたちサデニエミ側も疑いはしない。


「コンラッドおじさん、彼に用事を言いつけた?」

「いいや」

「やっぱり。彼、逃げたよ」

「逃げた?! どういうことだ? デニス君」


 アールグレーン商会に対する不審がコンラッドの胸中に一つ積み上げられる。

 デニスは三人が何について話していたのかは知らないし――気にする性分ではないが、目の前にある危険を見て見ぬ振りをするようなことはしない。


「あの従僕、姉さんを迎えにきた憲兵をずっと見ててさ、憲兵が去ったあと、随分と辺りを気にして庭の裏手に回ったんだ。そこから逃げたみたい」

「まるで従僕のこと、ずっと気にしていたみたいだが……お前、そういうヤツじゃないだろ、デニス」


 ブルーノの言い分はもっとも――同じく室内にいるポールとコンラッドも、同じ意見だった。

 なぜ従僕などという存在に注意を払っていたのだ。お前が注意を払うのは蒸気機関車だけだろう……と。


「母さんが見張れって言ったんだ」

「ライラさんが?」

「あれは碌な男じゃない。姉さんやカリナに話し掛けようとしたら、用事を言いつけて遠ざけなさいって」


 従僕からそんな気配を感じたことのないコンラッドは少しばかり困惑したが、考えてみると妻のアリシアも、何となく嫌っており、あの従僕を雇ってから日帰りできる距離に嫁いだ娘も顔を見せていないことに気づいた。


「母さんって結構、犯罪者を見抜けるんだよ」

「ん?」

「ほら、俺の実父って弁護士で、母さんは事務所の手伝いとかもしてたから、犯罪者とも会うことが多くてさ。犯罪者って言っても、国家権力にお世話になるような奴らじゃなくて、示談ですませるタイプのやつ」

「確かに、些細な額の横領なんかは、騒ぎにしないな」


 ブルーノも商会の跡取り。

 騒ぎを大きくして横領犯から全てを取り上げ――失うものが何もなくなった人間の恐ろしさは、よく教え込まれている。

 まだ幼い頃は「そういうのは、よくない!」と息巻いていたが、責任を追う立場になって、それらを我慢して飲み下せるようになった。


「母さんが言うには、あの従僕は前科はないかもしれないけど、犯罪は犯してるって」

「彼は紹介……いや、続けてくれ、デニス君」

「はい、おじさん。きっとコンラッドおじさんや継父(とう)さんは、商売に関する犯罪者なら見抜けると思うんだけど、母さんが言うにはあの従僕は、ジゴロの類い。女を食い物にするタイプ。きっとコンラッドおじさんも、お姉さま方の婿として見たら首を傾げたと思うけど、ただの使用人だからね」

「それを言われるとなあ」


 後でコンラッドが妻のアリシアに従僕について尋ねたところ「業務提携で、アールグレーンの問題児を押しつけられたと思ったので、なにも言わなかった」と返された――たしかに商会としての力では、アールグレーンに及ばない。そういう力関係で取引先ともなれば、問題児を押しつけられることもある。


「母さんいわく、雰囲気がそうなんだって。これに関しちゃ、女性の勘を甘くみちゃいけない。……姉さんは怪しいけどさ」


 その従僕に出迎えられたクローヴィスは「商売が繁盛していていいね!」くらいにしか思っていなかった――クローヴィスは殺意やそれを含む視線には敏感だが、けちくさい小人犯罪者など視界にも入らない。


「イヴは……まあ、お前やライラさんが居るから大丈夫だろ」


 ブルーノはイヴとの付き合いそのものはデニスより長いので、イヴがそれらに鈍いことは知っている。


「まあね。それで、コンラッドおじさん。もう一回聞くけど、従僕に用事は?」

「言いつけていないし、出かけるとも聞いていない」

「アリシアおばさんに確かめてもらったけど、使用人の誰も従僕から外出するとは聞いていないって。これで無断で出ていったことは確かだ」


 サデニエミ家は裕福なので、使用人たちも余裕があり、かなり自由に出かけることはできるが届け出は必須。

 出かける先はプライベートを尊重して聞かないが、帰宅時間は書かせる――施錠の関係でそこは必要だった。


「で、あの従僕、動きがおかしいんだ。なんか、逃げる人特有の動きだったから、変だな……って」

「逃げる人特有?」

「犯罪者の逃走に蒸気機関車って結構使われるんだ。そう言うヤツって、訓練でも受けたのか? ってくらい、同じ動きするんだよね」

「そいつらと同じだった?」

「そうだね。でもね、ちょっと違うんだよなあ」

「デニスが言ってることが分からない」

「あのさ、なんであの従僕、逃げたと思う?」

「なんでって……」


 デニスに聞かれたブルーノは「これ」といった理由が思い浮かばなかった――言われるまで、従僕に不審を懐いていなかったこともあるが、それを差し引いても、欠けたピースを見つけられそうになかった。


「俺はあの従僕は、憲兵を見て逃げたんだと思う」

「悪いことしてるから!」


 デニスの提案に乗ったのだが、


「それはおかしいんだ、ブルーノ」

「ん?」


 ブルーノの答えにデニスは軽く首を振って否定する。


「まずさ、悪いことをしていない人は、憲兵が来ても逃げないよね」

「自分じゃないと思うし、いきなりのことで動けないな」

「それ」

「?」

「従僕は咄嗟に動けた。これだけで、あの従僕が普通じゃないのが分かる。実際、駅のホームでも、犯罪とは無縁の人は、警邏が大声を上げて走ってきたら、足が止まる……固まってるって言ったほうが正しいかな」

「なんとなく分かる」

「だからこそ憲兵を見て逃げた従僕は怪しい」

「俺より犯罪者を見慣れているデニスがそう言うんだから、正しいと思う」

「じゃあ、なぜ従僕は逃げたのか」

「過去の犯罪を曝かれそうになったから?」

「その犯罪はなんだと予想する? ブルーノ」

「……女を騙した……罪……」


 喋りながらブルーノにも分かってきた。そしてコンラッドやポールも――憲兵は基本軍内部の犯罪調査を行っている。

 その彼らが外で調査を行うのは、相当な大事(おおごと)――女性を騙して金品を搾取した程度では動かない。


「…………」

「姉さんが言ってた。憲兵が外に向かって動く時って、内乱罪や外患誘致罪など、法定刑が死刑のみの重犯罪が主なものだって」


 法律に詳しくないブルーノは、内乱罪や外患誘致罪というものの全容を把握できなかったが「死刑のみ」という怖ろしい単語はすぐに理解でき――背筋に冷たいものが走り、振り返って父親の表情を窺った。

 父親もブルーノと同じ……どころか、もっと酷い表情だった。


「それで少し話は戻るんだけど、従僕は逃げたけどちょっと違う……って言っただろう?」

「ああ」

「犯罪者は自分を捕まえにきたと思うと、すぐさま逃げるんだけど、従僕は憲兵の様子をうかがって、それから逃げた。なにをうかがっていたのかは分からないんだけど、自分を捕まえにきたんじゃないことくらいは分かる程度に観察してたんだ。変だよね」


 憲兵がやってきたことを確認した直後、弾かれたように逃げたのなら、更に言うならば軍服を着てやってきたイヴを出迎えてすぐに逃げたのならば、従僕本人の問題だろうと考え、彼らはアールグレーンそのものを疑わなかった。


「確かに変だな……アールグレーンにでも報告に走ったのか?」

「それもおかしいだろ。単に”少尉お迎えに上がりました!”な小隊が来たことを、報告しに向かう必要ある? なにより不思議なんだけど、なんでブルーノとアールグレーンで見合いにならないの? アリシアおばさんに聞いたら、そういう話は聞いてないって。実際なかったんですか? コンラッドおじさん」


 業務提携の一環として、婚姻政策をとるのはごく普通のこと。


「特に提案されなかったが」


 コンラッドは跡取り息子ブルーノの嫁ではなく、従僕を紹介された――


「母さんとアリシアおばさんに聞いたら、アールグレーンの二女は婚約者もいなくてブルーノと年も近いって。名前は聞いたけど、忘れた!」

「うちのような規模の商会に、本家の娘を嫁がせる気にはならなかった……分家でもいいか。それにしてもデニス君、よく業務提携と婚姻について知っていたな。あまり興味がない分野だと思ったのだが」

「大陸縦断貿易鉄道計画の際、神聖帝国皇子とルース皇女が条約提携のために、政略結婚したんです。その二人の間に生まれたのがリリエンタール閣下なんですよ! ワルシャワ、あるいはエーデルワイス計画とも言われていまして。バイエラント大公ゲオルグとイーゴリ皇子、イーゴリ公この人は皇子と呼ばれているのですが、実は……」


”親父のばか! デニスにその話題が出る話題を振るなよ! 俺もどこにそれが潜んでいるか分からないけど!”


「デニス、いまは従僕について。その話は片付いたら、じっくりと聞かせてもらうから」


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