【036】少将、苦虫を口に放り込まれる
サーシャが用意した朝食を取り――副官リーツマンが運転する迎えの車に乗り込み北方司令部へ。
運転席のリーツマンが「昨日の綺麗な女性は……」と聞きたがっているのは分かったが、キースは無視した。
女装したリリエンタール直属の部下など、どう説明しても面倒になるだけなので、無視するしかないのだが。
「司令官閣下、リリエンタール閣下から無線が入っております。急ぎとのこと」
司令部に到着すると、エントランスホールで待っていた無線技師長を務めている士官直々に報告を受け、司令官執務室の一つ、付随している司令官専用の無線室へと向かった。
「中央司令部?」
キースは司令官専用無線室に到着するまで、リリエンタールは自宅から――サーシャ絡みの私用なので、自らの居城からだろうと考えていたのだが、
「中央司令部の無線技師長でした」
だが予想もしていなかった場所からの無線だった。
”公用無線……なにを命じるつもりだ?”
なにごとかに巻き込まれるのだろうとは思ったが、それを避けたいと考えるようなキースではない。
技師長に無線を取り次がせ、
「久しぶりだな、キース」
無線特有の荒い音声ながら、リリエンタールとすぐに分かる尊大な話し方に、頬が幾分引きつりそうになったがそれを堪え、
「そうですね、リリエンタール閣下」
早く用件を言えという気持ちを抑えながら、リリエンタールの言葉に耳を澄ます。
「ガイドリクスの身辺に問題が生じ、中央司令本部の司令官を務めることが困難になった」
「殿下はご無事なのですか?」
「無事といえば無事だが、わたしが無事と言ったところで、お前は信用するまい? キース」
キースは無線に入らないようマイクを手で覆い顔を背けて、軽く舌打ちをしてから、
「そんなことはございません」
思い切り”当たり前だろ”と――だがそれを口に出すことなく、キースは会話を続ける。
「ガイドリクスが務めている総司令官の任が、空白になる。副司令官に替わりを務めさせようと思ったのだが、ガイドリクスが不安だと言い出してな。まあ軍事を知らぬ女王に実権を与えるのを不安視するのも仕方ない」
話の流れから、リリエンタールが自分に総司令官代理を務めるよう持ちかけていることくらいはすぐに察したが、
「軍の規則は規則です」
キースはそれをはねつけた。
”駆け引きとか姿勢とか……面倒くせえなあ”
それが無意味であることなど、キースも分かっている。
なによりキース自身が、軍事の素人である女王ヴィクトリアに、代理として軍の全権を持たせたくはない。
平素であればまだ我慢できるが、現在首都は専制君主制から立憲君主制に国体が変わったことで、社会が不安定な状態という報告が毎日届いている。この北方司令部が置かれている地方都市イルガにも、その空気は蔓延している。
特に首都は一触即発……とまではいかないが、専制派と立憲派が反目し合っている。
そのような状態のときに、自分で責任を取ることのない女王が、総司令官の代理として立ち、間違って派兵を指示して、取り返しのつかないことになってしまったら――ロスカネフ王国には王族を罰する法律はない。
それは立憲君主制になっても同じこと。
よって軍事行動で大失態をおかした場合、軍部の高官が替わりに罪を被ることになる。
キースとしてはそれはなんとしても避けたい――そんな人物を、総司令官不在時に穴を埋める副司令官にしているのが間違いだと言われそうだが、古来より王国の軍権は王家のもの。
故に専制君主国家において、王族が軍権を掌握しているのは、おかしなことではない。
むしろ女王ではなく、叔父で軍事を理解しているガイドリクスを軍のトップに就けていたのは、前時代的な専制君主国家としては異例のこと。
数日前に国体が移行したばかりの国家において、致し方ないこと――だが、なんにせよ、不安定な社会情勢下で女王に軍権が渡るのは避けたい。
”社会情勢が不安定だからとか言ってくれるなよ、ツェサレーヴィチ。あなたが首都にいて、それはあり得ないんだからな”
本来であれば首都の情勢不安など、ものともしない人物がいる。
それはイレギュラーであり、実際動いてくれるかどうか分からないし、なにより易々と預けるわけにはいかない。
よって国防の一端を担う公僕として、キースはリリエンタールの提案を受けるしかないのだが、上に立つ者として規則を易々と破ることもできない。
無線の相手が総司令官のガイドリクスであれば、キースはすぐに引き受けたが、
「確かにな」
相手が軍の部外者であるリリエンタールでは、即返事を返すことはできない。
”なぜ殿下ではないのだ?”
問題なのは、リリエンタールが連絡をいれてきたこと。
こうなることは、リリエンタールもガイドリクスも分かっている。なによりこの二人はキースの性格も理解している――
「まあ、わたしが言えることは、わたしがロスカネフ王国を離れている間に、問題が生じて、ガイドリクスが軟禁されることになった……ということだ」
「殿下が?」
王族が軟禁――
そんな大事であれば、情報が手に入った時点でキースの元に届けられる筈――だが、実際情報は届いていない。
「問題があるので、あまり口外して欲しくはないが」
”嘘をつけ。ならば、無線などという第三者が傍受できるような通信で喋らないだろう……なにを企んでいる”
「殿下はご無事なのだな?」
「ああ。だがその目で見なければ、信用できまい? キース。そしてその目で見るには、総司令官代理を務めるしかない……ということだ」
「…………」
「副司令官は、お前を中央に召還することに関して、前向きだ……副司令官が受けない理由は、分かるであろう?」
女王が会いたがっているぞ――
”叔父である殿下が軟禁されているというのに……本当にそう言ったのであれば、軽蔑する……かといって、ツェサレーヴィチの策というのも考え辛い”
「ちっ!」
今度はマイクから顔を背けず――舌打ちしたあと、キースはその任を拝命した。
「お前だけではなく、子飼いの部下も連れてくるように」
「子飼いなどはおりませんが」
「そうか。言葉の選択が悪かったな。事務方、実務方、参謀方を連れてくるように。北方にはヒースコートを向かわせる。早急にくるように」
リリエンタールは無線を切り、
「……」
キースは無線のマイクを眺める。
「閣下……」
リーツマンが「どうします」と――来いと命じられたら何処へでも向かうのが軍人。キースは直属の部下を呼び出し、代理として中央へと向かうことを告げた。
「中央に召還されるとは、思ってもおりませんでした」とは、北方司令部の実働部隊を指揮するアーレルスマイアー大佐。
「解任されるとおもい、引き継ぎ書類を作っていて良かったです」とは、北方司令部の事務の責任者ニールセン少佐。
「殿下が軟禁という情報は掴めず……面目ございません」とは、北方司令部の情報参謀担当のシヒヴォネン少佐。
キースは命じられた通り、この三名を連れて行くことにした。
ちなみにこの三名は、キースより年上で、貴族たちが上官に大勢居た頃から在籍しているため、政変があれば時期ではなくとも異動がかかることを心得ている。
尚且つキースは貴族士官に嫌われていることも知っているので立憲君主制になったことが、キースに良く作用するなどという楽観視はせず、全員「気分で異動」に備えていたため、すんなりと異動することができた。
キースが思うに他の三司令官や、その部下たちは異動に関しては北方ほど深刻に、そして自分のものとして捉えていないだろうから、これほど急な異動には対応できなかったに違いない。
「そこまで見越していたのかどうか……」
司令官とは思えぬ身軽さで、他の部下たちよりも先――キースは無線を受けたその日のうちに、副官のリーツマンと、護衛としてラーネリード少尉率いる小隊を連れ、首都行きの蒸気機関車に乗り込んだ。
他の面子だが、実働部隊を率いるアーレルスマイアー大佐にヒースコートが到着するまで北方司令部を任せ、他の二人は準備が出来次第、首都へ向かうよう指示を出した。
王弟の軟禁という事態を受け警戒はしていたものの、特に何ごともなく首都の中央駅に到着した。
司令官とは思えない少人数でやってきたキースを出迎えたのは、
「久しぶりだな、ヒースコート」
「ええ。一人くらい妙齢の美しい女性兵士を伴って来てくださるかと思ったのですが、当てが外れましたな」
「そういうお前も女性兵士を一人も伴っていないではないか」
「女性を伴ってお出迎えしたら、ただの嫌がらせですからな」
ヒースコートだった。
「本来でしたら駅長室を借りて話すところですが、ただ今改修工事中とのことでして、貴賓室を借りております」
ヒースコートはキースが乗ってきた蒸気機関車で北方司令部に向かうので、燃料補給のため時間が必要。
「その間、北方司令部について聞きたい」という名目で、借りた貴賓室へと向かっていた――キースが連れてきたラーネリード隊は、荷物の番をしながらホームに佇んでいる。
「おや、迷ってしまいました」
駅舎内を我が物顔で歩いていたヒースコートが、いきなり立ち止まり、振り返りもせずにそう言った。
「ふーん。リーツマン、ヒースコートの部下たちと一緒に、貴賓室を捜してこい。間違っても人に聞いたり、聞かれたり、急いだりするなよ」
「わたしたちは、医務室にいる。三十分後に来い」
当初予定していた場所ではないところで会話する。誰に聞かれても、二人の居場所を喋るなよ――全員「了解」の声を上げて去り、
「まず第一に。王弟殿下はご無事です。今回のことは、殿下を守るための措置です」
「そうか」
二人は少し歩き人気のないドアの前で立ち止まる。塗装の剥げたドアノブを回すと開き――室内には簡素なベッドが三つと、鍵が掛かっている棚に幾つかの応急処置用の医療品。
二人は室内を探り、ドアを開けたまま廊下に注意を払いつつ、
「殿下を狙っているのは、アルドバルド子爵の妹」
「リスティラ伯爵夫人か」
「そうです。先日までは命を狙っておりましたが、現在は殿下そのものを狙っております」
「殿下を狙う……殿下の妻の座を狙っているということか?」
「はい」
「跡取りはどうなるんだ?」
ガイドリクスは三十五歳で、クリスティーヌは四十五歳――十歳年上でも、市井の愛し合う二人ならば問題はない。キースも結婚を考えた恋人は六歳年上だった。だから年上女性が悪いとは言わないが、ガイドリクスは王家の血を繋ぐ役割を背負っている次期王となる男。
キースのように天涯孤独で、独身を貫きキース家が断絶しようが問題ない……とは違う。
「四十過ぎても出産する女性はいますので」
「それはそうなのだが……既婚歴のある四十半ばの元侯爵令嬢以外に、この国には殿下の妻になれる女性はいないのか? 殿下がどうしてもというのなら、わたしも止めはしないが」
「お嫌なようですよ。逃れるための軟禁です。もともとリスティラ伯爵夫人は、殿下を殺害して王位を……と考えていたようですが、リリエンタール閣下が引き返してきたことで、手法を変えたようです」
「一応殿下の命の危険は去った……ということか」
「そうなりますね。その代わりといってはなんですが、殿下の尊厳が危うくなりました」
「…………」
興味のない女に煩わされることが多いキースが、苦虫を噛みつぶした表情になるのは仕方のないことだった。