【正史】異国の地に眠る
イヴが覚醒しなかったルートの一部分
その日、一通の手紙が北方司令部の司令官キース宛てに届いた。
他の封筒とは違う上質なそれ――差出人の名は見なくても分かる。
他の手紙ならば内容を確認するが、この差出人の手紙は封を切るだけでいいと副官は命じられているので、言われた通りに封を切ってすぐにキースの前に置いた。
”消印は国内か”
キースも手元の書類を机の脇に寄せ、封筒に視線を落とす。
手紙の差出人はキースの予想通り、リヒャルト・フォン・リリエンタール。
何も言わずにロスカネフ王国を去った男――いつか居なくなるだろうことは分かっていたので、キースの中に驚きはなかった。
告げもせず……に関しても、自分とリリエンタールの間柄はそういうものなので、気にもならない。
だから手紙が届いたことに驚いた。
封筒の署名は自筆。
封筒は凹凸があり――便箋を取り出すと、はらりと便箋の間から二枚の紙が落ちた。一枚は小切手で、かなりの大金が記載されていた。
そしてもう一枚は裏返っているが写真と一目で分かる。
キースは特別な能力を持っていないが、写真に写っているのは見て気持ち良い物ではないだろうことは察した。
”ツェサレーヴィチから心躍る手紙が届いたことはないが……欲しいとも思わないが……”
封筒に残ったままの凹凸は鍵――
キースは写真を捲らず、厚みがあり手の込んだ透かしに箔押しが施された便箋を開き、目を通す。
内容はいつも通り簡潔で、
――埋葬を依頼する――
埋葬の手間賃にしては高額な金額が記載された小切手。
二枚目の便箋には遺体がどこにあるかが書かれ、
――邸は好きに使え――
遺体が置かれている邸の使用許可――鍵は当たり前ながらその邸の表玄関のもの。
キースは写真を掴み裏返すと、写っていたのは見覚えのある青年。
「いつかこうなるとは、思っていたがな……」
キースはすぐさま、書かれていた首都の邸へと向かった。邸は新築で庭も手入れが行き届いているが静まり返っていた。
拳銃を片手に玄関ドアの鍵を開けて踏み込み――カーテンが引かれていない室内は、日の光が差し込み明るかったが、ただ明るいだけで、空気は澱んでいるように感じられた。
「どこだ?」
手紙には邸に遺体があると書かれていたが、どの部屋に安置されているのかまでは書かれていなかった。
部屋数が十と、手紙の主にとっては小さな邸なので、書く必要がないからか……とキースは思ったが、大理石製の廊下で止まり大きく息を吸い込む。
「…………」
遺体の処理を任され、この邸に安置されている。邸はそれほど広くはない――夏が過ぎた北国ロスカネフ王国。この時期になれば死体の腐敗は遅いが、それでも特有の死臭はもう少し漂っているはず。
だが室内は明るく冷たく死臭はなく――替わりになにかが唸っているような音がする。
「電気が通っているなにかが動いている音か」
電化製品はまだ一般的ではなく――軍もまだ電気で動くものを信用していないため、あまり採用していないこともあり、キースにはその音がなにか? なぜ動かしているのか? 想像もつかなかった。
だが音がするほうに遺体はあるのだろうと、キースは音のする方へと突き進む。
その足取りに一切の怯えはない。
高価な壁紙に贅をこらしたシャンデリア。
ロスカネフ王国出身の有名画家が描いた風景画。そして宮廷画家が描いた王家の肖像画が飾られている廊下を抜けた先――
「この部屋から冷気が漏れているようだが」
いくらロスカネフ王国が北国でも、真冬でもないこの季節にこの冷たさは異常だった。キースはドアの向こう側に人の気配があるかどうかを一応確かめてからドアを開け――そこにあったのは唸る冷気を発する箱。
室内には窓がないので暗く――
”電気が通っている邸ということは、スイッチを押せば照明が着くはずだ……照明が電化製品であればだが”
キースは拳銃のグリップで壁を探り、突起を探り当て――冷たい室内に白熱電球の柔らかな暖色系の灯りが灯るも、室内の冷たさはそんな灯りなどでは誤魔化しようがないほど。
キースは拳銃をホルスターに戻し、ナイフを手にして成人男性三人くらい簡単に詰め込めそうな冷気を放つ銀色の箱の縁を確認してから、取手を掴んで開けた。
中から冷気と共に微かな死臭――写真に写っていた青年が、綺麗に整えられ胸の前で腕を組み凍っていた。
部屋にあったのは巨大冷凍庫だった。
「いつのまに、こんなもの作ったんだ」
キースも冷凍庫は知っていたが、成人男性一人を完全に凍らせることができる冷凍庫は見たことがなかった。
キースは膝をついて凍った青年の遺体に触れ――
「死んでから凍らされたのか」
ロスカネフ王国では凍死体は珍しいものではないので、そのくらいは見分けることができる。
「……」
青年の凍りついた癖の強い灰色の髪は、光に照らされ銀のような光沢を放ち、同じように煌めく長い睫で覆われた目蓋は硬く閉じられ、琥珀色の瞳は隠されたまま。
「俺はお前をわざわざルースに埋葬してはやらないからな。ロスカネフの墓地で我慢しろよ……まったく、俺より若いのに先に死にやがって……」
キースは冷凍庫の扉を閉め、埋葬の手はずを整える。
青年の遺体は速やかに埋葬され――墓標には彼の本名のイニシャルを刻んだ。
「殺されたらしいな」
葬儀にはキースの他にヴェルナーが立ち会った。
「ああ、4104に殺されたそうだ……”隙を突いて殺害したことを、殺害した本人が証言した”と、邸にメモが残されていた」
党員番号4104ことレオニード・レオニードヴィチ・ピヴォヴァロフがその後どうなったのか、キースたちには分からないが「捕らえたり罰したりはしていないだろう」ことは想像がついた。
「……そうか。それにしても、こいつ、リリエンタールに気に入られてたんだな」
リリエンタールは当人のみならず、部下の生き死にに関しても無関心なので――葬儀を執り行うよう指示を出すのは稀。
実際リリエンタールは、殺害されたルース皇族の葬儀も行っていない。
生きていると信じているから……などではなく、共産連邦と協議して遺体を引き取り――おそらくもう遺骨しか残っていないだろうが――葬儀を執り行うことも彼ならば可能だが、関心を持つことなく放置したまま。交渉しようとする姿勢すら見せない。
それに比べれば青年は厚遇。
「そうみたいだな。こんな形で知るはめになるとは、思いもしなかったし、知りたくもなかったが……あの時捕らえずに、殺しておけばよかったのか」
「そうかもな、アデル」
二人は最後に敵兵への礼儀――戦場で捕虜が死亡し、埋葬する際に神父がいない場合、士官が代理を務めることがあるために覚えているルース人特有の簡略化した祈りを捧げ、
「この二十年、やってねえから忘れた。しっかり覚えてもいなかったが」
「お前俺よりは覚えてるだろう、フェル」
二人は別れ、キースは北方司令部へと戻った。