【034】閣下、許可が下りる
【029】閣下、出し抜かれる からの続きとなります
「王侯貴族は電報で”見合を用意した” ”受ける”……なんてやり取りをしませんから、気づかなくても仕方ありませんが……それにしても、あなたがしてやられるとは」
無言のままこれ以上ないほどに難しい表情のリリエンタールに、
「あとはサーシャに任せておきましょう。女王の調査報告ですが、完全にクリスティーヌに操られていると言っていいかと存じます」
ヒースコートは集めてきた情報を伝える。
「どの程度だ?」
「どの程度とは?」
「重度は自らクリスティーヌを操っているつもりで操られている……だ」
「操られていることに気づいていない程度ですな」
「中等度だな。ヴィクトリアの影武者を務めている間者はどうだ?」
ヴィクトリアの影武者は典型的な溝鼠で、アルドバルド子爵よりもリスティラ伯爵夫人寄り。その心酔度合いをリリエンタールは尋ねたのだが、
「完全にクリスティーヌ寄り……と言いたいところですが」
「言いたいが?」
「男がいます。その男次第では、クリスティーヌを裏切る可能性もありそうです」
「…………ほう。それは面白そうだな」
ヒースコートから意外な答えが返ってきた。
「興味を持っていただけてなによりです」
「その相手が、共産連邦のロミオ諜報員でなければいいが」
リリエンタールの瞳はいつも通り輝きのない、底知れぬ昏さをたたえたまま。
「共産連邦のロミオの可能性が高いと?」
「女王の影武者を落とすのは、一般人であれば中々に難易度が高い。まあ、クリスティーヌが共産連邦と組んでいるのであれば容易いであろうが」
「敵と組みますかね?」
「組まない理由もないからな。クリスティーヌの中では、どのような策が巡らされているのかは知らぬが、素晴らしい世界が構築されているのであろう」
「リリエンタール閣下がロスカネフ王国に舞い戻ってきただけで、かなり焦っているようですが。そのお陰でわたしの情報収集も捗りました」
ヒースコートが女王の身辺の情報収集を行ったのは、彼が有爵貴族で王宮にわりと自由に立ち入れる身分を持っていることもあるが、なにより「リリエンタールと行動を共にしている」ことが有名。その彼が王宮に現れたら、王家の影が何かを得ようと近づいてくるのは確実。
彼らはヒースコートに面が割れていることを知っているので、わりと大胆に絡んできた。ヒースコートに邪険にされないように女性ばかり――彼が女性に取り囲まれるのは珍しい光景ではないので、多くの人は違和感を持たなかった。
女王の影武者フローラからも接触があり、その他大勢と同じようにリリエンタールの帰国理由を尋ねられたが、答えはしなかった。もちろん「本当は知っている」と気取らせるくらいにして――
”もっとも、本当のことを喋ったところで、信じたかどうか……”
王家の影は唯でさえ裏を読もうとするが、存在しない裏は読めない――
「わたしを殺害したわけでもないのに、なぜそんなに気楽に構えていたのか謎だな」
リリエンタールはと言えば、自分が戻ってきただけで、リスティラ伯爵夫人はなにをそう焦るのだという気持ちしかなかった。
「お人が悪い」
「よく言われる」
もっともリスティラ伯爵夫人は、この先リリエンタールがクローヴィスと共にロスカネフ王国で暮らすにあたり「リリエンタールにとって」邪魔なので、アルドバルド子爵を全面的に支援して排除することにしていた。
昨日その旨をアルドバルド子爵に伝えている。
その後、ヒースコートから細かな報告を聞き――
「王宮の現状は分かった。至急、ガイドリクスを保護する策を実行しよう」
簡単にリスティラ伯爵夫人に地位を譲ってくれるヴィクトリアは殺されないが、王位を断固として譲らないガイドリクスの身の回りは危険なので、対応策を講じることに決めた。
リリエンタールがそれらを行うのは、本来であればガイドリクスの身辺を守るアルドバルド子爵が国内にいないため――彼は詳しい事情とやることを聞かされ、大量の荷物を持ち部下と共に、本日早くにブリタニアス君主国行きの船に乗り旅立っていた。
アルドバルド子爵にさせている仕事は半分がリリエンタールの私事ゆえ、ガイドリクスを守る必要がある。
リリエンタールは瞬時に策を立て、アイヒベルクを呼び指示を出す。
命令を受け取ったアイヒベルクが下がると同時に、ヒースコートも下がるべきなのだが、彼は下がらずに机に腰を下ろして、進捗状況を尋ねる。
「リリエンタール閣下。クローヴィス少尉に関してですが、なにか良い案は浮かびましたか?」
ヒースコートにとって、最近これがもっとも楽しい時間だった。
「全く。中々案を提示されないので、自ら対処すべく案を出すも、全てベルナルドに却下される。側にいるヘラクレスの表情も明るくないので、駄目なのだろう。ちなみにリーンハルトは同意するが」
暗殺阻止や狙った時期に戦争を起こすのは簡単にやってのけるリリエンタールだが、
「アイヒベルク卿、それは閣下とご兄弟ですからなあ」
「ベルナルドにも言われた」
恋愛の取っ掛かりすら掴めない状態。
「リリエンタール閣下は身分が邪魔ですからな。かといってあなたが身分を捨てて告白となると、身分を持っている時以上に重い」
一般人は皇帝から愛を囁かれるのは重たいが、自分を気に入ったので皇帝の地位を捨てたと言われると――どちらも逃れられないプレッシャーが発生するが、後者はより大きい。なにせ至尊の座を捨てさせてしまった理由が自分。
それを簡単に受け入れられる一般人など、居る筈もない。
「それも言われた」
「よって身分ごと受け入れてもらわなくてはならない。となれば、やはり愛情を育むしかないのです」
「そうだな……だが出し抜かれた」
「出し抜かれて、どのように感じましたか?」
「……おそらく、あれは焦燥だと……思う」
四十歳手前まで、感情が全く揺れることのない人生を送ってきたリリエンタールにとって、先ほどサーシャの情報により感じたものは、言葉にするのが非常に難しかった。
「感情というものは、揺れるものです。自らの感情に驚くこともおありでしょう……ですが、クローヴィス少尉は待ってくれません。恋愛は片方だけの事情で動くわけでもありません」
「…………お前ならどうする? レイモンド」
「わたしはすぐに花束を持って食事に誘い、手紙を送り親交を深めます。あなたには、到底できないことです。ですので、わたしたち凡人にはできない、別の攻め口を考えたほうがよろしいでしょう。あなたにしかできないことがあるはずです」
ヒースコートはそう言い、部屋を出ていった。
リリエンタールはそれから深く考え――夕食にも手をつけぬまま夜を明かし、
「ベルナルド」
「座ったまま寝てたのかと思いましたよ」
手がつけられなかった夜食用のチョコレートとシャンパンを下げ、カーテンを開けに来た執事に声をかけ数名呼ぶように命じ――彼らの到着までの間に、身支度を調え軽い食事を取った。
呼ばれたのは事情を知っているアイヒベルク伯爵にアーリンゲにヒースコート。そして執事のベルナルド。
彼らを前に一人だけ椅子に深く腰を掛け足を組んでいる、フロックコート姿のリリエンタール。
「あの娘に対するアプローチだが」
「はいはい、また実現不可能な策を提案してくれるの?」
一晩中、深刻な表情で考えていたので、ソレだろうと執事は分かっていた――リリエンタールがそこまで深刻かつ長時間考える姿は今まで見たことがなかったので、すぐに見当がついてしまうのだ。
「レイモンドに言われたので、攻め口を変えることにした」
「世界征服のほうに舵取りしちゃうの?」
「いいや……いや、遠からずか。わたしはいままで、心のどこかであの娘に勝とうとしていた。だがそれでは、なにも始まらないことに気づいた。わたしは負け戦の敗軍の将として戦うことにする」
「あんた戦争で負けたことないだろ……」
戦争に勝ちすぎ、上手すぎたあまり、周辺国から畏れられ、皇帝になるべき国を失って尚、戦争に勝ち続ける男が敗軍の将として戦うとは――
「だが敗軍の将がどのように動くかは知っている。故に敗軍をさらに追い、勝ちを重ねることができる」
「軍事に関してはそうだけどさ」
「まず第一に、わたしは娘と上手く恋愛を育めないことを想定した。恋愛感情を育めれば良いが、娘はともかくわたしの恋愛感情というものは嫉妬ばかりで、甘やかな恋愛には程遠いことを理解した。これらの感情を時間をかけ濾過できれば、娘を傷つけぬ愛情を得られると思うのだが、娘の見合い話の一件から、それほど時間がない」
”娘の見合い話の一件”のくだりで、事情をまだ聞いていなかったアーリンゲは驚いたが――この場にサーシャがいないので、何らかのフォローに向かったのだろうと、ひっそりと胸をなで下ろした。
「それはしっかりとした両親の元で育った、二十三歳の綺麗な娘さんですもの。見合いなんてひっきりなしでしょう」
「たしかにあの娘は美しい。では恋愛以外であの美しい娘に受け入れてもらうにはどうしたらいいか? 考えた結果、娘がしたいことで、尚且つわたしでなければ実現不可能な事柄を売りにすることにした」
「建設的だと思いますよ。それで、具体案はできたの?」
他のことならば案などすぐに浮かぶことを執事はよく理解しているが、クローヴィスのことになると――
「ある。レイモンド」
「はい」
「あの娘は仕事が好きだと言っていたな」
「はい。本人は仕事がとても楽しいと言っていましたね。士官学校を卒業して三年、そろそろステップアップの時期で、ますます仕事が楽しくなる頃合いです。なによりクローヴィス少尉は、仕事を楽しめるほどの実力がありますので」
「あの娘は仕事が好きだ。ならば仕事をさせようと決めた」
「……ん?」
「あの娘の親は仕事をすることを許しているが、見合い話を持ってくるということは、親としては結婚して欲しいと考えているとみて間違いはない」
「それはそうでしょうね」
娘の幸せを願う親ならば、結婚して欲しいと思うのは当然の時代。
クローヴィスはかなり大柄で、額に傷を負ったが、それらを差し引いても嫁のもらい手はあるだろうと執事は確信している。
「あの娘は両親を尊敬している。よって両親の期待に応えたいという気持ちも持っている」
「普通の人間は親の期待に応えたいと思うらしいですよ……この場にいるのは、わたしも含めてですけど、そういう気持ちがない変わり者ばかりですけど」
「そうだな。それであの娘に、仕事と家庭の両立を持ちかけたらどうだ?」
「あんたと結婚したら、仕事も続けられるよ、ってこと?」
「その通りだ。現状ロスカネフ王国の女性士官は、結婚とともに退職するのが慣わしになっているが、それらを打破し、結婚後も仕事を続けられるよう法を整備する」
リリエンタールに恋愛は難しいが、法整備などは得意分野。クローヴィスを口説けるかどうかはともかく、法整備を失敗することはない。
「大統領なら……できるんでしょうね」
「大統領になる理由が増えた……もっとも、大統領にならずとも法を作ることは可能であり、大統領になる前に法を定めるつもりだがな」
「どうして?」
「施行される法を持ってプロポーズせねば頷いてもらえぬだろう。”何年か後に法律が変わるので、結婚しても仕事は続けられる”などという不確かな提案など、受け入れてもらえるはずがない」
「そっか」
「法整備とともに、わたしと結婚した場合は仕事を続けられること、そして仕事を完全にバックアップすることを書面に認め、プレゼンテーションを行いわたしの有用性を娘に提示し結婚を前提に付き合ってもらおうという策だ」
惚れた娘に対しての提案としては味気ないにもほどがある。だがリリエンタールが今まで提示したアプローチ方法の中で、もっともクローヴィスが受け入れてくれそうな案でもあった。
「それは良い案だとは思いますし、クローヴィス少尉にとっては興味深く、リリエンタール閣下に興味を持たせる妙案でしょう。ですがリリエンタール閣下、クローヴィス少尉がその提案に乗った場合、あなたは世界中から甲斐性無しと影で言われることになりますが、よろしいのですか?」
ヒースコートはクローヴィスがこの案を好意的に受け入れると自信を持って言えるが、この時代、妻を嫁を働かせるのは外聞が悪く、甲斐性が無いとバカにされるのを免れない。
「構わぬ。そもそも甲斐性があったら、次善策と善後策を組み合わせて娘の興味を引いて結婚を請うてから、恋愛に移行しようとする下策は取らぬ。これは敗軍の将が己の全てをかなぐり捨て、できる限り被害を少なくしようと泥沼で弄する小細工の類い」
”閣下、起死回生できなかったラングロアは縁起が悪いかと。地獄に突き落とした一人である、臣が申すのもなんですが”
”ラングロアか。悲惨な最期だったって、ヴィルヘルムが笑いながら仰ってましたねえ”
”あなたの名声の踏み台になった……ラングロア程度では、なれもしなかったか”
”ここでそれって、あんたにとってラングロアは、一番評価の低い元帥ってことなんだろうなぁ……当然か”
リリエンタールの例えに各自、何となく誰を念頭に置いているのか分かったが、あえて触れなかった。それは共通の認識でしかなく、今必要なことではない。
「あんたらしい恋愛とは程遠い切り口だけど、あんたにできる最良の策だと思うよ。それなら無理なくいけるし、わたしも止めはしませんよ」
執事からやっと許可が出たのでリリエンタールは動き出した――大きな欠陥がある法を手に。