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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
33/208

【033】王弟、長い一日を強制終了する

 アルドバルド子爵がこれ以上ないほど笑い――収まったところで、


「クローヴィスを政府に出向させて欲しい」


 リリエンタールはクローヴィスの異動を希望した。


「政府に出向させる……お前が政府に関わるということか?」


 ガイドリクスの問いに、リリエンタールは頷く。


「そうだ。明日の立憲君主宣言から起こる混乱を、わたしが収めようではないか」

「それは願ってもないことだが」

「政治に関わって欲しくはないというのならば、それはそれで構わぬが」

「断る理由などない」

「そうそうガイドリクス。わたしは大統領選挙に出馬する予定だ」


 リリエンタールがそう言ったとき、ガイドリクスは昼餐開始の際に言われた「あの娘を正式な妻として迎える」の台詞と同じくらい混乱した。

 リリエンタールの政治能力が優れていることは周知の事実だが、それらは全て「懇願されて」のことで、自ら政治に手を出したことはない。

 その彼が、自ら出馬を表明するなど――


「…………どの国の大統領になるつもりだ?」


 大統領は選挙によって選ばれるものだが、この男が出馬したら確実――だが、どの国から出馬するつもりなのか?

 会話の流れからしてガイドリクスの故国であるロスカネフ王国しかないとは、ガイドリクス自身分かっているのだが、そう思えるほどガイドリクスも単純ではない。

 メイン料理が終わり、白地にコバルトブルーで繊細な模様が描かれた皿を、もっと美しく飾るフロマージュの一かけを口へと運んでから、


「ロスカネフ王国の大統領を目指す。あの娘と結婚することで、大統領選挙出馬の資格を得ることもできるのでな。まあ、大統領になれるかどうかは知らないが」


 リリエンタールは問いかけに事も無げに答えた。


「そうか……わたしとしては、嬉しい限り……」


 ガイドリクスが本音を漏らすと、リリエンタールの背後に立っていたヒースコートが再び一歩前へと出た。

 わざと足音を大きく立て――


「どうした? レイモンド」


 ワイングラスを手に持っているリリエンタールは、当然ながら振り返らなかった。


「クローヴィス少尉をリリエンタール閣下の部下にするのは、お止めになったほうがよろしいでしょう」

「…………わたしの部下にしないほうが、今まで通りを保てるのか?」


 ワイングラスを置いたリリエンタールが振り返る――アルドバルド子爵がヤンネに視線を送り指さして笑う。

 リリエンタールのような身分の人間は、わざわざ使用人の方を向いて話をしない。まして振り返るなど、考えられない。


「はい。上司と部下になってしまうと、上下関係が発生します。唯でさえ、リリエンタール閣下は身分という生まれついての上下関係が発生しているのに、そこに社会階級でも上下関係を構築してしまえば、クローヴィス少尉が意見することはないでしょう。リリエンタール閣下が人形のような口答えせぬ娘がいいというのでしたら、上下関係をつけてもよろしいでしょうが」


 ガイドリクスはリリエンタールの横顔を眺め――


「……ふむ。そうか。確かにそうかも知れぬな。ガイドリクス、あの娘の異動はなしで」


 ヒースコートは一歩下がり、先ほどと同じ場所に戻り、姿勢を正す。


「分かった。……身分があると大変だな」

「わたしほどではないが、お前とて同じであろう」

「お前ほど畏怖されないさ、リリエンタール」

「ガイドリクス、わたしは畏怖されているのではない、嫌われているだけだ」

「ぐっ……返答に困るぞ、リリエンタール」


 昼餐もデザートまで進み、


「リヒャルト。君がその娘さんを手元に置きたかった理由の九割は私心だろうけれど、一割くらいは危険だからってのもあるんだろう?」


 コーヒーの香りを堪能しながら、アルドバルド子爵が尋ねる。


「まあな」


 ガイドリクスはこれから王になる――王位を狙っているアルドバルド子爵の妹、リスティラ伯爵夫人クリスティーヌにとって排除対象になる。

 退位を望んでいるヴィクトリア女王とは違い、ガイドリクスは一度玉座についたら投げ出したりはしないのはリスティラ伯爵夫人も知っている。となれば魔の手がガイドリクスにも伸びることになる。


「わたしの手元で保護しようと思ったが、後々の関係に影響するのは困るので……あの娘をアーダルベルト・キースの部下にする」

「それは思い切ったことするねえ、リヒャルト。彼の性質知ってるでしょう?」

「知ってはいるが、あれは絶対靡かぬしな。というか、他がない」

「西方司令部のヴァン・イェルムは? あれは信頼できる男だぞ」


 イェルムは大佐で西方の守りを任されている、爵位を持たない貴族。

 派手なところはないが、緊迫していない(・・・)フォルズベーグ王国との国境を、部下に適度な緊張感を継続的に持たせ守ることができる、なかなかの逸材だった。

 ただ本人も周囲も認めているところだが、攻めるのが苦手。


「西はこれから戦乱になる。ヴァン・イェルムはそちらにかかり切りになるだろう」

「そうか」

「君がそう言うなら、そうなんだろうね」

「戦争について詳しいことは、後日伝える…………レイモンドを北方司令部の司令官に。できるか?」

「それもこちらとしては、願ってもないことだが」


 ガイドリクスがヒースコートに視線を向けると、女を蕩けさせる危険さを含んだ笑みを浮かべて深々と礼をする。

 ヒースコートは充分司令官を務められる才能と、経験を持っているのだが、リリエンタールに従っているため、リリエンタールが国を出たらそのまま従うことも分かっていたので、重要な地位に就けることができなかったのだ。その彼に国家防衛の一角を任せることができるというのは、ガイドリクスが言う通り願ってもないこと。


「じゃあアーダルベルト君はどうするの?」

「中央に」

「独身の平民が四十の若さで総司令官ってこと?」

「そうだな」

「納得させるの難しいと思うよ」

「そうだな。お前を総司令官にするほうが簡単だろうな、フランシス」

「でもやるんだ?」

「まあな。軍務大臣を兼任させる」

「総司令官に軍務大臣って、大貴族の当主みたいじゃないか」

「この国の大貴族に、任せられるヤツがいないからな。そもそもお前は、政治という表舞台に立ちたくはないであろう? フランシス」

「まあね……ってことは、わたしに父親を殺せってこと?」


 立憲君主制に移行し、大統領選挙が行われるまでに少し時間がかかる――その中継ぎ内閣の軍務大臣の有力候補はテサジーク侯爵。


「殺したいのならば殺しても構わぬが」

「殺したいと思ったことはないけど殺せるよ。でも殺さなくてもいいの?」

「幾らでも使いようはある」

「……殺していい?」

「テサジークのことだ、事情を説明されれば自ら命を絶つであろうよ」


 王家の影の長として、リリエンタールに情報を抜かれるくらいならばと――


「情報、抜くつもりはないんだ」

「お前がいれば充分だ、フランシス」

「冷たいけど、そういうところ大好きだよ、リヒャルト」

「そうか?」

「ところで、リリエンタール。どうやってキースを総司令官に押し上げるつもりだ?」

「……案はあるのだが、娘が関わることなので、もう少し練りたい」

「君が策を練るとか」

「あの娘になにかあっては困るからな」


 最初から最後まで「クローヴィスありき」で話を進めるリリエンタールに、ガイドリクスが言えたのは「幸せにしてやってくれ」だけだった。


「クローヴィス少尉絡みで殿下に頼みがあるのですが」


 そろそろ席を立とうか……というところで、ヒースコートが十枚ほどの上質な紙を差し出してきた。


「なんだ?」

「この先、なにが起こるのか分かりません。なにかあった場合、クローヴィス少尉を危険から遠ざけるために偽の指令を出すのが最も効果的。アディフィン王国の往復で接した結果、クローヴィス少尉は上官の命令以外には従わない、全く以て素晴らしい軍人。直属の上官ではないリリエンタール閣下からの命令書だけでは、動かないことでしょう」

「白紙の指令書にサインしろと」

「はい。まあ殿下から見て、クローヴィス少尉は誰の命令でも聞くから必要ない……と思われるのでしたら要りませんが」

「ヘルツェンバイン、ペンを」


 ペンを受け取ったガイドリクスは用紙全てにサインをした。


「さすが殿下。こちらの意を酌んでくださり感謝いたします」


 十枚全部に名前だけのサインで済ませたのではなく、爵位だけ、階級と名前のみ……など場面によって使い分けできるよう書き分けた。

 受け取ったヒースコートは、食堂を辞し――昼餐後、アルドバルド子爵は話を詰めるので残りシガールームへ。

 ガイドリクスはヤンネとヘルツェンバインと馬車に乗り込み王宮へ――女王にリリエンタールが帰ってきたこと、面談して「問題ない」ことを伝えなくてはならない。

 ロスカネフ王国は絶対王政――明日からは立憲君主制に移行になるが、今はまだ女王ヴィクトリアが国家のトップ。

 よって彼女に報告を届ける必要がある。


「…………」

「殿下?」

「ハンネス、馭者に何ごともないから心配するなと伝えてくれ」

「?……分かりました」


 ヘルツェンバインに告げられた馭者も何かは分からなかったが――


「よっしゃぁぁぁぁ!」


 黒塗りの王家の箱型車体の中から叫び。

 少しばかり馬が驚くほどだったが、熟練の馭者はすぐに馬を宥めいつも通りに走らせるのだが、どうも車体を叩いているようで――


「大丈夫だ」


 次に顔を出したオースルンド(・・・・・・)も「何ごともない」と告げたので、黙って手綱を握り続けた。

 馬車の中から大声で国歌――と共に、車体の底を蹴っているような音。もちろん本当に蹴っている。


 本当に嬉しい時、人はこうなるのだ……と、初めてみたガイドリクスの歓声を上げる姿に、ヤンネは圧倒されていた。


「お喜びですね」

「そうだな。わたしも嬉しいよ」


 黒髪で長髪の背の高い軍人然とした美丈夫が、喜びを発露するには王家の馬車でも小さすぎたが――


”さすが王族”


 ヤンネが感動するほどに、馬車が王宮の王族専用の乗り入れ場所に到着した時には、いつものガイドリクスに戻り――そうはいっても表情は最近になく晴れやかだった。

 軽い足取りで女王である姪に面会し、リリエンタールについては今まで通りにロスカネフ王国に滞在することを告げた。


 面会は一時間ほどで、リリエンタールのこと以外は当たり障りのない日常の話題や、明日の国体変更に関することだったのだが、途中からガイドリクスは後に控えている侍女の気配がおかしいことに気づいた。

 その侍女はヴィクトリアの影武者も務めるのだが――何故か違う人物に見えた。


「どう思う?」


 女王との面会を終え部屋を出たガイドリクスは、ヤンネに違和感はなかったか? と尋ねた。


「何となく違う気がしました」

「そうか……」


 違和感はあれど下手に手出しはできないので、彼らはそのままスケジュール通りに行動し、観劇のために燕尾服に着替えてから劇場へ。


「殿下! リリエンタール閣下は……」

「殿下。明日の立憲君主宣言は……」


 ホワイエで想定内の質問攻めに合い――ワインを片手に情報を出し過ぎぬよう劇の開始前まで会話を続ける。ガイドリクスは王族ということもあり、切り上げることができるので、今日はやや早めに社交をヘルツェンバインに任せることにして、先に会場入りしていた近衛の護衛のもと、王族専用のボックスに移動し、


「ふう……」


 腰を下ろして息を吐き出す。


「どうぞ」


 先にボックスに移動し、室内に異常が無いかどうかを確認していたヤンネ。彼が前もって市場で買ってきたミネラルウォーターを持参したコップに移して差し出す。ボックス席には二人しかいない。


「今日は疲れたな……馬車の中ではしゃぎすぎたか」

「それは楽しかったので、良かったのではないでしょうか?」

「そうかもな……だが緊張感がなくなってしまった。寝るかもしれん」

「それも致し方有りません」

「遅くなりました」


 開演ぎりぎりまで会話を続けていたヘルツェンバインが戻ってきて、


プリンシラ(ボイスOFF)がどうしても会いたいと……どうもエルメル(イーナ)絡みのようです。いかがなさいますか?」


 香水が薫るメッセージカードを渡された。

 女性からのお誘いのようにしか見えない文面――妻と別れたばかりのガイドリクスには、よくこの手のメッセージカードが届く。


「席は聞いたか?」

「はい」

「ヤンネ。メッセージカードに書いている通り、第一幕終了後に」

「御意」


 オースルンドほどは似ていないが、ヤンネも姿形を変えることはできる。

 ガイドリクスの命を受けたヤンネは、念のために前もって劇場に忍ばせておいた燕尾服に着替え、かつらを被り――メッセージカードを持って、休憩時間でざわついている通路を気配を消して抜け、聞いていたボックス席に入ると同時に雰囲気を変えた。


「戻りました」

「早かったな」


 着替えたヤンネが戻ってきたのは、第二幕が始まってすぐ――既に着替えも済ませており、話が簡単に終わったのだろうとガイドリクスは思ったが、


「第一幕の半ばで、海軍から火急の知らせが届き、耳打ちされて表情を変えて席を立ったそうです。またの機会にお話したいと奥方に伝言を残して行かれたそうです」

「プリンシラほどの高官が呼び出されるような出来事?」

「後で探ってみます」

「頼んだ」


 どうやら厄介事が起こったらしい――


 立憲君主宣言の前日、海軍司令本部にてセシリア・プルックと名乗る(・・・)女性記者が激しい性的暴行を受けたのち、腹を裂かれ死ぬまで放置され、その姿は写真に収められた。

 写真は彼女が務めていた零細出版社のポストに入れられ――


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