【030】代理、撃たれる
リリエンタールたちが帰国する前のロスカネフ王国――
ガイドリクスの命を受けたオースルンドは、クローヴィスたちの教官でもあったヴェルナーとともに、クローヴィスと年代の近い女性士官たちの身辺調査を行った。
クリスティーヌ側を騙し切れたかどうかなどは、オースルンドにとってはどうでもよく――
「王族である殿下の命を受けて仕事をするのは、悪いことではないよ」
アルドバルド子爵には、ガイドリクスの身辺にリスティラ伯爵夫人の手が伸びていないかを調べるためと――かなり真実に近いことを告げた。
下手に嘘で塗り固めようとしても、アルドバルド子爵にはすぐに見抜かれるだろうと考えてのこと。
実際に捜しているのは、リスティラ伯爵夫人の手駒ではなく、王家に近いところにいる高位貴族たちに娼婦の如き手段で近づく、謎の女子学生ことイーナ――
「でも殿下のお妃って、不思議な名目だね」
「ない頭を絞って考えた理由なのですが、不自然でしょうか?」
「不自然だね…………まあいいや、好きにするといいよ」
どこまでバレているのか分からず、また「まあいいや」の意味もはっきりと分からない。
アルドバルド子爵に対する言葉にしがたい感情を飲み込みながら、オースルンドたちはクローヴィスの身辺を調査し――中産階級出の若い女性士官と、有爵貴族の娘の接触は確認できなかった。
となれば、別ルートからの情報ということになるが、そのルートは膨大で現実的に不可能。やはりエルメルの調査をするしかない……となったのだが、イーナ本人に関する手がかりはほとんどなく――ここに来てオースルンドは「違和感」を覚えた。
オースルンドは王家の影として、諜報員としてアルドバルド子爵が単独行動の許可を出すくらいの技能を持ち合わせている。
そのオースルンドが全く掴めない――意図的に隠しているとしても、普通ならばもう少し情報を手に入れられるはず。
それが出来ないということは、イーナの背後に何かがいるのではないか? 例えばリスティラ伯爵夫人の一派。
そうなると更に情報収集は細心の注意を払わなくてはならない――人目につかないよう、隠れて調査を続けていたオースルンドにリドホルム男爵から連絡が入った。
「なんか面倒なことしてるらしいな」
二人は古着屋で買った汚れた服に袖を通し、髪をセットせずに土で汚して肉体労働者になりきり、労働者階級が集う雑多な酒亭のカウンターに並び、蒸留酒を舐めながら近況を報告しあう。
「仕事は大体面倒だよ」
オースルンドとリドホルム男爵は、血はつながっておらず――だが書類上では兄弟であり、当主が兄弟と認めているので兄弟という、まったくもって貴族らしい兄弟だった。
「まあ……な。ところで、ホーコン。お前の調査は学習院の女絡みか?」
兄であるリドホルム男爵の問いかけに、
「否定はしない」
弟であるオースルンドは誤魔化すことはしなかった。アルドバルド子爵や彼の父で、最早お飾りになりつつあるが、彼らよりも経験豊富な諜報部のトップであるテサジーク侯爵は騙せる気はしないが、この二人の才能は似たような物なので、頑張れば騙せる――だが、オースルンドは誤魔化すことはしなかった。
「そうか。一端調査を中止しろ」
「理由、聞いてもいいか?」
「酒瓶を手に、散歩しながらな」
「了解」
二人はビール瓶片手に酒亭を出て夜空を肴に、酒を飲んでいるふりをする。
「ガルデオの息子がノシュテットに接触してきたそうだ」
ノシュテットとはアルドバルド子爵が用意した、王配になる予定だったガルデオ公爵子息セイクリッド専用の罠。
王立学習院にイデオン・ヴァン・ノシュテットという、十七歳の子爵令息が通っている。
アルドバルド子爵はセイクリッドに、このノシュテット子爵家が王家の影だと伝えるよう細工していた。
貴族にとって王家の影の存在は、実体を見た者はいないが、存在するものとして伝えられている。
もちろんヴィクトリア女王の婚約者であるセイクリッドも、その噂を知っていたので、簡単に騙された――その騙しは「試し」でもあった。
いまだ婚約者でしかないセイクリッドが、王家の影を勝手に使うのは越権行為。
それもセイクリッドは婚約が解消されることを知りながら、王家の影を使った――分を弁えない者に下されるのは私刑――王家の影に触れたものは法律で裁かれはしない。彼らの私法、すなわちテサジーク侯爵家の家法で裁かれるのだ。
「うわ……分かった。片付くまで触れない」
罠を用意した人物が人物なので、オースルンドもリドホルム男爵も、我が身に置き換えてみて、絶対罠にはかかりたくはないし、かかった相手が誰であれ、僅かな憐憫を覚える――もちろん助けるつもりなどないが。
「罠に掛かったほうはいいが、罠になったほう……変な欲を出さなければいいな」
セイクリッドは自ら死刑台の階段を無自覚に登り始めた。
ではノシュテット子爵家はどうなるのか? と――このノシュテット子爵家というのは、王家の影とは全く関係なく、ちょうど良いところにいた、冴えない没落貴族で、資金援助と引き替えに王家の影役を負わせたもの。
ノシュテット子爵家――イデオンとその父である子爵だけだが、この二人も王家の影についてなにも知らない。
「欲を出すタイプだと思うぞ。とくに頭が」
セイクリッド亡き後も今まで通りならば問題なく、また資金援助を餌に使われるだろうが、知った気になり欲を出し、色々とせびってくるような真似をしたならば……。
そしてまちがいなくノシュテット子爵家の当主は消される。そういう男だからこそ選ばれた――消すことを前提に選んだ小者。
息子の人柄はわからないが、学習院に配置されている諜報員からは可も無く不可も無い、ごく普通の生徒だと報告されているので、親子ともども不幸な事故で消される可能性は高い。
クローヴィスにとっては世界の中心であり舞台となっている王立学習院だが、現在王家の影から教員を一名と、男子寮の管理人として一人派遣されている。
女王在学中は女子寮の管理人、リスティラ伯爵夫人寄りの溝鼠で女王の影武者でもある侍女一名、そして四名の教員が王家の影だったが、女王卒業後に自然に数を減らした――王家の影という組織は小規模集団なので、人員を遊ばせておく余裕もなければ、大勢を派遣する余力もない。
セイクリッドに関してはもう婚約者ではないので、教員と管理人は撤収体勢に入っているが、王家の影とされたイデオンは、当然退学などはできず、しばらくセイクリッドたちから王家の影として仕事をするよう求められることだろう。
「なんにせよ、酒が不味くなる話だ」
二人が揃うのは、酒の味を楽しめないような話をするときばかり。
「弟と美味い酒を飲んでみたいもんだ」
「なにもないときに、呼んでくれよ」
「お前、来ないだろう」
「そっちもな」
二人は歩きながら――路上で掠れた声で歌っている老人の前を通りかかった。
オースルンドは足を止め飲みかけのビール瓶を置き、二人はまた歩き出す。礼を言われたが、それも掠れていてよく聞き取れはしなかった。
そこから少し歩き、分かれようしたとき、
「イェルハルド! ホーコン!」
大声で本名を呼ばれ――振り返らなくても聞き覚えがあるので、誰なのかは分かるのだが、当たり前ながら振り返ると、そこには貴族相手に仕事をしている古美術商らしい恰好のまま、走って彼らに近づいてくる。
「紳士がこの恰好している奴らに、駆け寄ってきたら駄目だろう」
「人気の少ない夜の道でもなあ」
住む世界が違う恰好をしている時は声を掛けないのが鉄則なのだが、
「それにしても、酷い形相だな」
「そもそも、なんでヤンネが走ってくるんだ?」
古美術商を営んでいるという体裁で情報収集している弟のヤンネ――彼と二人の血のつながりは不明だが、弟と言われているので、弟として接している。その彼が鉄則を知らないはずはないので、余程のことが起こったのか? それともこちらに危害を加えるつもりか?
二人は隣にいる兄弟に対しても注意を払い――ヤンネに気をとられている隙に隣が動くということは、珍しいことではない。
二人の前まで駆け寄ってきたヤンネは、
「二人とも、リリエンタールがロスカネフに引き返してくるらしい」
一気にそう言うと、噎せながら荒い呼吸を整え始めた。
「……」
「……嘘をつくなら、もう少し」
「げぼ……いや、嘘じゃねぇ。そもそもこんな……嘘、ついて……」
リドホルム男爵とオースルンドは顔を見合わせ、ヤンネを引っ張って近くの公園のベンチに腰を下ろす。
最早、住む世界が違う恰好をしている時がどう……と言っている場合ではない。
「嘘じゃないのか?」
ヤンネの左側に座ったリドホルム男爵が「本当か?」と尋ねると、
「嘘ではないが、本当とも言い切れないそうだ。リリエンタール側から線路の使用申請が無線で届いたと」
「荷物を取りに帰ってきた? わけじゃないよな」
オースルンドも言いながら「もう住むところが決まった……いや早すぎるなあ」それはないだろうと、自らの言葉に頭を振る。
「そこは分からないが、軍を動かしたとも報告が。アイヒベルクが神聖帝国の方に出兵したとか、ルッツを動かしたらしいとか、世界の終わりが訪れたかのような暗号が続々と届いた」
「…………誤報だろ?」
「誤報でなければ、報告してきた奴が薬でもやってるか、もしくは辺境伯爵に脅されたか」
オースルンドはアディフィン王国に派遣されている面子を思い浮かべ「薬も誤報も脅しもなさそうなんだがなあ」と――
「蒸気機関車が引き返してくる理由が分からないのが問題だと、あの人が言っていました」
「線路を押さえたのは確実なんだな?」
リドホルム男爵の問いにヤンネは、
「それは確実です」
国内情報なので間違いないと断言した。
三人はしばらく無言のまま夜空を見上げ、
「戦争か」
オースルンドは「嫌だなあ」と。こういう仕事をしているからこそ、彼は戦争が嫌いだった。できる事なら諜報と政治的な駆け引きで、戦争は回避して欲しいといつも思い、その為に動いているといってもいい。
「世界を滅ぼしたがっているとは言っていたな……あの人が」
リドホルム男爵も、それ以外思い当たらなかった。
「でもあの人の話し方では、死後緩やかに……リリエンタールが死んだわけではないんだよな? ヤンネ」
「それは世界中にすぐ広まる筈だから……個人の感想を言わせてもらえば、リリエンタールって長生きしそうだよな」
「それは思う」
「それは同……」
”同意する”と言い切る前に、オースルンドは背後に嫌な気配を感じ――二人に注意を促す余裕なく、勢いよく後を振り返る。
ガス灯の明かりの下のベンチの背後は、手入れされた芝が広がり――まっすぐ彼らの方へと近づいてきている影が、微かに見えた。
「イェルハルド! ヤンネ!」
ヤンネは振り返り、イェルハルドは周囲に注意を払いながら立ち上がる。
影は歩みを緩めることなく――黒い影の腕の動きに、
「拳銃だ!」
影がこちらに銃口を向け、引き金を引こうとしていることにオースルンドは気づき、足首に隠し持っていた小型の護身用拳銃を手に取り、イェルハルドは空になっていたビール瓶を振りかぶり、影へと投げつける。
硬い者が弾ける音と銃声が響き――影は投げつけられた瓶を撃ち抜き、さらにオースルンドの脇腹を捉えた。
「痛ってえ……」
そう言いながらオースルンドは銃を構え撃つが、影には当たらなかったようで、こちらへと近づいてくる。
暗がりで瓶を撃ち抜いたところから、その腕は確か――下手に動けば狙い撃ちされるが、ここに留まっていても同じことだが。
影は確実に殺したいのか、彼らが隠れているベンチ近くまでやってきた。
外灯のぼんやりとした明かりに照らし出された顔は、男なのは分かるのだが――怖ろしいほどに特徴のない男だった。
だがその特徴のない男を、彼らは知っていた。
「ルカ・セロフ?」
それでも尚、当人なのかと疑いたくなるほどに特徴がなく――特徴のない男は満足したようで、踵を返し闇に消えた。
「なんだったんだ?」
オースルンドは病院の看板を掲げていない医師の元へと運ばれ、体内に残っていた弾の摘出手術を受け、
「しばらく安静に」
当たり前だが傷口が塞がるまでは、安静にするよう指示されたので、アルドバルド子爵から「ホーコンとヤンネ、入れ替わって」との命令が下り、オースルンドはしばらく「美術品の買い付けに出ているので、店を閉めている古美術商」としてベッドで過ごすことになった。