【003】少将、「L」の命令を聞く
中央駅に到着後、キースたちは公用馬車でヴェルナーの官舎へと向かった。
家主は不在だが、キースは渡されている合い鍵で解錠する。馬車は門扉のところで待機している。
「リーツマン、付いて来い」
「はい、閣下」
友人宅だがキースは我が家のように振る舞い、初めて訪れた副官を部屋へと案内する。
「ここがお前の部屋だ。家の中を一通り案内する、付いて来い」
本来ならばホテルに宿泊するところなのだが、ホテルのメイドが厄介なので、キースはヴェルナー宅を宿に使っていた。
室内を全て案内し、応接室へとやってくると、これまた慣れたようにシヒヴォネンが、勝手にコーヒーを淹れる。
少し休憩し各自持参した礼服に着替え、公用馬車に乗り込み夜会が開かれる離宮へと向かった。
「リリエンタール閣下なら、持ち家でも開催できるのでは?」
大きい城に住んでいるのに、なぜわざわざ離宮を借りて? と、リーツマンが不思議に思いシヒヴォネンに尋ねる。
「あの人は滅多なことでは、自分の領域に招き入れることはしない。キース少将は何度か招かれたことはあるのですよね?」
リリエンタールが邸に人を招かないのは、上流階級の間では有名な話であった。
後にシーグリッド・ヴァン・モーデュソンという少女が、リリエンタールの城へと連れて行かれ喜んだのは、それを知っていてのこと。
「数回はあるが、会議の延長だったり、ホテルで騒ぎになったので……などの状況でのみだ。たしかにシヒヴォネンの言う通り、参謀長官閣下は人を自分の住む領域に招くことはないな」
事情があれば邸内へ入れるが、リリエンタール自ら招くことはない。ただ「訪問したい」程度の理由では、王や皇帝であっても断られる。
「そうなのですか。人嫌いなのですか?」
「嫌いではない」
リーツマンのごく当たり前の感想 ―― だがそこはしっかりと否定しておかなくてはならない箇所であった。
「そうなんですか?」
「参謀長官閣下は、単に興味がないだけだ」
「興味はない……ですか」
「長年側にいて、そう感じた。そして興味の無さが、冷酷と評される所以だ」
リリエンタールという男はいつでも冷静沈着であるが、それも度が過ぎ冷酷と言われることが多い。
「実際は冷酷ではないのですか?」
「あれを冷酷じゃないとは言えないが、覚えておけリーツマン。参謀長官閣下は失敗しても注意はしない。ただ配置換えをするだけだ。配置換えされた者全てが失態を犯しているわけではないが、時期はずれの異動はほぼ失態が理由だ。あの人は注意や叱責はしない。黙って配置換えするだけだ」
「余計怖いです」
「ただな、間違った評価は絶対にしない人だ。部下の手柄を取り上げる上司のような無能ではないし、そういう上司の下にいる部下を取り立てることもする。おそらく理想の上司そのものなのだろうが、如何せんあの風格と優秀さだ。部下が萎縮することが多い。お前も部下になったら、精々萎縮しないよう気を付けろ」
「あの人を前にして萎縮しない人は、大体出世しているぞ。頑張れ、リーツマン少尉。わたしは無理だったがな」
シヒヴォネンは「わたしを前にしても、萎縮していない」という理由で、かつて連合総司令官の主席副官に選ばれた経歴を持つ上官に、ちらりと視線を向けた。
そんな雑談をしているうちに離宮へと到着し、キースとシヒヴォネンは正面で降り、リーツマンは馬車と共に裏へ。
貴族名鑑や紳士録に名が載っている者たちに挨拶をし、慣れた女性からの熱を含んだ視線を無視しホールへと向かう ――
「開始まで身を隠す。心配するな」
「いつものことですので、心配しておりませんよ。一応お気を付けて」
途中でキースはシヒヴォネンと別れ、ホールへとつながる廊下ではない方へと進む。廊下に立っていた執事らしき人物がシヒヴォネンに頭を下げ、キースに「こちらに準備が整っております」といった仕草で招く ―― これはシヒヴォネンにとって、見慣れた光景だった。
「飲みますか?」
「要らん。で、今回はなにをしろと?」
小部屋に招かれたキースは招待状が入っていた、宛名に「L」の足りない封筒を取り出し、白ワインが入ったグラスを差し出してきた執事に「命令」について早く教えろと、無愛想に尋ねる。
「美味しいですよ」
「要りませんよ、殿下」
さっさと言え……とばかりに、執事がもっとも言われたくない名で呼びかける。
執事は手にしていたグラスを自分の口へと運び、
「それは言わないでいただきたい。閣下からのご命令ですが、夜会開始から二時間後を目処に東庭園に出て、いつも通り女に声を掛けられ、それらの容姿について記憶するように……とのことです」
いつもの事としか言いようのない命令を伝えた。
「厄介な女でもいるのか?」
「ええ、まあ。ただ敵の狙いがなんなのか? まだはっきりと分かっていないので」
「参謀長官閣下にも分からないことならば、そんな事柄はないのではないか?」
「キース閣下の仰る通りです。まだなにも起きていないのです……が、なにか起こるのだそうです。相変わらずあの人が何を考えているのか分かりませんよ」
肩をすくめ、ややおどけた表情を作った執事に、本当に事情を知らないのだとキースは理解し、分かったと頷く。
「事情を事細かに説明して欲しいが、まだ事が起こっていないのでは仕方ない。ところで狙いの年頃は?」
「それも不明だそうです」
「……分かった」
どんな命令だといつも思うが、あとでそれなりに意味があることを知るのも事実なので、キースは従う。
そして命じられた通りに、東庭園に出て数名の女性から声を掛けられ、夜会を無事終えてヴェルナーの自宅へと戻った。
翌日、中央司令部へと赴き、ガイドリクスと面会する。
昨晩夜会で顔を合わせているが、あのような場で話せないこともある。特にあの場には、女王であるヴィクトリアもいたので ――
「ガルデオ公爵の御令息との婚約は破棄の方向で?」
応接室のソファーに腰を下ろし、王弟と差し向かいで話す。
彼らの後には、シヒヴォネンとヘルツェンバインが控えていた。彼らはキースが持ち出した話題に驚く素振りを欠片も見せず、黙って立っている。
「婚約破棄は簡単だが、婚約成立は難しい」
「では参謀長官閣下は、この国を去るのですか」
「明言はしていないが……」
ガイドリクスはコーヒーを一口飲み、ソーサーへと戻す。相変わらず王族らしい優美な動きだな……と、感心しながらキースはそれより粗雑な動きでカップを戻した。
「結婚を押しつけ過ぎましたな。参謀長官閣下が国を出て行くのは、どの国でも女を勧められ、鬱陶しくなってのことなのはご存じでしょうに」
「分かってはいたが、どうしても国内に留まって欲しかったのだ」
「大将閣下のお気持ちは分かりますが。正直に申しまして、我が国の女王ではお話になりません」
上官に対しずけずけと物を言うキースは、婉曲な表現などせずにはっきりと告げる。
彼の後ろで聞いているシヒヴォネンは「いつものことだが」と思いつつ、胃の辺りに痛みを感じる ―― 自分の上官のいつもの態度だとは知っており、王族が許しているのも知っているのだが、それでも痛むものは痛むのだ。
「まあな……他に王族の娘がいれば、また話は違うのかも知れぬが」
「存在しないものを語っても仕方ありませんよ、大将閣下」
「ああ……キースよ。リリエンタールの好み、本当に知らぬのか?」
深いため息と共に、リリエンタールの好みの女性について聞いてくるガイドリクス。”何度目の質問だ” ―― 同じ質問を何度もされているキースだが、苦悩とその理由を知っているので、彼にしては大人しくコーヒーを飲んでから、静かにいつもと同じように答えた。
「存じ上げませんね」
この頃、ロスカネフ王国ではリリエンタールを国に留め、大統領になってもらうために「国から連れ出すのがもっとも厄介な女」を妻にと勧めていた。
その女性こそ女王ヴィクトリア。
他の女では易々と国から連れ出されてしまうので、女王という重しのついた女を勧め ―― リリエンタールは一切の興味を持たず。
他にいくつか軍事的な話をして、キースは王都をあとにする。
東庭園にて女に声を掛けられろなる命令だが、以降問われることがなかったので、西か南、或いは北庭園に放たれた誰かに獲物が掛かったのであろうと、キースはとくに問題にはしない。
「クローヴィス少尉は出張中で、離宮にはきていませんでした」
「残念だったな、リーツマン少尉」
そんな話をしながら北方司令部へと戻った。