【029】閣下、出し抜かれる
リリエンタールはアディフィン王国到着後から精力的に動いた――途中まではクローヴィスを妾にするためだったが、后として迎えると決めたことで、更なる難問が山積みになった。
普通のこと――国王となるガイドリクスにクローヴィスを正妻として迎えたいと思っていること、「ロスカネフ王国の大統領になるので手伝え。かわりに妹の排除を手伝う」とアルドバルド子爵と取引するなどはすぐに済んだが、
”カイとスレイマンと、エジテージュ。ネスタにセミョーン……これの排除は早急に済ませねばな”
つい先日まで世界を滅ぼそうとしていたリリエンタールにとって必要だった駒――世界を弱体化させゆく重要パーツの排除は、少しばかり手間がかかった。
もちろん少しであり、普通であれば上記の一人でも排除するのは相当苦労するのだが、そこはリリエンタール。
世界を朽ちさせるための彼らの思考言動を、リリエンタールは良く知っている。それこそ、彼ら自身よりも。何故なら彼らが「そう考える」よう、長い年月をかけて仕組んだのがリリエンタール。
共産連邦のマルチェミヤーノフがリリエンタールを侮るよう仕組んだのと同じく――
”賄賂をもらっていた者たちも、可哀想なことをする……殺すわたしが言って良い台詞ではないが、カイも知らなければ恐怖を覚えることなく、地獄に旅立てたものを”
カイ・モルゲンロートは情報収集のためにあちらこちらに忍ばせていた者たちから「リリエンタールが排除しようとしている」と知らされた。それが一人であれば、彼も笑って済ませられたであろうが、別ルートからも同じ情報が入り――殺される前に殺さなくてはということで、武力を集めているが「武力を集めていることを、リリエンタールに知られると、先に潰されてしまう」程度の知識はあるので、敵が誰かを明かせぬままの秘密裏に行うしかない傭兵募集は、思うように人が集まらなかった。
武器商人として知られているカイが、そんな曖昧な情報で人を集めようとしたら、何をされるか――疑われて人が集まらないのは当たり前だった。
”イェルハルドがネスタへの手紙を届けている間に、クリスティーヌの配下の腑分けを終わらせておかねばな”
書記長リヴィンスキーにリリエンタールの手紙を届けに行ったのは、メッツァスタヤの一人でアルドバルド子爵の息子。
アルドバルド子爵の跡を継ぐ人材――ということもあるが、内紛状態にあるメッツァスタヤから一時的に跡取りを遠ざけるという目的もあった。
アルドバルド子爵がロスカネフ国内にいるならば、遠ざける必要はなかったのだが、リリエンタールはアルドバルド子爵をブリタニアス君主国に出向かせたため、少しだけ配慮する必要があった。
国内にいるより、長年の敵国に潜入したほうが安全……それがメッツァスタヤの現状だった。
むしろこの状態でありながら、強国の諜報部に情報を抜かせないアルドバルド子爵の防諜能力は目を見張るもの。
”ネスタとセミョーンは、大陸縦断貿易鉄道計画再開の利権で釣れる。同じくモルゲンロートもそれで釣った。エジテージュも同じく”
彼らが望むものをちらつかせ、釣った側から捌く――リリエンタールが次から次へと策を講じていると、ドアがノックされ、
「失礼いたします」
アイヒベルク伯爵がやってきた。
「どうしたリーンハルト」
「報告いたします。カイ・モルゲンロートは異教徒を選んだようです」
リリエンタールに目を付けられ――生き延びるためには、リリエンタールの敵を強くして、殺してもらわなければならない。
現在リリエンタールの敵とはっきり言えるのは共産連邦のみだが、異教徒の帝国に遠征軍を仕掛けるという情報も、同時にもたらされたことにより――一癖も二癖もある叩き上げ共産連邦幹部より、皇帝の寵愛を一身に受けている後宮育ちの皇太子を選んだ。
皇帝が溺愛していた亡き寵妃の息子スレイマン――寵妃亡きあと、忘れ形見であるスレイマンを溺愛し、彼がすることはなんでも許している。
スレイマンを上手く動かせば、戦争を仕掛けるのも難しいことではない。異教徒の帝国の軍でリリエンタールに立ち向かうことができる。
「スレイマンは操りやすい……と」
自分に自信があるカイはそう考えた。それ自体は間違いではないと、リリエンタールも思っている――だからこそ、カイには是非ともスレイマンの元に行って欲しかった。
カイはスレイマンに近づくために、兵器の提供を行う。
自我が肥大化しているスレイマンの興味を引くには、新兵器を提供するのが最良。スレイマンさえ気に入れば、彼を溺愛している皇帝は軍備として購入してくれる。
そこを足がかりにスレイマンに近づき、思考を誘導してリリエンタールを殺害する――
「ロスカネフ王国にいる」リリエンタールを殺害するために、異教徒の軍を動かし、おびき出すために「アブスブルゴル帝国に」侵攻する――リリエンタールの計画通りになる。
このアブスブルゴル帝国侵攻は、血族であるリリエンタールに助けを求めるという前提――カイは残念ながら、リリエンタールが庶民と結婚してアブスブルゴル帝室と袂を分かつことを知らない。
むしろ袂を分かつので、カイを排除し異教徒の帝国へと向かわせるよう仕向けたことも。
カイに情報を提供した者たちは、あの場でリリエンタールが庶民と結婚するという話を聞いたが、それはカイに告げなかった。
彼らはあの突拍子のない結婚話を信用しなかった――世界の常識を弁えている人間たちにとって、あれは完全に冗談であり、カイ排除を薄めるための目くらましだと判断するしかなかった。
身分差もあるが、なによりリリエンタールは全く語っていない――「中産階級の娘を后にする」とは言ったが、それだけ。聞いたボナヴェントゥーラ枢機卿も、その娘の名前も年齢も聞く素振りもなく……要するに暗号、もしくは仲間内だけで通用する符丁の類いなのだろうと。
なにより、ボナヴェントゥーラ枢機卿に「中産階級の娘と結婚する」と告げた時のリリエンタールの表情といい声といい、雰囲気といい、どう見ても「気に入った娘を迎える」感じではなく「粛清を開始する」と言っていたとしか――リリエンタールのことを、詳しく知らない彼らにはそう見えてしまったのだ。
リリエンタールとは五歳からの付き合いのボナヴェントゥーラ枢機卿からすると「かつて無い上機嫌。初めて見る浮かれっぷり。猊下や先代猊下に見ていただきたい……先代猊下は見ているかもしれないが」と、嘘など言っていないのがはっきりと分かったが、余人にとっては世界を滅ぼす計画を立てているとしか思えないリリエンタールの表情でしかなく、そこから楽しさを読み取れるのは世界中捜しても数えるほどしかいない。
カイと持ちつ持たれつの関係だった彼らは当然分からず、カイに「排除」を伝えることで義理を果たすとともに関係を絶ち、リリエンタール側に組みすることに決めた。
アイヒベルクは淡々と報告を続ける。
「提供を考えているのは、魚雷のようです」
「魚雷……ああ、潜水艦に搭載する水中兵器だったな。魚雷を発射できる潜水艦もか?」
カイがスレイマンに取り入るために用意したのは魚雷。イヴの前世では、潜水艦に魚雷は当たり前だが、この時代は潜水艦はあっても魚雷はまだ存在していなかったが――ついにこの年に誕生した。
「はい」
「カイならば、わたしが想定した時期に、賽を投げてくれるであろう」
新兵器はかなりのテストが必要になるが、エジテージュ二世よりずっと我慢ができないスレイマンはすぐに使いたがる――リリエンタールを早くに排除したいカイは、スレイマンの拙速さを買って彼を選び、足りない部分を自らの才能で補うつもりだった。一兵も指揮したこともないのに、カイには作戦を補佐できるという、根拠のない自信があった。
「閣下のお望み通りになるかと」
カイがスレイマンに売り込み、兵器が気に入られ、軍需品になるまでに一年――皇帝の一言で決まる国であっても、全く存在しない新兵器を軍の装備として承認するとなれば、どれほど急いでも一年はかかる。
そこから潜水艦と魚雷を量産するのに一年――その頃には、リリエンタールとアブスブルゴル帝国は断裂している。
スレイマンがリリエンタールのことを知っているかどうかは現時点では不明だが、「カイ」がわざわざスレイマンに教えるのは、確実だった。
それをスレイマンがどのように受け止めるかは分からないが、戦って勝てない相手が決して救援に来ないと知れば、好機と受け止めて攻め入る。
カイの言葉を信じていなければ、リリエンタールが居ようが居まいが侵略を開始する――
「黙って兵器だけ売っていれば良かったものを。戦争コントロールなどという欲を出さねば……まあ、どうでも良いがな」
カイがスレイマンに取り入ることに成功した場合、手駒も連れて行く――カイの手駒は異教徒の帝国では人種が明らかに違うので目立つが、そのうち「スレイマンさまのところの」と解釈され、日常になり、慣れて流される。
いままでは異国人は目立っていたが、カイが異国人を宮廷に出入りさせるようになれば――異国の諜報員が入り込みやすくなる。
カイが自分の周辺を整えれば整えるほど、リリエンタールが手が伸ばしやすくなる。
「なんにせよ、これで工作員を送りやすくなったな」
「御意。人選は?」
「フランシス」
「……フランシス・ヴァン・アルドバルドで?」
「そうだ」
”カイ・モルゲンロートの努力が、ここですら全く生かされない”――いかなる人種の中へも、するりと忍び込むことができる男の名を挙げられたアイヒベルクは、少しだけカイのことを哀れに感じたが、すぐにその考えを捨てた。
敵を低く見積もってはいけない。リリエンタールに絶対に勝てないと思ってはいけない……
”分かってはいるが……閣下がモルゲンロートの四男坊に負けるとは、とても……いや、警戒を怠るな。慢心する……慢心……”
アイヒベルクは自分に必死に言い聞かせたが「現在の閣下が、どうやったら負けるのだ」としか思えなかった。
「失礼いたします」
そこへ、ドアのノックと共にヒースコートが入ってきた。
「女王の調査の報告を……ん?」
ドアを開けたまま話し掛けていた彼は、反対側の廊下――曲がり角の向こうから、こちらを目指して走ってくる足音を聞き、アイヒベルクに指で合図を送る。
室内のアイヒベルクはまだ足音を聞いていないが、リリエンタールの前に立ち拳銃を構えた。
「おや……サーシャだが……あの感じは誰だ? 変装が解けて、ただの憂いの美青年になってるが」
曲がり角から現れたのは、全力疾走してくるサーシャ。
「ヒースコート、閣下!」
リリエンタールの部屋の前にいるヒースコートを見つけたサーシャが叫び――ヒースコートに取り押さえられ、廊下に押しつけられ拘束された。
「あの形相で走ってきたお前を、そのままリリエンタール閣下がいる室内に通すほど、わたしも甘くはない」
「申し訳……げほっ……」
サーシャも自分がヒースコートの立場ならそうすると分かっているので、怒りなどはないが――
「クロー……クロー……ヴィス……」
急いで伝えなくてはならない大事なことがあった。
「クローヴィスがどうした?」
クローヴィスと聞いたリリエンタールは立ち上がり、ヒースコートも拘束を解く。起き上がったサーシャは、一大事を告げる。
「本日、イヴ・クローヴィス少尉、サデニエミ商会の跡取りで少尉と同い年のブルーノ・サデニエミと見合いとのこと」
枢機卿関連の仕事を終え、続いて別の仕事に取りかかっていたサーシャは、その合間を縫ってクローヴィスを呼び出し近況を聞いたら「午後、見合いです」と――それを聞かされた時のサーシャの内心をクローヴィスは知らない。
「本人は受けるつもりはないとのこと」
「……あ、……ああ?」
リリエンタール、人生初の声が出ない状況。
「万全を期するために、わたしが向かう筈だった、行方不明貴族令嬢の調査をするよう手配いたしました。会場へは憲兵小隊を乗り込ませ、そのまま同行するように指示を。閣下のお名前を勝手に使うだけではなく、ガイドリクス殿下の名も使いましたので、あとのことを頼みます。わたしはこれから、クローヴィス少尉を追って、インタバーグへと向かいます」
リヒャルト・フォン・リリエンタール、世界の外堀を埋めている間に、クローヴィスにするりと逃げられかけた。
「ぐっ……外堀を埋めるのはよろしいのですが……ぶふ……」
ヒースコートが笑いながらサーシャを立たせる。サーシャは一礼すると、急いで引き返そうとした――
「サーシャ、待て」
「なんでしょう、リリエンタール閣下」
近づいてきたリリエンタールは昔のようにサーシャの頭を撫で、
「よくやってくれた。そして頼むぞ」
礼を言い――久しぶりであり、初めて感情がこもったリリエンタールの掌に、
「ふ……はあ」
思わずサーシャは立ち止まってしまった。
「サーシャ、頑張ってこいよ」
「あ、はい! ヒースコート閣下。連絡はできませんが」
「分かっている。任せた」
「はい、リリエンタール閣下」
サーシャは顔を少し赤らめたまま、また全速力で駆け出し――
「サーシャが優秀で良かったですなあ」
「本当に……」
リリエンタールが引き返してきたことで、クリスティーヌが警戒心を露わにし、リリエンタールと周辺のことを嗅ぎ回っているため、クローヴィスの身辺にあまり近づくことができないでいた。
今回のクローヴィスの見合いも両親との電報のやり取りだが、内容を盗み見るようなことをすると、クリスティーヌ側に気づかれる恐れがあったので――家族間ならばなにも危険はないだろうと判断したのだが、それが間違いだったことを身を以て知るはめになった。
「王侯貴族は電報で”見合いを用意した” ”受ける”……なんてやり取りをしませんから、気づかなくても仕方ありませんが……それにしても、あなたがしてやられるとは」