【026】至尊の座を狙ったものたち・05
リリエンタールが庶民を正妻として迎える ―― そこには様々な障害がある。
その最大の難関は、現状では正式に認めてもらえないこと。
クローヴィスの前世のように、成人していたら親の許可など必要なく、書類に記入し提出し受理されたら正式な夫婦になれる……という世界ではない。
正式な夫婦とは神に誓うもので、神に誓うためには聖職者が必要になる ―― 神の代わりに聖職者が代理で受理するという形。
二人が結婚するに相応しくない場合、教皇庁は認めない。
教皇庁というのは世界の秩序を守っており「身分」は守るべきもので、これを乱すこととなる身分違いの結婚を教皇庁は認めない。それは過去が証明しており リリエンタールと庶民のクローヴィスの結婚は、世の秩序を乱すことになるので、どれほど金を積もうが到底認められない……が、
それを力でねじ伏せるのがリリエンタールだった。
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フリオはリリエンタールの命令を遂行すべく、まずはアディフィン王国を発つ前に執事にボナヴェントゥーラ枢機卿に連絡を入れてもらった。
フリオも貴族ではあるが、枢機卿と連絡を取り合うとなると、王子で司祭で昔馴染みのほうが早くて確実。
それほど早くに連絡を入れたのは、教皇にもっとも近い枢機卿なので、予定の調整に時間が掛かるだろうということで。
その後フリオはアイヒベルクには及ばないが「速い」と評するに相応しい速度でノーセロート帝国入りし、リリエンタールが年間リザーブしている高級ホテルのスイートルームに拠点を置く。
貴族としての地位と伝手を使い資料として一度袖を通してもう着ないが、まだ流行遅れではないドレスを買い集めつつ、ドレスと同じ社交界に属するエカチェリーナの情報を集めようと思っていたのだが――
[マイヤー子爵、お久しぶりです]
ホテルに到着してすぐにコンシェルジュから司祭が面会を求めていると聞かされ ―― 部屋で落ち合うことにした。
[こちらこそ、お久しぶりです、オリンド司祭。調整がつきましたか?]
ボナヴェントゥーラ枢機卿の秘書の一人、オリンド司祭が神父を五名もつれて、わざわざ足を運び連絡を届けに来てくれた……とフリオは思ったのだが、
[済みません]
挨拶を終えると司祭は深々と頭を下げた。
[……?]
[ボナヴェントゥーラ閣下は、カルロス司祭からの電報を受け取ってすぐにロスカネフ王国に向かってしまいました。お止めしたのですが……わたしなどでは、止められるはずもなく]
ボナヴェントゥーラ枢機卿は電報に目を通すと、すぐさま教皇のもとへと向かい ―― 四時間後にはロスカネフ王国行きの船……に乗るべくブリタニアス君主国行きの船に乗り込んだ。
[そうですか]
オリンド司祭の話では、僧服では目立つのでと着替え ―― クローヴィスが見たら「マフィア? マフィアだよね?」にしか見えない、黒いラインが入った白の中折れの山高帽に「ロスカネフはもう寒いだろう」といい、白いマフラーを首から下げ……その格好の聖職者を十数名連れ旅立ったという。
[直通便がないことを嘆き、帰ってきたらロスカネフ王国への直通船便を通すのだと……あの方はやるといったらやるので……]
ロスカネフ王国と教皇領の間に直通の船便はない。
[そうでしたか……]
リリエンタールがロスカネフ王国からいなくなるならば「無駄」と止めてくれそうだが、妾とロスカネフで過ごすことになりそうなので止められないなと。 ―― フリオがクローヴィスは妾ではなく、后として迎えると聞かされるのは帰国後のことなので、話を聞いた時点では「身分は低いが妾にするから協力しろ」という話し合いをしているのだろうと思っていた。
実務頑張ってくださいね……と、フリオはボナヴェントゥーラ枢機卿の秘書に優しい視線を向け見送り――「既に発ってしまったものは、仕方ない」とドレス用品の買い付けと、情報収集に集中することにした。
エカチェリーナに関する情報は、もともと住む世界が同じなのでフリオにとっては簡単なことだった。
目的の品も、情報も充分集まった ―― ドレスの職人は、流行の発信地であるノーセロートを離れたがらなかった。
【まあ行き先不明でスカウトされても、怖いっちゃ怖いか】
返事を聞く前にロスカネフ王国の名を出すわけにはいかないので「それは教えられない」と言ったら断られた。
【……ロスカネフ王国の名を出しても、断られそうだがなあ】
なにせロスカネフ王国は寒い――ノーセロート帝国にとっては、皇帝エジテージュがルース帝国侵攻に敗北した異常な寒さ……が毎年普通に襲ってくると、ルース亡命貴族が語っているので「行ったら死ぬ」と思われているためだ。
実際初年度は、フリオもその寒さに驚いたが。
ドレス作製については、出来る範囲で、帰りの車中でデザインスケッチもしたいから、スケッチブックを買って……などと計画を練っていると、ノーセロート帝国の皇帝エジテージュ二世夫妻主催のガーデンパーティーに招待された。
隠れて動いていたわけではなく、フリオは身分も有し、なによりリリエンタール直属の部下だと認識されているので、
【やれやれ、探りを入れられるのか】
そういうことも多々ある。
辞退するという選択肢はないので、きっちりとした正装を着用し、高級娼婦をパートナーとして雇いパーティーに出席した。
余談ではあるが、フリオがドレスを集めていても不思議に思われることはない。リリエンタールの配下は高級娼婦を雇う際、彼女たちの装飾品も用意し、そのまま下げ渡す ―― 急に入り用になるのが常なので、オーダーメイドを用意するわけにもいかないため、高級ドレスをリメイクしたものを渡している。
気前のいい一派なので、どの国の高級娼婦からも人気は高い。
<マイヤー子爵か>
ぞろぞろと集団を引き連れてやってきた皇帝エジテージュ二世 ―― 皇帝とはそういうものだと知っているのでフリオは気にせず、頭を軽く下げる。
<お招きいただき、感謝しております>
皇帝に対しては下げたりしないのだが、そこはフリオの主人がリリエンタールである以上、皇帝もその取り巻きも咎めたりはしない。
フリオは高級娼婦に離れるよう促し ―― 上流階級に慣れている高級娼婦は優雅に、だが素早く離れた。
エジテージュ二世は黒に近い茶色の癖毛で、父親に似て頭髪をかっちりとまとめてはいない――父親はそれがトレードマークだったので、似せているのだろうというのが衆目の意見だった。
<バイエラント大公のことだが>
成り上がり皇帝の息子であるエジテージュ二世にとって、リリエンタールは歴史ある大義名分を擁している最悪の敵。さらに言えばリリエンタール自身も大義名分 ―― ノーセロート帝国に旅行にくる程度ならばいいが、居を構えられると嫌な相手。
<閣下がここに居を構えることはありませんので、ご安心ください>
”まさかロスカネフに引き返したとは思うまい”
<そうか>
内心をエジテージュ二世と彼の取り巻きたちに悟られることなく、フリオは会話を続ける。
<なにか伝言でもおありでしたら>
<いや……特段…………ところで、共産連邦のことだが、バイエラント大公があの国から居なくなったのを好機とみて、動き出すのではないかと心配しているのだ?>
フリオが集めた情報では、イワン・ストラレブスキーがなにやらよからぬことをしているらしい……ことを、エジテージュ二世やその周辺は掴んでいるようだった。
<動くかもしれませんね>
<動いた場合は、また連合軍などを構成すべきだと思うか?>
”戦争大好き坊やは、やはりソッチを優先するか”
ノーセロート帝国に居を置いているルース亡命貴族を戦争の種火に使うのは、共産連邦にしては良い着眼点だった。戦争がしたくてたまらない、エジテージュ二世がしゃしゃり出てくる――
<連合軍ですか……そうなった場合、誰が率いることになるのでしょうね>
フリオは笑いたくなるのを我慢して、話を続ける。
<バイエラント大公が再び……であろうか?>
<どうでしょう。あの方のお考えは深すぎて分かりませんが、前回と同じように、誰もしたがらなかったら、高貴なる者の義務として引き受けてくださるかも知れません>
フリオは言外に「お前のところに総指揮官の話が持ち込まれたら、お前飛びつくんだろ?」と――さすがにエジテージュ二世もそれには気づいたようだが、
<前回わたしは若すぎたが、いまは責務を負える年齢になった>
否定はせず、むしろ「わたしがやりたいから、引き下がってくれ……と伝えてくれ」そうフリオに遠回しに伝えてきた。
取り巻きとともに去ったエジテージュをフリオは見送り、こちらの用事も済んだとばかりに高級娼婦と共にガーデンパーティーの会場から立ち去り、そのままロスカネフ王国行きの蒸気機関車……はないので、まずは神聖帝国行きの蒸気機関車に乗った。
車窓から夕暮れの景色を眺めながら、
”ティキの野郎が総司令官になったら、負けるだろうなあ”
あれはないと内心で呟く。
共産連邦が攻めてきた際に、二度目の連合軍が迎え撃つ。総司令官はエジテージュ二世――共産連邦側はエジテージュ二世が総司令官ならば、勝てると踏んでいる。
フリオから見て、エジテージュ二世はそう思われていることまでは、分かっているが、それを覆して戦争の達人だった父親の息子であることを誇示したがっているように見えた。
エジテージュ二世も悪くはない。軍人として指揮官としてならば、フリオは足下にも及ばないとフリオ自身分かっている。
だが ――
「以上になります」
「なるほど」
ロスカネフ王国に到着し報告を終えたフリオに、リリエンタールが尋ねる。
「ところでフリオ。ティキの小僧の取り巻きにモルゲンロートの小倅はいなかったか?」
「おりました。カイ・モルゲンロートが」
小倅と言っているが、カイ・モルゲンロートとリリエンタールはさほど年は変わらない。このカイ・モルゲンロートはモルゲンロート財閥の次期総裁と目されており、その彼がエジテージュ二世の取り巻きとしていたので、金の力で連合軍司令官の座に就くのだろうとフリオは踏んだ。
「そうか……フリオ。訪れぬ未来だが、ティキの小僧が総司令官の座に就いた場合、連合軍は負ける」
「そうですか」
「ティキの小僧は、わたしに勝ちたいという願望が強すぎ、全く隠せていない。それを共産連邦と死の商人に、良いように使われている。ティキの小僧はわたし以上の結果を求めるがあまり、兵士の数を少なくするだろう。少人数で大人数に勝つのは派手だからな。それを後押しするのが、死の商人が提供する新兵器だ。十数年前とは比べ物にならない兵器を用いれば、華々しい戦果を挙げられる……と踊らされたのだろう。全くティキの小僧にも困ったものだ。優秀な死の商人が、敵に武器を卸していないと無邪気に信じてしまうのだからな」
死の商人というのは、武器が売れるよう戦争をコントロールする。共産連邦に武器を売らないようにという協定は結ばれているが、
「ですが、共産連邦に武器を売るのは禁止されているはずです」
「武器は売っていないな。ただ少し手を加えれば武器のパーツになるものを売っている」
抜け穴というものは、どこにでもある。
「なるほど」
「カイ・モルゲンロートには死んでもらう」
「然様で」
「カイもティキと同じで、自分が思っているほど上手くはない……そうだ、フリオ、そんなことより大事な話がある」
「なんでしょう」
「あの娘、イヴ・クローヴィスを后として迎えることにした。イヴァーノに話は通したので、神前で大々的に結婚式を挙げる……まあ、まだあの娘にはなにも話していないが結婚はする。よってドレスの材料を集め、デザインをしろ」
「………………ご結婚なさると」
「そのつもりだ」
「おめでとうございます。それで、いつ頃ですか?」
「細かいことを片付けて娘と恋愛するから、その後だ」
「………………」
フリオはリリエンタールの喋っていることが分からないのは、良くあることだが――
「恋愛するのとモルゲンロートに死んでもらうと言っている口調がまったく同じで……あまりの抑揚のなさに、なんの話をしているのか、全く分からなかった」
仲間にそう漏らした後、皆に労られ酒を奢られた。