【024】子爵、目撃者となる
クローヴィスを気に入ったリリエンタール。
今までの彼では考えられないことをしているものの、クローヴィスが絡まない部分に関して長年仕えているヒースコートから見ても、いままで通り。
何処まで見通しているのか? と人々に恐怖を与える世界を俯瞰する能力に翳りもないどころか、ヒースコートからすると磨きが掛かったかのようにすら見えた。
暗殺実行犯を出したフォルズベーグ国王からの謝罪を受けている時も、無表情のまま。
怒ることもなければ、賠償を求めることもない。
だから、フォルズベーグの国王は許されたと考えたようだがそれは許しではなく、もとより存在自体を無視しているだけのこと。
何かが何かしている程度の認識しかない。
むろん内容は分かっているが、リリエンタールにとっては、その程度のこと。ただこの謝罪を受けることで「帰国までの間、あの娘を手元に置ける」という策 ―― 第一王子である王太子を押しのけて王位に就きたいと考えている第二王子ウィレムが、潜入するので捕らえよとヒースコートに命令が下っていた。
「第二王子が?」
「必ずや来る」
リリエンタールが言い切ったので、侵入に関してヒースコートは疑わなかった。
「何故ですか?」
「王位が欲しいから協力して欲しいと頼みにくる」
「つまらん男ですな」
「面白みがあったり、傑物であったりしたら、お前も聞き及んでいるはずだ、レイモンド」
「ま、確かに。それを伴うということで?」
「マリーチェが使っていた車両に押し込む。その車両を使っている者たちは、相部屋に。娘はわたしの部屋に。あとは適当に割り振れ」
「あー。そういうことですか。まあどうぞ、ご随意に」
リリエンタールの言う通り、ウィレムがやってきて ―― 想像以上に優秀だったクローヴィスがウィレムをすぐに見つけて撃ってしまった。
「あの娘は、本当に優秀だな」
「クローヴィス少尉の優秀さは仰る通りですが、ウィレム王子の周囲があまりにも無能で、車掌の制服に駅帽を被せるという変装をしていたため、すぐに見破られたようです」
クローヴィスに「どこで見破ったのか?」と尋ねたサーシャからの報告に、側で聞いていたヒースコートは頷いた。
「そう言えば、弟が蒸気機関車好きで、偶に語られると言っていたな」
「はい。かなり好きなようですね。弟はロスカネフ大学法学部を出て一駅員なので、上層部としては才能の無駄使いと思っているようですが」
「幹部採用しなかったのか?」
「継父のコネで駅員採用されたうえに、昇級試験を全く無視しているようでして。蒸気機関車全般は好きなようですが、それ以外のことは特に興味がないらしく。ヒースコート閣下と同じく現場が好きなようです」
クローヴィスに近づくために調べたサーシャが苦笑いをする。
ヒースコートはロスカネフ王国を発つとき、追いかけてきた弟を思い返し ――
「たしかに現場好きそうだな。駅員としての才能はあるのだろう?」
「国内の駅名を網羅しているのはもちろん、国内路線でしたら時刻表を引くより早く、時刻表より正しいと言われるくらいには」
時刻表はたまにミスがあるのだが、クローヴィスの弟にはそれがない。
「それは大したものだ。そうそう、リリエンタール閣下、クローヴィス少尉が図らずも王族を撃ってしまいましたが」
一応一国の王子をその国で、不可抗力とはいえ傷つけてしまったので、それに関する謝罪の一つするものだが、王族相手に謝罪するようなリリエンタールではない。
「問題はなにもない」
それどころか、上品な難癖をつけて、何も無かったことにするどころか、即位式典のさい絶対に必要な盾をも取り上げた。
「何故盾を?」
「共産連邦の後ろ盾を得た誰かが、この盾を使わぬとも限らぬからな……ああ、切り崩しにくるとしたらフォルズベーグだ」
「列強と血縁ではないからでしょうか?」
ヒースコートも有爵貴族。血縁や地縁などの煩わしさと、その強固さは知っている。リリエンタールともなれば、その柵の多さは、余人に計り知ることはできない。
「王侯をあまり理解していない、共産連邦首脳部らしい選択だとは思わぬか」
共産連邦首脳部は王侯を理解していないが、王侯リリエンタールは部下となるはずだった彼らのことをよく理解している。
燕尾服を私服としてきこなし、髪をかっちりとなでつけ、足を組み座っている青い血の化け物は「庶民がどのように王家に反乱するか」も手に取るように分かっていて、収める方法も知っているのだ……ということを、ヒースコートはひしひしと感じた。一足早く退出したサーシャが持ってきたクローヴィスの鞄が後に見えるリリエンタールの元を辞し ―― 通路の反対側から入れ違いで訪れるクローヴィスを眺める。
「イヴ・クローヴィス少尉。出頭いたしました」
敬礼の動きがヴェルナーにそっくりで ―― 随分とヴェルナーが手塩に掛けて育てたのだろうなと、一目で分かるほど。
車中で話し掛け「キース閣下見たことないんですよね」とクローヴィスが言った時、ヴェルナーの本気の度合いを感じとった。
「ちょっと話があるんですけど」
そうしていると隣室のドアがあき、執事が現れ手招きされた。
「なんでしょう?」
それほど長くなることはないだろうと、立ったまま用件を尋ねる。執事のほうも、座って下さいなどとは言わず、
「あの人と、あの若い娘さんが上手くいくアドバイスが欲しいんです」
単刀直入に難しい話を持ちかけてきた。
「あなたも貴族ですけれど、少なくともあの人よりは若い娘さんの身分に近いじゃないですか」
庶民と子爵の身分は、天と地ほどの差があるが、
「もちろん殿下よりも近いですな」
子爵と王族はそれ以上の差がある。
「殿下というな……と言いたいところですが、たしかにわたしは王族です。あの人よりも感情豊かで、腹芸が苦手で臆病で……庶民に近いと思うのですが、リーンハルトやハインリヒに言わせると充分王族だと。ヴィルヘルムとかアウグストには言われたことはないんですけれどね」
リトミシュル辺境伯爵やフォルクヴァルツ選帝侯に比べると、シャルルは情緒豊かで、戦場などに向かうと、恐怖で目眩を覚える……そういう面では普通の人間だった。
ただ辺境伯爵と選帝侯は、シャルルに王の素質がないと言ったことはない ―― シャルルは即位すれば、いい統治のできる王だと二人とも分かっていて、その能力に関してはリリエンタールも認めていた。
「それはそうでしょうな……わたしとしても、首都に到着する前に、リリエンタール閣下に覚悟を決めてもらったほうが良いと考えておりますので、一時停車をお願いしたいのですが」
「どこで?」
「ロスカネフに入ってすぐの草原で。駅などないところですが、なんらかの名目を作って」
「詳細をリーンハルトとサーシャと話を詰めましょう」
ヒースコートの提案に従い、リリエンタールの許可も得ず、執事は停車を強行した。
「うぉぉ! 地面!」
「広くて気持ちいい!」
「走るぞ!」
蒸気機関車に乗り続けていた兵士たちは、周囲になにもないが自由時間を与えられ ―― 外へと駆け出し外の空気を満喫し、揺れない足下を抱きしめる。
リリエンタールは「閣下がここで一旦休憩したい」という名目での停車のため ―― サーシャとクローヴィスが天幕を張り、椅子やテーブルなどを車両から持ち出してセットし、
「あとはわたしに任せて、少尉も体を動かしてこい」
「はい!」
クローヴィスも駆け出す。
準備が整ってからリリエンタールは外へと出て、用意された椅子に腰を降ろして、青空の下、草原を駆け回るクローヴィスを見つめる。
遠景の万年雪に覆われた切り立った鋭い山、天気は良いが秋の訪れを感じさせる日差しと、こちらも秋が近づきやや褪せた草原。
細い白い雲が僅かに重なる空の下、クローヴィスは他の兵士たちと組み手をする。
「楽しそうだな」
まだ包帯は巻いているが、すっかりと腫れの引いた顔は、自由に表情を作ることができ ―― 笑顔を浮かべていた。
「そうですな」
座っているリリエンタールの護衛をかねて隣に立っているヒースコートも、同じく部下たちとクローヴィスの楽しそうな姿を眺める。
「レイモンド。お前はあの娘を妾に迎えることには反対しているようだが」
「はい。何度でも言いますが、自立し未来ある、若くて輝かんばかりの美貌を持つ娘が、かび臭い古びた家柄の中年男の妾なんか喜んでなるとおもいますか? あなたが妾にすると言うのなら、あの娘は拒否できませんし、わたしも止めはいたしませんが、妾とするのであれば、あの美しい表情も、華麗な身ごなしもここで見納めですな」
日の下で輝くプラチナブロンド、額に巻かれている普通の包帯が意匠のある装飾品に見えるような造形美。研ぎ澄まされ、隙の無い美貌を際立たせるかのような緑色の瞳は、深い森の清冽な泉を思わせる。
イヴ・クローヴィスという人間は妾になれるような性格ではない。リリエンタールは分かっている。分かっているのだが ――
「ヒースコート、あの娘を”本来のあの娘”のまま手に入れるには、どうしたらいいのだ?」
「この上なく贅沢で難しいことを望まれますな……方法は一つだけ、一度たりとも失敗は許されませんが」
「言え」
「あの娘をあなたの側に置くのではない。あの娘の側にいることを、あの娘に認めてもらうのです」
リリエンタールはヒースコートを見上げ ――
「どうしたら認めてもらえるのだ」
「あの娘は才能は非凡、容姿に至っては比肩するものなしですが、性格は普通の娘です。愛情深い家族の元で育ち、同じような愛情溢れる家庭を望んでいます」
「家庭……」
リリエンタールの人生に家庭は存在しなかったので、言われても明確な形が思い浮かんではこなかった。
「ただの家庭ではありません。愛情のある笑いが絶えなくありながら、静かで穏やかで柔らかな空気で満たされる家庭です」
リリエンタールが目を閉じる。
語ったヒースコートだが、彼ですらリリエンタールはそれでも妾にするのだろうと思っていた。
「レイモンド」
リリエンタールは目を閉じたまま、ヒースコートが今まで聞いたことのない、感情のこもった声を出した。
「……」
「あの娘が側にいると楽しいのだが、あの娘が遠くに居て誰かと楽しげにしていると、不愉快なのだ。苛つき、まるで自分ではないような錯覚すら覚える。レイモンド、わたしはこれを嫉妬心だと思うのだが」
「ええ、嫉妬心です。この先もそれを抱えて生きていく覚悟がおありでしたら」
「ふ……」
リリエンタールが白い手袋でおおわれている手で、自らの口元を隠す。その口は、遠くで楽しげに騒いでいるクローヴィスの笑顔とは正反対の、暗さしかないものだが ――たしかにそれは笑顔だった。
「わたしには心はなかった、それに伴い感情もなかった。だが……初めて知った感情が嫉妬心とは、あの娘も罪な娘だと思わぬか? レイモンド」
ゆっくりとリリエンタールが目を開く。
「簡単なことだった。あの娘と結婚すればいいのだ…………アントン・クローヴィスという名はどうだ?」
「誰なのか、さっぱり分かりませんな……正式に結婚なさるおつもりで」
「もちろんだ」
「全ての権利を捨てて?」
貴賤結婚をした場合、子供に継承権を認められず、妻も順列最下位を受け入れなくてはならないのだが、リリエンタールは認めなかった。
「なぜわたしが、あいつらに下手にでてやらねばならぬのだ。殺せば良いだけのこと……ふっ……人を殺すのをこれほど楽しみに思う日がくるとは。万難を排してあの娘にプロポーズしよう」
目を細めてクローヴィスを見つめるリリエンタールの表情に、一切の迷いはなかった。
「一体いつになるのですか?」
「今プロポーズしても構わぬのだが、両親はいないし……その前に娘との交流を深めねば。それと、レイモンド、わたしを誰だと思っているのだ? あいつらと戦って勝つだけならば、二週間もかからぬ」
レイモンド・ヴァン・ヒースコートは言う。自分は世界の分水嶺を目撃したのだと。