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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
22/208

【022】閣下、自発的に動く

 リリエンタールの命令でフリオは布を買い付け、サーシャからのアドバイスを受けながら、クローヴィス少尉のナイトウェア作製をおこなっていた。


【貴婦人のナイトウェアは、作ったことないのよ】

【それはそうでしょう……】


 フリオ以外の仕立て屋は、フロックコートや燕尾服など男性服専門だが、フリオだけは貴人のドレス作製を偶に行っていた。

 フリオが仕立てる相手は一人だけ ―― リリエンタールの姉アディフィン王妃その人である。

 王妃からするとフリオは夫の浮気相手の子なのだが、ゲオルグ大公を父に持つ彼女にとって、夫の庶子を貴族として育てるよう指示するのは当然のことだった。

 夫であり浮気した当人である国王は決まり悪そうにしていたが、王妃は全く意に介さず。

 フリオは血を分けた国王は好きではないが、王妃には畏敬の念をいだいていた。

 そこから少々あり ―― フリオは偶にアディフィン王宮に立ち寄ったさいには、王妃のドレスを仕立てたりもしていた。

 今回は短い滞在であり、リリエンタールから「クローヴィス少尉の寝間着を作れ」と命じられ時間がなかったので、王妃には挨拶だけで済ませていた。

 そういう経験のあるフリオだが、貴婦人のネグリジェに手を出したことはないし、なにより、


【若い女性向けのドレスって作ったこと、ないのよねえ】


 初めて王妃向けのドレスを作ったとき、王妃は既に四十歳を越えており――二十代の未婚女性のドレスを作ったことはない。


【そこにフリルを足してはいかがでしょうか?】

【そうね! 任せて】


 フリオは裁縫道具を持つと、女性口調になってしまう癖がある ―― リリエンタールは仕事をしっかりとこなせるのであれば、口調も人種も性別も年齢も学歴も、そして犯罪歴も気にはしないので、許されていた。


 アディフィン王国で買えた最高級シルク ―― 色はパステルピンクしかなかったが、サーシャが「大丈夫、少尉の好きな色です」と言ったので購入し、つけられるだけフリルをつけた。その他買える生地と技術で、クローヴィスが着られるサイズの寝間着を作製し、


【よくやりました。あとはわたしが梱包しておきます】


 受け取った執事がこの短期間でよくやったと労う――これらナイトウェアが出来上がったのは、アディフィン出立寸前のこと。


【フリオ。ノーセロートにドレス用品の買い付けに行ってこい。良い職人がいたら引き抜いてきてもよい。金はいくら掛かっても構わぬ】


 贈られた当人が「この割れた腹筋(シックスパック)持ち大女に……なんて惨劇」と引きつつも喜ぶことになる、これらのナイトウェアを見て満足したリリエンタールは、次なる命令を下す。


【そして、ベッケンバウアー。ノーセロートでエカチェリーナの情報を収集しろ】


 仕立て屋フリオにはクローヴィスのドレスのために、軍人ベッケンバウアーには、重要な事件の情報収集を行うよう命令を下す。

 ”エカチェリーナ”はルースでは良くある女性の名前 ―― 誰のことか? と、記憶を探っているとサーシャがすっと派手な封筒をテーブルに置いた。

 その封筒は白地に双頭の鷲が箔押しされ、オデッサ大公と書かれていた。これだけのヒントがあれば、ベッケンバウアーは誰のことか分かった。


【エカチェリーナ……もとメルツァロフ公爵令嬢で、ストラレブスキー公爵夫人のエカチェリーナ? ですか】


 その名前が出たとき、執事は顔をしかめた。メルツァロフ公爵令嬢エカチェリーナは、リリエンタールの三人目の婚約者。

 もっとも一応初代の女王(ババア)と二番目の皇女は認めているが、三番目のこれ(・・)に関しリリエンタールは認めてはいない。


【そうだ。アレクセイの背後にいるのは、間違いなくストラレブスキーだ】


 ”アレクセイの背後にイワン? なんのことだ?”


【そうですか。では探ってまいります】


 フリオは全く話が読めず ―― 先ほどヒントをくれたサーシャも分からないといった表情。


【その他にもう一つ。イヴァーノを連れてこい】

【分かりました】


 枢機卿など「連れてこい」で連れてこられるようなものではないがイヴァーノことボナヴェントゥーラ枢機卿ならば、リリエンタールの呼び出しには、必ず応えてくれる ―― ちなみにリリエンタールはまあまあボナヴェントゥーラ枢機卿の呼び出しをすっぽかす。

 補足するとボナヴェントゥーラ枢機卿の呼び出しは十割下らない ―― 執事に言わせると「下らないって分かってるのに、良く足を運んでやりますね」だが。


【ちょっと、あなたに呼び出されたら、イヴァーノが大喜びで来ちゃうじゃないですか!】

【……】

【あなた、頼みごとがあってイヴァーノ呼び出したことないでしょう】

【あれに頼むことなどないからな】

【初の頼みごとですか】

【いいや】

【頼むんじゃないの?】

【言うことをきかなければ、滅ぼすと脅すだけだ】


 リリエンタールと執事のやり取りを聞いても、ベッケンバウアーは何をしようとしているのか分からなかったが、周囲の部下たちも分からないようなので、気にしないことにした。

 そもそも、リリエンタールが考えていることなど、分からないくらいが、凡人にはちょうどいい ―― フリオは西南へ。


 そしてリリエンタールはロスカネフ王国へ引き返す ―― 前代未聞の出来事で暫し世界の首脳をざわつかせるのだが、リリエンタール当人は何処吹く風。


<一緒にいられないのは、分かっていたことでしょう>

<分かってはいた>


 帰りの車両は、マリーチェ一行がいなくなったため客室に空きが出たので、クローヴィスは一士官として部屋を与えられた。

 もともと全く接点のない二人なので、部屋が分かれてしまうと顔を見るのにも一苦労。

 車両全てがリリエンタールのものなので、なにをしても構いはしないのだが ――


<じゃあ。こっそり見に行きます?>

<こっそり?>

<見るだけですよ。現時点で、既にあんたが伴った女が、あの娘さんに敵愾心を持ってるんですから>

<何故だ?>

<何故って……あの女、あんたのこと好きだから……だと思う>

<そんなことは、まあいい。あの娘のもとへ>

<聞いておきながら、そんなことって言い捨てやがった! わたしとしてもいいですけれど。こっそり行きますよ>


 全車両の持ち主はこっそりと ―― クローヴィスは上半身裸のヒースコートと、笑顔で話をしていた。

 どういうシチュエーションだよ! と、執事は頭を抱えたが、


<刺繍をさせているようだな。あの娘は刺繍が得意だった>


 リリエンタールはわりとまともに周囲に視線を向け ―― いつもの広い視野を取り戻しつつあった。


<着用していたのを脱いで、目の前で刺繍させながら話をするとか、さすが……>


 あまりにも凝視してしまったせいで、すぐにクローヴィスが気づいてしまい、椅子から立ち上がると深々と頭を下げたので、二人は部屋に引き返した。


<シャルル。あの娘に刺繍してもらえるような品は>

<ないです>


 リリエンタールの持ち物は、全て完璧な状態なので、刺繍を追加するような箇所は残っておらず ――


「かなり上手いです」


 クローヴィスが刺繍したシャツを着てリリエンタールのもとへとやってきて、ヒースコートは裾を出して見せた。


 リリエンタールはシャツの裾を掴み ―― 事情を知らない人が見ると、名残惜しさを隠さずヒースコートのシャツの裾を掴んで離さないリリエンタールという、


「世界でもまれに見る馬鹿馬鹿しくも悲しい絵面。わたしの胸が張り裂けそうなので、止めてください」


 執事が首を振るような状況に。

 ヒースコートはシャツを着直し、


「ところでリリエンタール閣下。ベッケンバウアーに語っていたアレクセイとは、ロスカネフの王族でもあるアレクセイ皇子ですか?」


 気になることを尋ねた。


「ああ、そうだ」

「イワン・ストラレブスキーとアレクセイ皇子が組んだところで、なにも出来ないと思うのですが」

「その背後に共産連邦がいる。おそらく書記長リヴィンスキーと元帥のクフシノフ」


 リリエンタールは淡々と答えた。

 腕を組んでいたヒースコートは自分の顎を軽く撫でてから、


「いままで接点がなかった庶民がやりそうなことですね」

 

 貴族や皇族がどのようなものなのか知らない元庶民がやりそう(・・・・)だなと ―― 貴族が貴族だったとき、皇族が皇族だったときのことを知っているマルチェミヤーノフやヤンヴァリョフは、このような案は出さない。


「それでアレクセイ皇子を使ってなにを?」

「共産連邦の隠れ蓑になる国を作らせるのであろう。王政で共産連邦とは関係ないと言えば、他の国は頷かざるを得ない。国が作られている時点では、内政干渉不可の条約があるため手をだせず、国が出来てからあまりにも追い詰めると共産連邦に鞍替えする。かといって追い詰めねば、それを隠れ蓑にして国を富ませる」


 内政干渉 ―― 共産連邦以外の国に攻めこまれた場合、国が助けを求めない限り救援は来ず、また助けを求めても必ず助けてもらえるものではない。それは内政に干渉されることを嫌った各国が作った国際法。


「共産連邦にとって、良いこと尽くめですな」


 共産連邦はこの国際法と対共産同盟を絡めて作戦を立てた。


「そうだな……だが、イワンとアレクセイがそこまで上手に動けるかどうか」

「部下を使えばよろしいのに。フランシスのような部下もいるのでしょう?」


 この作戦の軸でもある「王族」

 これだけは、優秀な偽物で代用することはできなかった。王として立つということは、リリエンタールと顔を合わせることは避けられない。

 その時、諜報部員だと見破られてしまったら ――


「傀儡がわたしと顔見知りでは、偽物かどうかすぐに見破られてしまうと考えたのであろうよ。実際は見破っても、わざわざ指摘はしないのだが」


 本物を立ててもリリエンタールが「違う」と言えば、偽物になる。彼が認めなければ、青い血を引いているとは認められない。(いにしえ)の血 ―― 青い血の源流とも言える家柄の当主の意見は、階級社会において絶対であり唯一。


「倒れるまで、鑑賞なさるおつもりで?」

「そのつもりだったが、ロスカネフ王国にも被害がでそうだ。そうなれば軍人であるあの娘が忙しくなるであろう。それは避けたいので、少しばかり動くことにした」

「あなたが? 自発的に?」


 ヒースコートは驚き、そして笑って部屋を出ていった。


「レイモンド、そのシャツを寄越せ」

「気が向きましたら」


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