【022】閣下、自発的に動く
リリエンタールの命令でフリオは布を買い付け、サーシャからのアドバイスを受けながら、クローヴィス少尉のナイトウェア作製をおこなっていた。
【貴婦人のナイトウェアは、作ったことないのよ】
【それはそうでしょう……】
フリオ以外の仕立て屋は、フロックコートや燕尾服など男性服専門だが、フリオだけは貴人のドレス作製を偶に行っていた。
フリオが仕立てる相手は一人だけ ―― リリエンタールの姉アディフィン王妃その人である。
王妃からするとフリオは夫の浮気相手の子なのだが、ゲオルグ大公を父に持つ彼女にとって、夫の庶子を貴族として育てるよう指示するのは当然のことだった。
夫であり浮気した当人である国王は決まり悪そうにしていたが、王妃は全く意に介さず。
フリオは血を分けた国王は好きではないが、王妃には畏敬の念をいだいていた。
そこから少々あり ―― フリオは偶にアディフィン王宮に立ち寄ったさいには、王妃のドレスを仕立てたりもしていた。
今回は短い滞在であり、リリエンタールから「クローヴィス少尉の寝間着を作れ」と命じられ時間がなかったので、王妃には挨拶だけで済ませていた。
そういう経験のあるフリオだが、貴婦人のネグリジェに手を出したことはないし、なにより、
【若い女性向けのドレスって作ったこと、ないのよねえ】
初めて王妃向けのドレスを作ったとき、王妃は既に四十歳を越えており――二十代の未婚女性のドレスを作ったことはない。
【そこにフリルを足してはいかがでしょうか?】
【そうね! 任せて】
フリオは裁縫道具を持つと、女性口調になってしまう癖がある ―― リリエンタールは仕事をしっかりとこなせるのであれば、口調も人種も性別も年齢も学歴も、そして犯罪歴も気にはしないので、許されていた。
アディフィン王国で買えた最高級シルク ―― 色はパステルピンクしかなかったが、サーシャが「大丈夫、少尉の好きな色です」と言ったので購入し、つけられるだけフリルをつけた。その他買える生地と技術で、クローヴィスが着られるサイズの寝間着を作製し、
【よくやりました。あとはわたしが梱包しておきます】
受け取った執事がこの短期間でよくやったと労う――これらナイトウェアが出来上がったのは、アディフィン出立寸前のこと。
【フリオ。ノーセロートにドレス用品の買い付けに行ってこい。良い職人がいたら引き抜いてきてもよい。金はいくら掛かっても構わぬ】
贈られた当人が「この割れた腹筋持ち大女に……なんて惨劇」と引きつつも喜ぶことになる、これらのナイトウェアを見て満足したリリエンタールは、次なる命令を下す。
【そして、ベッケンバウアー。ノーセロートでエカチェリーナの情報を収集しろ】
仕立て屋フリオにはクローヴィスのドレスのために、軍人ベッケンバウアーには、重要な事件の情報収集を行うよう命令を下す。
”エカチェリーナ”はルースでは良くある女性の名前 ―― 誰のことか? と、記憶を探っているとサーシャがすっと派手な封筒をテーブルに置いた。
その封筒は白地に双頭の鷲が箔押しされ、オデッサ大公と書かれていた。これだけのヒントがあれば、ベッケンバウアーは誰のことか分かった。
【エカチェリーナ……もとメルツァロフ公爵令嬢で、ストラレブスキー公爵夫人のエカチェリーナ? ですか】
その名前が出たとき、執事は顔をしかめた。メルツァロフ公爵令嬢エカチェリーナは、リリエンタールの三人目の婚約者。
もっとも一応初代の女王と二番目の皇女は認めているが、三番目のこれに関しリリエンタールは認めてはいない。
【そうだ。アレクセイの背後にいるのは、間違いなくストラレブスキーだ】
”アレクセイの背後にイワン? なんのことだ?”
【そうですか。では探ってまいります】
フリオは全く話が読めず ―― 先ほどヒントをくれたサーシャも分からないといった表情。
【その他にもう一つ。イヴァーノを連れてこい】
【分かりました】
枢機卿など「連れてこい」で連れてこられるようなものではないがイヴァーノことボナヴェントゥーラ枢機卿ならば、リリエンタールの呼び出しには、必ず応えてくれる ―― ちなみにリリエンタールはまあまあボナヴェントゥーラ枢機卿の呼び出しをすっぽかす。
補足するとボナヴェントゥーラ枢機卿の呼び出しは十割下らない ―― 執事に言わせると「下らないって分かってるのに、良く足を運んでやりますね」だが。
【ちょっと、あなたに呼び出されたら、イヴァーノが大喜びで来ちゃうじゃないですか!】
【……】
【あなた、頼みごとがあってイヴァーノ呼び出したことないでしょう】
【あれに頼むことなどないからな】
【初の頼みごとですか】
【いいや】
【頼むんじゃないの?】
【言うことをきかなければ、滅ぼすと脅すだけだ】
リリエンタールと執事のやり取りを聞いても、ベッケンバウアーは何をしようとしているのか分からなかったが、周囲の部下たちも分からないようなので、気にしないことにした。
そもそも、リリエンタールが考えていることなど、分からないくらいが、凡人にはちょうどいい ―― フリオは西南へ。
そしてリリエンタールはロスカネフ王国へ引き返す ―― 前代未聞の出来事で暫し世界の首脳をざわつかせるのだが、リリエンタール当人は何処吹く風。
<一緒にいられないのは、分かっていたことでしょう>
<分かってはいた>
帰りの車両は、マリーチェ一行がいなくなったため客室に空きが出たので、クローヴィスは一士官として部屋を与えられた。
もともと全く接点のない二人なので、部屋が分かれてしまうと顔を見るのにも一苦労。
車両全てがリリエンタールのものなので、なにをしても構いはしないのだが ――
<じゃあ。こっそり見に行きます?>
<こっそり?>
<見るだけですよ。現時点で、既にあんたが伴った女が、あの娘さんに敵愾心を持ってるんですから>
<何故だ?>
<何故って……あの女、あんたのこと好きだから……だと思う>
<そんなことは、まあいい。あの娘のもとへ>
<聞いておきながら、そんなことって言い捨てやがった! わたしとしてもいいですけれど。こっそり行きますよ>
全車両の持ち主はこっそりと ―― クローヴィスは上半身裸のヒースコートと、笑顔で話をしていた。
どういうシチュエーションだよ! と、執事は頭を抱えたが、
<刺繍をさせているようだな。あの娘は刺繍が得意だった>
リリエンタールはわりとまともに周囲に視線を向け ―― いつもの広い視野を取り戻しつつあった。
<着用していたのを脱いで、目の前で刺繍させながら話をするとか、さすが……>
あまりにも凝視してしまったせいで、すぐにクローヴィスが気づいてしまい、椅子から立ち上がると深々と頭を下げたので、二人は部屋に引き返した。
<シャルル。あの娘に刺繍してもらえるような品は>
<ないです>
リリエンタールの持ち物は、全て完璧な状態なので、刺繍を追加するような箇所は残っておらず ――
「かなり上手いです」
クローヴィスが刺繍したシャツを着てリリエンタールのもとへとやってきて、ヒースコートは裾を出して見せた。
リリエンタールはシャツの裾を掴み ―― 事情を知らない人が見ると、名残惜しさを隠さずヒースコートのシャツの裾を掴んで離さないリリエンタールという、
「世界でもまれに見る馬鹿馬鹿しくも悲しい絵面。わたしの胸が張り裂けそうなので、止めてください」
執事が首を振るような状況に。
ヒースコートはシャツを着直し、
「ところでリリエンタール閣下。ベッケンバウアーに語っていたアレクセイとは、ロスカネフの王族でもあるアレクセイ皇子ですか?」
気になることを尋ねた。
「ああ、そうだ」
「イワン・ストラレブスキーとアレクセイ皇子が組んだところで、なにも出来ないと思うのですが」
「その背後に共産連邦がいる。おそらく書記長リヴィンスキーと元帥のクフシノフ」
リリエンタールは淡々と答えた。
腕を組んでいたヒースコートは自分の顎を軽く撫でてから、
「いままで接点がなかった庶民がやりそうなことですね」
貴族や皇族がどのようなものなのか知らない元庶民がやりそうだなと ―― 貴族が貴族だったとき、皇族が皇族だったときのことを知っているマルチェミヤーノフやヤンヴァリョフは、このような案は出さない。
「それでアレクセイ皇子を使ってなにを?」
「共産連邦の隠れ蓑になる国を作らせるのであろう。王政で共産連邦とは関係ないと言えば、他の国は頷かざるを得ない。国が作られている時点では、内政干渉不可の条約があるため手をだせず、国が出来てからあまりにも追い詰めると共産連邦に鞍替えする。かといって追い詰めねば、それを隠れ蓑にして国を富ませる」
内政干渉 ―― 共産連邦以外の国に攻めこまれた場合、国が助けを求めない限り救援は来ず、また助けを求めても必ず助けてもらえるものではない。それは内政に干渉されることを嫌った各国が作った国際法。
「共産連邦にとって、良いこと尽くめですな」
共産連邦はこの国際法と対共産同盟を絡めて作戦を立てた。
「そうだな……だが、イワンとアレクセイがそこまで上手に動けるかどうか」
「部下を使えばよろしいのに。フランシスのような部下もいるのでしょう?」
この作戦の軸でもある「王族」
これだけは、優秀な偽物で代用することはできなかった。王として立つということは、リリエンタールと顔を合わせることは避けられない。
その時、諜報部員だと見破られてしまったら ――
「傀儡がわたしと顔見知りでは、偽物かどうかすぐに見破られてしまうと考えたのであろうよ。実際は見破っても、わざわざ指摘はしないのだが」
本物を立ててもリリエンタールが「違う」と言えば、偽物になる。彼が認めなければ、青い血を引いているとは認められない。古の血 ―― 青い血の源流とも言える家柄の当主の意見は、階級社会において絶対であり唯一。
「倒れるまで、鑑賞なさるおつもりで?」
「そのつもりだったが、ロスカネフ王国にも被害がでそうだ。そうなれば軍人であるあの娘が忙しくなるであろう。それは避けたいので、少しばかり動くことにした」
「あなたが? 自発的に?」
ヒースコートは驚き、そして笑って部屋を出ていった。
「レイモンド、そのシャツを寄越せ」
「気が向きましたら」