【205】廃太子シャルルの頼みごと
司令本部所属のヴェルナーから「大至急、首都へ」との連絡が届いた西方司令部を預かっているヴァン・イェルムは、大急ぎで命令に従った。
「この時期に、詳細もなく呼び出しとは一体」
副官の質問はヴァン・イェルム本人も思っていることだが、全く心当たりがなく――無事に到着した首都の中央駅にはヴェルナーの部下と、
「久しぶり」
「お久しぶりです、司令官代理閣下」
「アルドバルドでいいよ」
「テサジーク侯爵と」
男性秘書を連れたテサジーク侯爵がおり、ヴァン・イェルム一行を出迎えて、王宮へと向かった。
「待っていた、イェルム」
王宮では国王のガイドリクスに出迎えられ、
「到着したばかりで悪いのだが、人に会って欲しい」
「かしこまりました」
国王の護衛のヴェルナーと共に、そのまま王宮の大聖堂へ――そこには、司祭の正装をしたシャルルと、二名の異端審問官。そしてアディフィン軍の軍服を着用したフリオがいた。
その他に大聖堂を案内しているシュルヤニエミ男爵と、既に大聖堂にいるテサジーク侯爵とその秘書。
――いつの間に先回り……王宮に関しては、陛下より詳しい王家の影だからこそか……いや、中央駅で会ったテサジークとその秘書と、この場にいるテサジークと秘書が同一人物だという…………考えるのはやめよう
「どうやら宗教絡みの話のようだ。お前たちはここに残れ」
「はい、閣下」
ヴァン・イェルムは伴った部下を大聖堂の外へと残し、
「お待たせした、カルロス司祭」
「気にしなくていいぞ、ガイドリクス」
国王と司祭が挨拶をしている側で深く頭を下げ――大聖堂から繋がる神父の部屋に入り、華美を一切排除した、造りがよく手入れが行き届いている椅子に腰を降ろす。
もちろん腰を降ろしているのは、国王と司祭カルロスだけで、他の者たちは直立不動の姿勢。
「カルロス司祭のご指示に従い、イェルムを呼び出しましたが」
ここまで一切何も聞いていなかったヴァン・イェルムは、この呼び出しが教会側からの命令だと――ガイドリクスの言葉で初めて知った。
「異端審問官の失態で、被害を拡大させ、本当に申し訳なかった」
そんなヴァン・イェルムを他所に、カルロス司祭ことシャルルは話を続ける。
「それに関しては、もうリリエンタールから謝罪を貰っているので、これ以上は」
レアンドルの一件に関しての和解は、報告を聞いたガイドリクスが思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど、見事な和解だった。とくにリリエンタール「が」キースの性格をよく理解していること、またキースも自分の性格をリリエンタールに正しく把握されていることを理解しており――キースの性質に合った結果がもたらされた。
完璧な和解のあとの過剰な謝罪は、軋轢を生むことを知っているガイドリクスが「もうそれ以上は……」とシャルルを止めようとする。
「分かってる、ガイドリクス。でもさ、ちょっと違う筋からなんだ。イェルムなんだけど、改名してくれない?」
そんな彼らを無視するように、いきなりヴァン・イェルムに改名を持ちかけるシャルル――事情は何一つ分からないヴァン・イェルムだが、改名の為に呼ばれたのだけは理解し、その後、シャルルのお供の軍人・フリオからの説明があった。
それらを要約すると「教皇庁側としてもお詫びをしたいので改名してくれ」ということ。
要約の内容を説明すると、今回のレアンドルの一件は全てリリエンタールが収めた。
「リリエンタール閣下の手腕を持ってすれば、これらの一件の後始末など簡単なことで、報告書だけが猊下の元に送られたのですが、猊下がこの一件をいたくお気になさり、お詫びをしたいと連絡が届きまして」
――廃太子が司祭の恰好で来やがったから、その筋だとは思ったが、筆頭拝金枢機卿の上か……
ヴェルナーは内心ですら悪態をつけず――その筋から「謝罪したい」と言われたら、ロスカネフ王国としては拒否のしようがない。
「そうは言っても、政府や軍に詫びをねじ込む隙間とか、もうないじゃない」
リリエンタールの仕事の速さと正確無比なことは、誰もが知っている――それを間近で見て知っているシャルルが、呆れたように語る。
「そうだね」
「だから、あいつに”どうにかしろよ”って言ったら、なんて返してきたと思う? フランシス」
「”気にするな”とか?」
「さすがフランシス、近い。”放置しておけ”だよ」
「放置? いやー遠いと思うよ、シャルル君」
「そうかな? わたしは同じだと思うけど。あいつがほぼ全ての王族に対して”放置しておけ”なのは、わたしも身を以て知ってるけど、教皇にまで放置は酷いだろ」
”王族を放置なさっているのですか……陛下が放置されないのは、イヴ君のお陰か”――士官学校時代の息子の実科を、何度も助けてくれたクローヴィスの存在の大きさに、シュルヤニエミ男爵は更に感謝する。
ちなみに息子のジークフリートは実科が苦手で、かといって座学が飛び抜けて優れていたわけでもなく――実科でグループを作る時、クローヴィスと組むことができた結果、一位を取ることができ、その年の実科をぎりぎりで切り抜けたことがあったのを聞いていた。
「そうだね。でも猊下は、放置されてもお許し下さるんだよね」
「うん、教皇は笑って許してくれるけど、お前たちは困るだろ?」
「困るには困るけれど、どう困るのかは分からないな。それで、ウルファンシャディ君の改名することに?」
「そう。他はどうにもならないけれど、聖職者が関わるヤツだから、教皇も納得して下さる。イェルムを選んだのは、地位の高い軍人だから。いずれ教皇に”ありがとうございます”って挨拶に出向いて貰う際に、貴族で将校ってちょうどいいだろ?」
「そうだね」
「ガイドリクスの改名も考えたんだけど、さすがに国王の改名を許可なく通すのは、国家の主権がどうのこうの……の域を超えてしまうから、司令官のイェルムが宜しいでしょうってレイモンドから提案があったんんだ」
レイモンドことヒースコートの愉しそうな笑顔が、全員の脳裏を過ぎる。
――あいつにいろいろと言いたいことはあるが、あいつがイェルムの名を出さなかったら、この廃太子は陛下のお名前を変える方向に進んでいただろうな……リリエンタールと同じく、態度や思考が大国の支配者でいやがる
ヴェルナーはヒースコートの提案に感謝はしたが「それはそうと、事前に言いやがれ、ヒースコート」――表情は一切動かさなかったが。
シャルルの話が終わったので、フリオが鞄から書類を取り出す。
そこには「ユハニ・ミカ・カール・ヴァン・イェルム」と書かれていた。
「イェルム家伝統の男名ユハニに、普段使用しているミカ、この二つが霊名で、カールが洗礼名。他に希望があるなら言え」
パレ王家の伝統的な男児の名を連ねたシャルルは笑い、ロスカネフ王国側は互いに視線をかわし――ヴァン・イェルムはありがたく、新しい名前を受け取った。
「これで教皇も納得してくれるはず。納得してくれなかったら、もう少し改名していいか? ガイドリクス」
「それは構わないかと。テサジーク、オカルト由来の名前を持った貴族は何名だ?」
「陛下を含めて、138名ですよ」
「そうか……改名に素直に従うのは?」
「91名になります」
ガイドリクスの問いにすらすらとテサジーク侯爵は答え――普段は信用ならないと言われるのだが、今回は誰もが全面的に信用していた。
「91名か。そのリストは貰える、フランシス?」
「あげるよ」
「彼らの実家の伝統的な名前も一緒にくれる?」
「わかった。あとで届けさせるね」
「リストと引き替えに何か欲しかったら、言って」
「なにかって何?」
「何でも」
「何でも?」
「うん。あいつに丸投げするだけだから。なんでもいいよ」
「結局リヒャルトか。リヒャルトは怖いから、あまり頼みたくないんだよね」
「なに言ってるの。そうそう、最後に。ロドリックがシュルヤニエミ男爵の息子に庇って貰ったそうで、そのお礼を言いに来たんだ。ほら、言えよ」
シャルルの言葉に動いた異端審問官の一人が、もう一人の異端審問官の頭巾で隠れている頭部を鷲掴み、腰を折る勢いで頭を下げさせた。
「いでっ! だっ! 先日は、男爵のご子息に助けていただき、誠にありがとうございました。ご子息に直接お礼を申し上げたかったのですが、先日の失態により、わたくしは外出等が制限され、直接お伺いすることが叶わず、司祭のお手を煩わせる形を取った次第です」
――息子が庇った? 話を聞く分には、息子では手も足も出ないどころか……目視で捉えるのも難しいだろう相手だった筈だが…………
いきなり話し掛けられた形になったシュルヤニエミ男爵だが、そこは上流階級に身を置いている優秀な人物ということもあり、如才ない返答を返した。
頭を押している異端審問官は、更に頭を押し、床に押し付けんばかり――”もうそのくらいで。というか、礼を言いに来ただけなのだから……”と思っている面々のことなど、全く気にせずといった口調で、
「シャルル君、ロドリック君が可哀想だから、止めてあげて」
テサジーク侯爵が「解放してあげて?」と、軽く頼む。
「引かれているから、止めなさい」
シャルルの言葉で体を起こすことができたロドリックと、押し付けていたことなど忘れたかのようなもう一人の異端審問官はスパーダ。
「よし、当初の目的を果たしたから、わたしたちは帰る。それじゃあ」
シャルルが立ち上がると、先ほどまでロドリックの頭を押し付けて下げさせていたスパーダが、再びロドリックの頭を掴み深々と礼をさせる。
「ヴェルナー、司祭のお見送りを」
「はい。陛下」
ヴェルナーはヴァン・イェルムに目配せし――シャルルが馬車に乗り込むところまで付きそった。
「わざわざ、ありがとう」
シャルルが単純に偉いということもあるが、それ以上にシャルルは歩く火薬庫なので、王宮の敷地内を無事に出て貰う必要があった。
シャルルもそのことは理解している――
「ありがたき御言葉」
「そうだ。わたしに頼みたいことがあったら、この手紙を持って城に来て」
シャルルは馬車に置きっ放しにしていた聖典に、栞のように挟んでいた封筒をヴェルナーに突き出す。
「……ありがたく、いただいておきます」
シャルルの紋章が描かれた仰々しい封筒を両手で受け取り、頭を下げ、馬車が遠ざかる音を聞き、
「頼むことはねえとは思うが」
胸の内ポケットにしまい込み、ガイドリクスの元へと戻り、手紙を受け取ったことを報告した。
「ド・パレに頼みごとをするつもりはないので、陛下がなにか入り用の場合は一声掛けてください」
「ああ。もっとも、ド・パレに頼むような出来事など、ないに越したことはないのだが」
「そうですね」
その後ヴェルナーは、ヴァン・イェルムから「テサジーク侯爵が、あの軍人とジークフリート君に助けてもらったとお礼を言いに来た異端審問官は、同じ境遇なんだよ」と言われたと教えられた。
「ベッケンバウアーと同じ境遇……ということは、あの異端審問官は、リリエンタールの姉の夫の愛人の子というわけか。王族の頂点に立つ男ってのは、なかなか大変なもんだな」
リリエンタールの姉の夫は王だけ。そのためリリエンタールと遠縁で血のつながりはあるのだが、近縁のつながりは姉の方。その姉を娶っておきながら、浮気をして子どもまで作り――ベッケンバウアーことフリオはの母親は下級貴族で父親のアディフィン国王も、愛人の子を育てるような金がなく……その他色々あったものの、王妃のマルガレータが差配し、リリエンタールに仕えられるようにした。そのこともあり、フリオは父親のことは微塵も尊敬していないが、マルガレータに対しては畏敬の念を持ち、なにかあれば救いたいと努力を怠らない。
「そうですね」
ロドリックと呼ばれた異端審問官が、どの王の息子なのか? 二人は知らないが、詳しく聞くつもりはなかった。
――必要なら、テサジークのヤツが話すだろう
「とりあえず、改名おめでとう。ユハニならすぐ馴染むだろう」
「ああ、ありがとう。陛下からも、御言葉をいただけたよ」
ヴァン・イェルムは部下に大まかなことを説明し――足取り軽く、西方司令部へと戻った。