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Eはここにある  作者: 剣崎月
第三章
205/208

【204】幸せであれ

 テサジーク侯爵は、無難に……というか、だらだらと総司令官代理を務めていた。そういう(・・・・)人物だと思われているので、誰も疑いを持つことなく、


「もっと気を抜いていいんだよ、ミカ君」

「司令官代理閣下と小官の性質はとても合うのですが、司令官閣下が帰ってきたときのことを考えると、気を抜かないことを継続しておいたほうが良いと判断いたしましたので、部下共々、今まで通りにさせていただきたく」

「真面目だねえ。やっぱり、隊長さんが真面目だからかな?」

「隊長は……真面目な方だと思います」

「まあ、女性士官って大体真面目なんだけどね。男性士官も真面目って言いたいけど、アルフォンス・レックバリ君がねえ」

「あ、はい」


 コーヒーを啜り、ゴシップ紙を机に広げながら、隊長に話し掛け、たまに従卒にも話し掛け、


「今日はバレエ鑑賞か」

「はい、演目はジゼルです」

「そうなんだ」

「プリンシパルに花束を用意しておきます」

「よろしくね。誰がプリンシパルか知らないけど」

「分かっております」


 秘書のノルバリに、代わり映えしない適当な指示を出す。


 そんな適当に見える執務を定時に終え、一度ホテルに戻り燕尾服に着替えて、バレエ鑑賞という社交を行ったあと、馬車に乗り込み社交クラブの前を通る。


「おや、イェルハルドか。乗っていく?」


 するとちょうど(・・・・)クラブから出て、タクシー馬車(キャブリオレ)を拾おうとしていた息子の「リドホルム男爵イェルハルド」と鉢合わせ、


「では乗せていただきます」


 息子も馬車に乗り込み――車輪が小石を弾き飛ばしながら、外灯の明かりに照らされる道を進む。


「お前、皇妃が作った履歴書のこと知ってる?」

「存じておりますが」

「そう。あれ、面白いよね」


 テサジーク侯爵は懐のポケットから、折りたたんだ紙を取り出し、リドホルム男爵へ差し出す。

 リドホルム男爵は受け取り開くと、それはクローヴィスが様式を決めた履歴書で、名前の欄には「カール」と書かれており、貼られている写真の顔には見覚えがあった。


「そうですね。特に視力というのが」


 カールの履歴書は視力の部分は空欄になっている。


「あの数値をどうやって出したのか? だけど、検査を受けた隊員たちに聞いたら、皇妃が表を作ったらしいね。お前、詳細知らない?」

「存じ上げません」

「やっぱり知らないか。知らないよねえ。おそらく皇妃が作り出した”視力”は特殊な能力から生み出されたものだろうな」

「特殊な能力……ですか?」

「リヒャルトが言うには、皇妃は自身が思いついたこと、自身の経験で知っていることの他に、この世界では持ち得ぬ記憶を所有し、それを語ることがあるらし。”視力”もこの記憶から生み出されたものじゃかないかな……って、わたしは考えている」

「は……あ……」


 いきなり言われたことに、理解が追いつかないリドホルム男爵。そんな彼を置き去りにして、テサジーク侯爵は話し続ける。


「預言者に近いが、預言者とは違う。だが特殊な記憶を所有している……って、リヒャルトが言ってた」

「それはオカルト、ということですか?」


 上流階級のオカルト好きは珍しいことではない――


「違うんだって。なんか、そういうものじゃなくて、皇妃は特殊な知識を所有していて、それを言葉を尽くして教えてくれている……って言ってるんだ。リヒャルトがそう言うのだから、そうなんだろうね」


 リリエンタールが他者の内心を読めるのは、リドホルム男爵もよく知っていた。そしてクローヴィスの内心はとても読みやすいことも。


「双頭の鷲が言うのですから、そうなのでしょう」

「リヒャルトはそれを天与(ギフト)だと結論づけた」

「なるほど」

「その皇妃の天与(ギフト)を使っている時と、そうではない時の見分けって、お前はつく?」

「いいえ。いま聞いて、初めて知りました」

「そっか。わたしも分かんないんだよね……そっか、見分け付かないか」


 リドホルム男爵は内心で「いや、あんたが見分けられないの、俺が見分けられるわけないだろう」と思ったが、そんなことを言おうものなら、どんな返事が返ってくるか分からないので、黙っていた――だが、リドホルム男爵としては、テサジーク侯爵が分からないのだから、分かる筈ないだろうと。


「一応、ホーコンにも聞いてみます」


 メッツァスタヤで、クローヴィスと接していた期間が最も長いオースルンドならば、何か知っているのでは……と申し出たが、もちろん期待はしておらず、オースルンドも、もちろん知らなかった。

 なによりオースルンドは前世の記憶が蘇る前のクローヴィスとは、同じ職場だったが、それ以降は別々の職場で、話をすることも稀になっていたので、知りようもないのだ。


「よろしく頼むね。あ、ちなみにさ、皇妃はリヒャルトが皇妃が知の天与(ギフト)を使っているのを理解していることは知らないから、間違っても気取られないように」

「……」

「リヒャルトからは言うつもりはないんだって。皇妃が説明してくれたら、嬉しいけれど、語りたくないのならば語らなくてもよい……なにより、そこまで心読んでるのを知られたら、皇妃が会話を恐れそうだから伝えないそうだよ」

「それは……」


 リドホルム男爵はリリエンタールと顔を合わせることはほとんど無いが、自分が考えていることは、筒抜けなのだろうなという感覚はあった。

 ”感覚だけ”と言われそうだが、リドホルム男爵も次のメッツァスタヤの当主であり、防諜のプロだが、リリエンタールの前ではどれほど情報を取られないようにしても、無理だと悟らざるを得なかった。


「リヒャルトがそういう人間だって分かっていても、怖いよね。息をしているだけで、怖い男だもん」


――あんたもな


「他人の内心を読むなど、簡単な御方ですから」


 先ほどからずっと手に持っていたカールの履歴書を、リドホルム男爵は畳む。


「そうだね。ちなみに、わたしも皇妃が天与ギフトを使っているかどうか見分けがつかないと言ったら、それはご満悦だった。皇妃の些細な違いに自分だけが気付け、他者は知らないってのが、本当に嬉しいって、勝ち誇ってた」

「あなたが本当のことを言っていると信じたのですか?」

「リヒャルトはわたしの嘘なんて、簡単に見抜くよ」

「それが、どうしても信じられなくて」

「父親として、信頼されない信頼が、とっても嬉しいよ。一生わたしのことは、信用しないように」

「あ、はい」


 リドホルム男爵が差し出した畳んだ履歴書を受け取ったテサジーク侯爵が、


「で、カールの様子はどうだった?」


 履歴書に書かれている「カール」について尋ねた。


「元気そうでした。HVSの診察によると、カールに先天的な病はないとのこと」

「カールの生母一族は、マリエンブルク(アブスブルゴル)みたいな近親婚なんて、したことないからね。カールの父親はリヒャルトの狗だもん、先天的な疾患は持ってないのは確実だしさ」


 テサジーク侯爵が作った手書きの履歴書に記載されているカールは0歳――ヴィクトリア元女王が出産した男児。

 ヴィクトリア元女王は、出産前に自身の自由と引き替えに、腹の子をリリエンタールに譲渡した。

 リリエンタール自身が胎児の時点で、母親が自由を得るためにブリタニアス王家に引き渡すことに同意し、議会の承認が下り――リリエンタールはヴィクトリア元女王にそれを語り、「だから罪悪感など感じる必要はない」と丸め込んだ。


 母親が自身の自由のためだけ(・・)に王太子にされた男本人が「引き渡されたとしても、子は恨みはしない」と言い、微笑む――その微笑みは目の前の元女王や、母親を思ってのことではない。クローヴィスが喜ぶと思えば自然に。



 リリエンタールは当人が語った通り、母親を恨んだことはないが、それはヴィクトリア元女王が思うような理由ではない。



 ヴィクトリア元女王は親権をリリエンタールに渡し、ピヴォヴァロフがリリエンタールに従わない筈はなく、生まれた子はリリエンタールの手元に渡り、洗礼を受け研究所で病気の有無を調べられ――この先、幸せな人生を送ることになっている。


「そうですね」


 ”イヴはヴィクトリアの妊娠を知っている。知らせたのはお前であろう? フランシス。例え裏切り者の女王の子であろうとも、レニューシャの子であろうとも、イヴは幸せを願う。だから普通の幸せを与える。イヴがふと気付いた時に、幸せにしていると答えられるように。わたしのイヴを使ったのだ、こうなることくらい分かっていたはずだ、フランシス。聞かれなかったら? それでも構わぬ。イヴの人生に陰りなど、あってはならない。細部に至るまで手は抜かぬ”


 リリエンタールの決定により「カール」はこれから優しい親が用意され、戦争や侵略などとは無縁の土地で、余裕のある家庭で育てられ、犯罪などとは無縁な過不足ない人生を送る――クローヴィスの幸せのために。


「カールには幸せに長生きして欲しいね、ロスカネフ王国のために」


 リドホルム男爵はその言葉に頷き、テサジーク侯爵は目を閉じた。



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