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Eはここにある  作者: 剣崎月
第三章
204/208

【203】日記帳を持つ手

「リネット・アールグレーンで間違いないってことだな」


 司令本部で殺害された、管理下にない娼婦の正体を探るよう、テサジーク侯爵から命じられていたアンブロシュは、現場に残っていた洋服から「金と時間を持て余した行き遅れ、もしくは出戻り」だと判断し、金を持っている家に行方不明になっている女がいないかと探した結果、早々とアールグレーン商会にたどり着いた。


 そこでアールグレーン商会の娘という報告をメッツァスタヤにし――裏はメッツァスタヤが取り殺害されたのがリネットだと、すぐに判明したが、組織としての後始末もある。


 少し時間を開けてから、彼らは釘を刺す。


 クローヴィスの記憶では「悪事が露見して、商会は潰れる」ことになるアールグレーン商会――クローヴィスの記憶通り、秘密が暴露されると商会としての地位を失うようなあくどいことをしている、国内トップの商会。

 その関係上、アンブロシュたちのような組織とも繋がりが深いため、


「しっかりと監督しておいて欲しいものだな」


 アンブロシュはアールグレーン商会と付き合いの深い組織の幹部と、彼の護衛五名と共にアールグレーン邸を訪れた。

 アンブロシュのことは組織のボスと一部の幹部、そしてメッツァスタヤでサラブレットと呼ばれる者たちしか知らないので、この場での話し合いは当然幹部が取り仕切る。


 アールグレーン商会の当主――リネットの父親は、幹部にリネットの売春行為について詫びる。


――落ちぶれてきたなあ


 幹部と商会長の話を流しながら、アンブロシュは応接室の端々に、没落の兆しを見つけ、


――阿片の流通を取り上げられたら、当然か。普通なら暴力で相手を黙らせるところだろうが、相手がモルゲンロートで、その背後に阿片やヘロインの産地を植民地にしている双頭の鷲がいるとなりゃあ、手も足も出ねえよな。俺たちだってどうしようもねえ


 懐具合が寂しいことを確認してから、持って来たトランクを開け、緩衝材が詰まっているトランクの中から、小さなカップを一つ取り出す。


「東洋の陶磁器です」


 カップを商会長の前に置き、値段を告げる。カップは勿論本物で、値段も妥当なもの。だがこれを言い値で買うことはない。


「では、その値段の四倍で買わせていただきます」


 商会長はアンブロシュの言い値の四倍の額を支払うと口にし――幹部はアンブロシュがウィンクしたので、四倍で収めることで良いのだと判断。その場で金を用意させ、アンブロシュが札束を数えて、緩衝材を捨てたトランクにその札束を詰め込み、


「ご購入、ありがとございました」


 美術商らしく頭を下げ、幹部と共に馬車に乗り込みアールグレーン邸をあとにする。


「……四倍程度の額で宜しかったのですか?」


 車中で幹部が口を開く。

 護衛は御者台に一人、あとは騎馬で馬車を取り囲んでついてきている。


「いまのアールグレーンには、この額以上を即金で準備するのは無理だからな」

「何度でも押しかけますが」

「要らねえ、要らねえ。ここから先は、金でどうにかなる世界じゃねえ」


 アンブロシュは胸元からシガレットケースを取り出し、向かい側に座っていた幹部は急いで胸元からマッチを取り出して擦って、煙草に火を付け、馬車内の小物入れから灰皿を取り出してアンブロシュの前に両手で捧げるように差し出す。

 その灰皿に灰を落とし、煙草の煙を吐き出しながら、


「他はいいが、この件は忘れろ。これは優しさから言ってるわけじゃねえ。お前が下手を打ったら、俺も消されるからだ」

「…………」

「下手は打たないって言いたいんだろうが、俺たちのような社会の人間と、上ってのは常識が違うから。俺たちの常識で下手を打ってなくても、上の常識から見て下手を打ってたら消される。その上がどこなのか? 教えてやってもいいが、知らねえ方がいいぞ」


――本心で言えば、俺が言いたくないだけだが。こいつの護衛が、本当にこいつの護衛かどうか? 下手なこと、言えるかよ


 アンブロシュは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


 その後、組織のボスとアンブロシュは会談し、アールグレーン商会から支払われた額と同額をボスから受け取り、


「お願いします、アンブロシュさま」

「お前、行かないか? この倍額くれてやるぜ」

「無理です。というか、そもそもあの貴人は、俺たちなんかには会って下さいませんから」

「まあ、なあ……」


 面会が出来ないのもそうだが、


――会いに行って、そのまま入れ替わってたりしたら、怖すぎるから、そういう意味じゃあ会わせたくはねえけどよ


 テサジーク侯爵と会った後のボスを信じられるかと聞かれると――一般的に言われる「人として信用ならない」とは全く別物の「人として信用ならない」状態になるので、アンブロシュは自らの心の安寧のために引き受けるしかない。


「くっそー、会いたくねえ」


 正装に着替え、金が入ったトランクを両手に持ち、テサジーク侯爵が定宿にしているホテルへ、足取り重く向かった。

 テサジーク侯爵の部屋へと案内され、


――カミラだけじゃなくて、シモンまでいやがる


 テサジーク侯爵の前で跪き、司令本部で殺害されたのがリネット・アールグレーンだと報告し、組織とアールグレーンからの詫びが詰まったトランクを開けた。


「わざわざ、お金運んでくれたんだ。ありがとね、ロスチスラフ君。でもそのお金は要らないから、君にあげるよ」


 トランクの中の札束を見たテサジーク侯爵は、和やかに微笑みながら――


「分かりました」


 失敗に対しての償いとしての金であり、金を支払ったという事実があれば、あとは必要ない――テサジーク侯爵も「金では動かない」人間だが、金で解決できると信じて疑わない人間に対し、金以外のものを求め、疑心暗鬼にさせるようなことは「必要がなければ」しない。


「これ、なんだと思う? ロスチスラフ君」


 そう(・・)言われてアンブロシュが顔が顔を上げると、テサジークは一冊の日記帳を手に持ち、少し高い位置に掲げていた。


――いつ、手に取った? 入室した時は持ってなかった。周囲にもなかった。そしていつの間に、腕をあそこまで動かした!


 アンブロシュもそれなりの世界で生きている人間なので、他者の動きには敏感。とくに腕の動きなどは、視覚の外でも気配を感じることができる。そうでなければ、生きて行けない世界に身を置いているのだが、目の前で座り話し掛けてくる人間は、それを超越している。


「……見たところ、日記帳でしょうか?」


 テサジーク侯爵の手にあるのは、装丁がしっかりとし、厚みがあり、役立つのかどうか分からない小さな南京錠が掛けられているノート。


「正解。読んでみて」


 テサジーク侯爵が差し出したので、跪いた体勢のまま近寄り日記帳を受け取る。施錠されたままだが、アンブロシュが本気で踏めば、粉々に破壊できる――が、これがどのようなものか分からないので、腕時計に仕込んでいる針を抜き解錠する。


「…………」


「リネット・アールグレーンの日記だよ。面白いでしょう。あ、ちなみにそのアードってアーダルベルト・キース総司令官のこと」


 栞が挟まっていた終わりから読み始めたアンブロシュは、アードの説明を聞き純粋に言葉を失った。


――俺が知ってる、総司令官アーダルベルト・キースじゃねえ。おまけに略称はアデルだろうが!


 リネットの日記の中では、儚げなものに例えられているキースだが、実際に会ったことのあるアンブロシュは「誰だ、これ」としか思えなかった。


「娼婦をしていた理由の補強になるから、勝手に拝借してきたんだ。関係者に証拠だって渡すんだけど、これ読んだアーダルベルト君、どんな顔するか、すっごい楽しみだよね」


――いや、あまり……というか、まったく……楽しくねえ


 同意を求められて、これほど困ることもないな……と思いながら、ページを遡る。所々に家族との確執や、疎外感などが記されていたが、キースに関する記述が異質過ぎて、それどころではなかった。


「ロスチスラフ君もこうなった経緯くらいは知りたいかと思って。リネット君が司令本部周辺で、娼婦をしていた理由は分かったね」


 テサジーク侯爵が言わんとしている「この先、似たようなのが現れるかもしれないから、排除よろしくね」ということは分かったので、


「はい」


 日記を閉じ、鍵を掛け直し頭を下げたまま日記帳を捧げるようにして返す。


――触ったか? いや、触った感触がない……


「手を離しても大丈夫だよ、ロスチスラフ君」


 顔を上げると、確かにテサジーク侯爵が日記に触れていた。持っているアンブロシュは、日記に別の人間の力が籠もった感触を全く感じなかった。

 そして手を離す――日記帳はテサジーク侯爵の手の中にあった。


「暗殺者って、こういう感覚だよ。分かった?」

「はい」


 アンブロシュは”分からないまま殺される”とはどういうものかを体感し、


――恐怖を覚えるとかいうレベルじゃねえな、あれ


 ”最早どうにもならないこと”を思い知り、体が震えるようなこともなく、トランクに札束を詰め直して店へと戻り、金庫に乱暴に放り込み――その後、司令本部周辺の見回りの監視を強め、たまに自身も足を運び、娼婦が近づかないように目を光らせた。


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