【201】亡国皇帝の虚
リリエンタールが「クフシノフをケッセルリンクの身代わりにする」と宣言し、戦争で殺害することを決め――
<すっごい難しい顔してるけど、どうしたの?>
<女子寮のリフォーム案をが思いついたので、どのように兵力を動かすかを考えていた。これには緻密な計算が必要なのでな>
――そこで兵力を動かすのが、駄目なんじゃないか?
後になって「何故、暗殺しないんだろう?」と不思議に思った執事が、話を聞きに来た所、難しい顔をしたリリエンタールが頬杖をついていて、尋ねたら「重大な案件」について、考えを巡らせていた――その兵力配置が全く役に立たないことは、軍事が分からない執事でもすぐに分かった。
<あ、そう。考えながらでいいから答えて>
<何を?>
<なんでクフシノフを暗殺しないの? 戦争より暗殺のほうが、簡単なんじゃないの?>
<ああ、それか。異教徒帝国支配の為だ。遠征軍の勝利もより素晴らしきものになるだろう>
<…………はい?>
六世紀ぶりの異教徒との戦いの総指揮官として号令を下すシャルル・ド・パレ本人は、何を言われているのか全く分からなかった。
<別にクフシノフを戦争に駆り出さずとも良いのだが、クフシノフに戦争をさせることにより、異教徒帝国が弱体化し、支配し易くなるのでな>
<…………はい?>
リリエンタールが話していることは理解できるものの、異教徒の帝国を支配するとは、遠征軍総司令官ながら聞いていなかった。
支配に関してもリリエンタールならば簡単だろうことは分かっているが「まるで分からない」
<あとは、イヴに話す時に、暗殺より戦争のほうが良いと思ってな。イヴは暗殺の類いは好まぬ>
<そこは分かる。妃殿下はそうだ。それ以外、全く分からんから説明しろ! どうせ、お前のリフォーム案なんてキースに却下されるんだから、まずはわたしの質問に対して詳細を述べろぉ!>
リリエンタールの襟首を掴み揺する……ような動きを取るシャルルだが、リリエンタールの体は全く動かない。
<分からぬのか、ベルナルド>
<分かるわけないだろう!>
シャルルの気持ちとしては、ガクガクと大きく振り回し――実際はリリエンタールの襟元が少し乱れた程度。そして夕食の時間が迫っていたので、リリエンタールもシャルルも燕尾服に着替えて食堂へと向かう。
リリエンタールは、給仕のサーシャに椅子を引かせて腰を降ろす。
シャルルは、フリオの給仕で椅子に腰を降ろした。
そして運ばれてきた食前酒に口を付けながら、リリエンタールはシャルルに対して説明を始めた。
<クフシノフを戦争で殺害するのは、ワルシャワ・エーデルワイス計画を推し進めるためだ>
<大陸縦断貿易鉄道のことだよな>
<そうだ。共産連邦側は共産連邦の者どもに整備させるのが、手っ取り早い>
パンをちぎり、口へと運ぶリリエンタールは、いつものようにつまらなさそうに説明を続ける。
大陸縦断貿易鉄道計画を再開するのは、リリエンタールにとっては決定事項。
どれだけ工期を短くし、如何に短期間でロスカネフ王国まで線路を敷くかが重要事項となっている――かかる費用に関しては、度外視している。
工期を最短にするためには、共産連邦と国境付近で戦うのが最良――共産連邦に大量の物資を運んで来させるのに、戦争が最適だった。
<クフシノフは元々商人ゆえ、物資の調達や輸送は……長けているとは言わないが、軍を維持する程度にはできる。戦争の際には、出来る限り物資を運んで来る。その大半を残したまま殺害する。壊滅を命じたのは、その為だ>
<大量の物資を運ばせるため……>
<クフシノフは物量で押すことで、どうにかできる……という考えの持ち主なのでな。大軍で押しつぶすのは悪い策ではない。兵站の力量が問われるが、クフシノフはその辺りは自信があるのだろう。ただ国内だけで物資調達を行ってしまえば、わたしに推測されると考え、クフシノフは異教徒の帝国からも物資の調達をする>
リリエンタールのグラスに、サーシャがシャンパンを注ぐ。気泡が弾ける音がグラスの中で響き――
<お前が敵の物資を丸裸にできることについては、特になにも言わないけど、なんで異教徒の帝国……そうだ、小麦を買ったって言ってたな?>
<そうだ。それにより共産連邦と異教徒の帝国に逃げ込んだカイとのパイプができた。なので、今回の物資調達もなんなく出来る>
<お前にここまで知られているなら、国内で物資の調達しても変わらないよなあ>
なんの為に異教徒の国と取引するんだよ、バレバレだぞ……と、リリエンタールと同じシャンパンを注がれたグラスを持ち、口に含み喉ごしを味わう。
<クフシノフから持ちかけなかったとしても、カイの方から持ちかける>
シャルルが「国内調達でいいだろう」という表情をしていたので、リリエンタールはそちら側からも同じような話が持ちかけられることを教える――全て教えないと、後々シャルルが教皇宛の手紙に事細かに書きかねないので。
<なんで?>
<異教徒の帝国の政敵を排除するため。スレイマンを意のままに動かすためには、排除しておきたい政敵が何名かいる。その政敵排除を共産連邦に持ちかける。なにせカイは、固有の武力を持たないのでな。カイ本人も、暗殺できるほど強くもない。傭兵を雇おうにも、それはマクシーネが許さない。いかな階級であろうとも、武力は当主のものだ>
モルゲンロートの中に、自分に協力してくれるものがいる状態だが、ここで勝手に傭兵を集めると、モルゲンロートに戻れないばかりか、母親で総帥のマクシーネが排除を命じるのは分かっていた。
さらにモルゲンロートが傭兵を雇う際の仲介役は、リリエンタールの息がかかっているのは、カイも知っている。
その為、カイはリリエンタールの支配下にない軍と渡りをつける必要があり――その相手として選ばれたのが、共産連邦だった。
<さっきお前、異教徒の帝国の弱体化って言ってたけど、この政敵排除のことか?>
シャルルだけではなく、フリオもサーシャも「共産連邦軍は、今だ皇帝のもの」にしか見えないのだが、リリエンタールより年下のカイは共産連邦に対する影響力を”身をもって”知らない。
<そうだ。多少の政治家の減少は、自分で補えると考えての行動だ。まあ、実際できるであろうよ、政治経済に関して深い知識を持っているからな>
<名将発言よりは幾分マシだけど、馬鹿にしているようにしか聞こえない>
<これは馬鹿にしたように聞こえても、仕方ないだろう。カイは国家の大臣を務めたことはないからな……まあ、わたしも国家の大臣を務めたことなどないので、カイのことをどうこう言えんが>
魚料理が乗った皿に掛けたフリオとサーシャの手が一瞬止まるも、すぐに何ごともなかったかのように二人に給仕を行う。
<いま、ロスカネフ王国の臨時宰相やってるじゃないか>
<経験を積んでおこうと思ってな>
<ほんとお前って、慢心とかないんだな>
<本気を出したこともないがな……今までは。そうそう、クフシノフだがカイから潜水艦を購入し、異教徒の帝国の潜水艦部隊と共に白海の奪取を目論むであろう>
白海はリリエンタールが所有している領海――もともとはルース帝国皇室が所有していたもの。帝国崩壊後、共産連邦が当たり前のように船を進めようとしたが、リリエンタールにより沈められ、今でもルース皇太子の所有となっている。
この白海、共産連邦の対岸の一つが異教徒の帝国、他の対岸としてはアブスブルゴル帝国。
共産連邦のアブスブルゴル帝国侵攻は、この白海を取るという目的もある。
<へー。その潜水艦とかいう兵器があったら、お前に対する勝率が上がるの?>
シャルルは潜水艦が「何なのか」分からないが、水場で戦えるものなのだろうとは分かった――が、
<むしろ下がるであろうよ>
返ってきた答えは酷いものだった。
<あのさ、相手の勝率はもともと0なんだぞ。ソレより下がるなんてことないだろう>
<わたしがより確実に、より大きな勝利を収めることができる>
<相手の勝率が0なんだから、対するお前の勝率は上がらないんだよ!>
内心で「税が無駄になるから止めて……いや、両国とも以前の支配者はアントワーヌだったなあ。税を投入して、元の支配者の完勝をサポートするってのも、皮肉で面白いか」と。
その後は、リリエンタールから壮大な女子寮リフォーム案を聞き、シャルルは被せ、流れるように却下した。
<政治も軍事も経済も、宗教も科学も文学も、なんでも分かるくせに、どうしてこうなるんだよ!>
デザートのフロマージュの皿に乗っている、ブルーチーズにフォークを刺すというマナーもなにもない行動を取りながら、シャルルが声を強めにして言い放つ。
<……>
<本当に女子寮リフォーム案、ないの? 実はあるんだろう?>
そして小首を傾げるようにし――ただし目つきが厳しく、美しい表情が強ばっているように見える。
<確実に通す方法はある>
女子寮リフォームを通す方法は、クローヴィスが寄付する形にするというもの。
<なんで、それにしないんだよ>
聞いたシャルルは確かにそれなら通るだろうと同意し、最初からなぜそうしなかったのかと尋ねると、
<イヴがキースに対して理解を深め、キースがイヴを許容するのが嫌なのだ>
一言で表すなら「嫉妬」という答えが返ってきた――リフォーム代金をリリエンタールが出すことを、キースが嫌がるとクローヴィスに伝えると「あーそうですね」と笑って同意する。クローヴィスはキースがツェサレーヴィチを嫌っていることを、理解しているし、この一件で更に理解を深める。
女子寮のリフォームを、クローヴィスの寄付という形にして、キースに伝えると「ツェサレーヴィチめ」と言いながら、クローヴィスの軍帽を払うように頭を叩き、受け入れる。背後にリリエンタールが居ることは分かっているが、それがクローヴィスの提案であることも理解しているので、キース自身の「嫌い」という感情を飲み込む。
それはクローヴィスとリリエンタールの間には、存在しない空間であり関係であり、感情。
<お前は絶対に妃殿下の上官にはなれないし、永遠に妃殿下の恩師になることもない。上官に叱られると分かっていても進言し、恩師に殴られながらも頑張ると宣言する、そんな妃殿下が好きなんだろう?>
シャルルの言葉に、テーブルに肘を乗せ頬杖をつく。
<ああ、そうだ。分かっている。分かっている。だがな……>
シャルルはブルーチーズが刺さったままのフォークをリリエンタールに向け、
<じゃあ、妃殿下に”キースとあまり話をしないで欲しい”って頼めば? 完璧の極致に教えてやるけど、人って言われないと分からないから>
すぐにフォークの向きを変えて、ブルーチーズを口元へと運び”ぱくり”と――一連の動作は、礼儀を無視したものだが、品の悪さは皆無。マナーが完璧な貴種とは、どう動いても洗練されていた。
<わたしは自然なイヴが好きなのだ。そんなこと、言えるわけなかろう>
リリエンタールは空になったワイングラスを指で弾き、グラスは大理石の床で粉々に。
<面倒くさい男だな>
<自分でもそう思う>
<お前が自分で思っているより、遙かに面倒だよ>
<そうか……女子寮のリフォームの件は、イヴにも話してそのように進める>
<ほんと、最初からそうしておけよ>
二人は立ち上がり、
<妃殿下のパリュールを確認するから、来なさい>
<イヴは何を身につけても美し……>
<知ってるよ>
食堂をあとにした。