【002】少将、動く彫刻について聞く
キースはリリエンタールからの呼び出しに応えるべく、副官のリーツマンと参謀のシヒヴォネンを伴い、蒸気機関車に乗り北方司令部から首都へと向かった。
表向きはリリエンタール主催の夜会への出席。
士官、それも将校ともなれば、社交界とは無縁では務まらない。
好き嫌いではなく、社交の場に出ることは仕事の一環。政治と軍は切っても切り離せないもの。
大臣や政治家と交流を持ち、いざと言う時は協力してもらう ―― 社交とは前線で戦う兵士たちを守るため、司令官がしなくてはならない、最重要任務でもある。
「……」
「いかがなさいました? 閣下」
手にした招待状を眺めているキースに、初めて夜会の供をすることになった副官のリーツマンが声をかけてきた。
「三ヶ月ぶりになるので、夜会のマナーを反芻していた。お前は大丈夫か、リーツマン」
”女絡みの命令か” ―― 封筒を眺めながら、下される命令を考えていたキースだが、それに関しては触れない。
目の前の若い少尉はそのことは知らない。キースは教えるつもりもない。
「閣下にご迷惑をおかけしない程度には」
「言ったが、そんなに堅苦しく考えなくていい。尉官は別室で待機だ。尉官同士なら、さほど緊張もしないだろう」
キースが出席する夜会は、この国でもっとも格の高い夜会 ―― 王族と伯爵以上の貴族、佐官以上しか会場に入ることができない。
それは供とて同じこと。
キースの夜会の護衛はシヒヴォネン少佐。尉官のリーツマンは、会場入りまで付き添い、キースたちが会場を出るまで別室で待機となる。
リーツマンは会場まで連れて行く必要はないのだが、いずれ佐官になるかも知れない青年なので、夜会の場に慣れさせてやるのも上官の仕事。
機会があれば、連れてくるのは当然の義務。
「そうですが……上流階級の方の副官となると、みな王立士官学校卒じゃないですか。やっぱり気後れします」
リーツマンは二十七歳の少尉。大学在学中に軍の入庁試験を受け、卒業後に軍部省入りした「エリートと言えばエリートだが、エリートの中では下位」という位置づけの青年。
「待機部屋には、待機部屋の順列があるのは確かだな」
リーツマンと同じルートで軍部省入りしたシヒヴォネンが”分かる”と頷く。
「それほど違うものか?」
キースはさりげなく招待状を胸元にしまい、二人と会話を続ける。
「いつも言っていますが、閣下のように十五で士官候補生になった人には分かりませんよ」
王立士官学校は軍幹部を養育する機関であり、十五歳から二十歳までが入学試験を受けることができる。
ギムナジウムを卒業する十八歳が、もっとも受験生が多く、合格者数も最多ゆえ、トップも大体この年代なのだが、とある年代の入学者がいた場合は安泰とは言えない。
彼らのトップを阻止するのは、最年少の十五歳で入学を果たす者たち。
この最年少組の壁は高く ―― 実際、軍でもっとも出世しているのは、この十五歳で士官候補生となった経歴をもつキース。
「十五で士官候補生になっても、脱落するやつもいるからな」
「入学できただけで偉人だと思います」
「それはリーツマンに同意する。よくあんな入学試験、クリアしますよね」
王立士官学校の入学試験、一次試験は筆記だけだが、二次試験は体力を重視したもので、二泊三日の間に合計100kmのランニングの他、乗馬や懸垂、腹筋、サッカーボールを45m離れたところからシュートし、ゴール内に50本決める、腰までの深さのある渓流を500m遡上するなど。
この合間に大学入学試験以上の難易度の筆記試験も行われるが、とにかく体力測定が厳しく、途中脱落せず「試験終了証」の書類をもらえるだけで、誰もが尊敬するほど。
「たしかに厳しいが、クリアできない程でもないだろう」
「まず無理ですから」
「そう言えば、三年くらい前に卒業した士官で、凄いのがいるんだったな」
キースはふと八年ほど前、士官学校の入学試験の二次試験にて「ぶっちぎり過ぎるだろ!」と ―― 当時、入学試験総監督を務めていた、口の悪い同期が言っていた士官候補生がいたことを思い出した。
「ラーネリード少尉の同期のクローヴィス少尉ですね。女性なので閣下の前で話題にし辛いのですが、たしかに”凄いの”ですね」
イェオリ・ラーネリード少尉は、キース直属の実働部隊アーレルスマイアー大佐隊にて一小隊を任されており、相応の実力を発揮しているのだが、彼が入学試験の段階で「あれには勝てません」と諦めた相手がいた。それがクローヴィス少尉。
「それほどか」
「二次試験最初のランニングで、荷物を背負いながら先頭担当の上級生を抜き去って、まさにトップで試験会場である学舎にたどり着いたくらいですからね。ちなみに受験番号、頭二桁は14です」
士官学校の二次試験は受験番号が書かれたゼッケンを着用する。ゼッケンは女子は赤、男子は黒。頭二桁は受験者の年齢を表している ―― この時イヴ・クローヴィス、十四歳。入学する九月に十五歳であればよいので、試験時は十四歳でも良いことになっている。
「ほぉ……それは、たしかに凄いな。試験監督をしたヴェルナーから、そこまでは聞かなかったが」
入学試験時のその先導は、在学でトップクラスの候補生を配置する ―― それを追い抜いたとなれば、その時点で合格に王手を掛けたようなもの。
「ヴェルナー中佐も閣下の気性はご存じでしょうから、詳しくは説明しないでしょうね。入学試験の際には、懸垂も腹筋も腕立て伏せもシュートも、男子の合格基準を楽々越えてきたそうですし。狙撃をさせたら標的の中心、10点以外に弾を当てたことがないですし、剣術の授業では普通の士官では剣先が届かないほどリーチが長く、足はそれ以上に長いので、格闘術では触れることも叶わないとか」
大卒で後方支援担当の優秀な女性士官ならば、キースの前でも話題になるが、優秀な士官学校卒の前線女性指揮官候補となれば、誰も話題に出さない。
「ラーネリードは、組んだほうが強いのでは」
「試合開始直後に、空を見ているそうです。いつ投げられたかも分からないとのこと。体が大きいのに、反射神経も抜群。去年レンジャー研修を受け怖ろしい数値を叩き出したらしいですよ。閣下の目に触れさせたくないようで、北方司令部に詳しい数値は来ませんでしたが、来年辺りヒースコート隊に配属されて、隊の動かし方を学ばせるみたいな話も」
ただ話題に出ないが、キースも全く知らないわけではない。
「そのクローヴィスは、イヴ・クローヴィスという名で、ガイドリクス大将の副官か?」
「そうです」
「ああ……見目の良さと女性だということで、ゆくゆくは女王の護衛責任者にするつもりだと、ヴェルナーが言っていたな。庶民の出なので、新人のうちに貴族に慣れさせようと、ガイドリクス大将の副官にするといっていた。自分一人で推せなかった場合は、協力してくれと言われていたが、無事に副官にすることができていたのか」
最終的には女王の護衛部隊の指揮官にしたいと、友人が言っていたのを思い出した。
部隊は指揮するが、女王の近辺警護ならば、前線ほど危険ではないので、キースとしても「良い配置だ」であり異論はない。
―― ガイドリクスの部下なら、一、二回くらいは見かけても良い筈だが……
女王ヴィクトリアの初恋の人で、先代国王から「娘が落ち着くまで中央には来ないように」と命じられ「不自由をかけているということで、出世させる」とリリエンタールに言われ、順調に出世してきたキース。
そういった事情もあり、彼は今でもあまり中央や王宮には近づかない。
さすがに軍の総司令官であるガイドリクスとは、年に五、六回は顔を合わせるのだが、その時に女性士官が近くにいた様子はなかった。
「だが見かけたことはないな」
「身体能力はどうあれ、若い女性ですから、ヴェルナー中佐が閣下に会わせないようにしてるんだと思いますよ。浮つかれると困るんでしょう」
「それを言われたら、俺としてはなにも言えんな」
全ての女が自分に惹かれるなどとキースは思っていないが、何故か女に狂ったように好かれる性質なのも、さすがに四十歳にもなれば理解している。対処法としては、会わないほうがいいことも。
「閣下と親交のあるヴェルナー中佐が、会わせず話題にもしないということは、相当見込みがあるのかと」
「シヒヴォネンから聞いただけでも、相当な逸材だものな」
終点の中央駅に近づき、蒸気機関車の速度が徐々に落ちる。
「あの、シヒヴォネン少佐」
「なんだ? リーツマン少尉」
「その人、見目いいんですか? 話を聞いていると、ごつい女としか思えないんですが」
二人の話を聞いていたリーツマン少尉は、あの厳ついラーネリード少尉でも勝てなかった女性をして「見目良い」というのが、どうしても納得できなかった。
リーツマンの疑問を聞き、キースも言われてみれば……と思ったが、あの口が悪く、若い娘相手でも「ブスにブスって言ってなにが悪ぃんだよ! このブス!」と容赦ない友人が「見目よい」と断言しているのだから悪くはないだろうが ―― 遠目で見る逞しい女性兵士たちの姿に、彼女たち以上の身体能力プラスすると、どうも見目が優れているというのが合致しなかった。
「話だけ聞いてると、どんな化け物みたいな女だと思うが……実物も大柄だが文句なしだ」
「文句なし……ですか」
「誰が付けたか知らないが”動く美青年彫刻”という渾名がある程だからな」
―― 若い娘に美青年なんて呼び名付けるの、フェルくらいのもんだろ……あの……ばかが
首都では必ず顔を会わせるので、見た目はどうあれ、女性を男と呼ぶのは止めろと注意しようとキースが思っていると、蒸気機関車は静かに停車した。