【019】子爵、才能を惜しみ保護する
「まあクローヴィス少尉の同行は許そう。レイモンド、任せた」
「分かりました。とりあえず帰りの馬車の中で話そうか、王弟さん」
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クローヴィスがヒースコートと直接会ったのは、フォルズベーグでリリエンタールが襲撃された後だが、ヒースコートは出立前にクローヴィスを確認していた。
見送りにきたという名目のヴェルナーが、ロスカネフ中央駅に伴ってやってきた。
ヴェルナーは早々にクローヴィスをオルフハード少佐と名乗っている「いつの間にやら顔見知りになっていた」サーシャに引き渡してから、燃料車両の方へと足を運ぶ。
機関士の一人に身をやつしたヒースコート ―― あまり上手くやつせていないうえに、仕事一つせずに台に腰を降ろして座っているが、国内での偽装はそれほど丁寧にする必要はないので、これで充分だった。
「あれがクローヴィスか」
「そうだ」
「驚くな、あれは」
「お前ほど捻くれていたら、驚かないと思ったが。お前でも驚くか」
リリエンタールの邸で会い馬車で話を詰めたオースルンドから「彫刻のような美貌の持ち主です」と聞かされていたので、硬質さ、冷たさを感じさせる容姿なのだろうと思っていたが ―― ヒースコートが思っていた以上にクローヴィスの容姿は近寄りがたいものだった。
母国を離れるヒースコートと母国に残るヴェルナー。
二人は互いに見下すように ―― ヒースコートは少し離れたところにいる駅員が気になった。
かなり離れた場所から、こちらをずっと見続けている黒髪の若い優男。
体格などは軍人に比べれば劣るが、人並みの体格で足は少々長め。
裡に秘めたる闘志と頼りがいと優しさ、それに穏やかながら揺るぎない知性がはっきりと見てとれた。
何処をどう見ても「ただの駅員」には見えない ―― 更にその視線は車両を見ていながら、中をうかがっているように見える。
”新手の諜報員か? いや……容姿が普通じゃないから、諜報部向きじゃないな。サーシャほどではないが、あれは容姿で不適だな。クローヴィスよりはマシだが”
自分が上手く変装できているとは思わないが、離れた場所にいる駅員に露骨に疑われるほどか? と……ヒースコートの視線を追ったヴェルナーが振り返り、
「あれは気にしなくていいヤツだ」
”当たり前だが居やがった……”と、深みがあり囁いているだけなのに、歌っているかのような美声で呟く。
「なんだ?」
「今乗り込んだクローヴィスの弟だ」
ヴェルナーにそう言われて見ると、確かに男とクローヴィスは似ていた。もちろん顔だちも色彩も似ていない ―― 精々似ているのは肌が白いくらいだが、ロスカネフ人はほとんど白皙なので、それは似ているに入らない。
男の容姿は優男 ―― どことなく優しげで、彫刻らしさなどは欠片もないが、ヒースコートには似て見えた。
「ああ、なるほど。姉が心配で遠くから見ているのか」
「ソレもあるかも知れないが、あれは……な」
珍しく歯切れの悪いヴェルナーだったが、無関係な男性はそこで途切れ、
「何処へ行くんだ?」
「知らないな」
「そうか。まあ、貴様なんぞ一生帰ってこなくていいが、クローヴィスは必ず帰せ」
「分かった。なんの調査かは知らんが、気を付けろよ、ヴェルナー」
そんな会話を交わし、機関士の格好をしたヒースコートは最後尾で腕を組み、周囲に注意を払う。
程なくしてリリエンタールの特別列車は走り出し ―― 先ほどの優男ことクローヴィスの弟が線路の上を走りながら、しばらく追いかけてきていた。
姉との別れを惜しんでいるのか? と思ったが、表情を見るからに違う気がしたものの、追ってくる理由が分からず。
サーシャに聞けば詳細を知れるのは分かっていたが、そこまでして知る必要もないだろうと。
ヒースコートは事前にリリエンタールから「クローヴィスは何か知っている」と聞かされていたので、彼なりに注意を払っていた。
人生経験豊富なヒースコートでも「前世の知識があって、ここはゲームの世界で」等は想像つくはずもないが ―― それ以外のことはよく分かった。
「惜しいな」
二等客室でヒースコートは一人思わず呟くほど。
ヒースコートが惜しんでいるのはクローヴィスの軍人としての才能 ―― 初見でヒースコートすら男と見間違った容姿は、どれほど優れていようともクローヴィスが欲していないのは遠目からでもすぐに分かった。
なによりヒースコートは、外見にはそれほど重点をおかない ―― 全く気にしないわけではないが、ヒースコートは内面も美しく、才能溢れる自立した女性を好む。
クローヴィスは充分その範囲だが、独身主義の自分が付き合っていい相手ではないことも同時に見抜いていた。
「ヴィクトリア女王……か」
せっかくの才能を生かす機会が無くなってしまうことを、ヒースコートは知っている。
ヴェルナーがクローヴィスをヴィクトリア女王の身辺警護の責任者という役職に就けようとしていたことは、聞き及んでいた。
女王の周囲を女性軍人が固めるのは、悪くない ―― 男でもいいのだろうが、家臣に恋をして周囲を焦らせたこともある女王なので、女性だけで取り囲むのは良い案だと。
だがヴィクトリアは退位し ―― クローヴィスが役職につく機会は失われてしまった。
軍で栄達し、退役まで働くつもりの女性ならば、またの機会を……となるが、ヒースコートが見る分には、クローヴィスは野心とは程遠い ―― 一般的なものよりはやや遅めながら職業婦人の適齢期がきたら親の勧めで婚約し、あっさりと軍を去り、中産階級の良き妻、良き母になるタイプだった。
ただ非常に真面目で、責務を果たす使命感なども強いので ―― 役職に就けることができたら、親の勧めを断り軍に残った可能性もある。
立ち姿、歩く姿、どれをとっても、素晴らしい身のこなしで、動き戦えばさぞや美しく強いだろうとも思うが、結婚してしまえば天性の戦う才能も封印されてしまう。
この時代の女の幸せという点ではそれが正しいとヒースコートも分かっているが、あの才能が人目に触れることなく消えてしまうのは、心から惜しいと思った。
ロスカネフ王国を去るヒースコートは、それをどうすることもできず、ただ惜しむだけ ――
だったのだが、ヒースコートも思わぬ方向からクローヴィスの才能を生かせる可能性が出てきた ―― リリエンタールである。
その美貌か才能か、あるいは謎か?
理由は不明 ―― リリエンタール自身、今だにはっきりと己の心を理解していないが、クローヴィスに興味を持った。
ならば自分にも少しはできる事があるだろうと。
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襲撃後に駅での出来事を話すと、姉のほうは、弟が駅のホームにいたことすら知らなかった。
気配に敏感なクローヴィスらしからぬことだが ―― その時クローヴィスは「国家崩壊絶対阻止」で思考が一杯なうえに「鬼教官と二人きり……」という気が引き締まりすぎて意識を失いそうなシチュエーションに「初の国外出張任務」と気負っていたため、臨時車両を見逃すようなデニスではない! という基本的なことにすら頭が回っていなかった。
「お前の弟、走って追いかけてきていたぞ」
負傷でアディフィン王国に到着するまで傷病休暇を取るよう軍医に指示されたクローヴィス。
出血したので「肉を食べて快復をはかるのです! 出血は肉で補う!」と牛の赤身肉を噛み締めるのだが、咀嚼すると縫い合わせて未だ引きつっている傷が痛み、生理的な涙をぽろぽろ流しながら食べるその姿は、ヒースコートの部下たちをして「なんか親しみやすくなった」「守ってあげたくなりますね」と ―― リリエンタールの機嫌を損ねる意見ばかりで、ヒースコートは思わず楽しくなってしまった。
ただあまりに痛そうなので、リリエンタール用の牛肉を専門の料理人に焼かせクローヴィスに振る舞った。
クローヴィスは噛まずに蕩けるステーキに驚き ―― 話をする。
「だから、あれほど線路は危ないから走るなと」
シャトーブリアンを食べ終えたクローヴィスが”奇行種でスミマセン”と謝っていたが、その言葉から弟に向ける愛情が溢れ出していた。
「あの線路は特別車両用だから、それほど危険はないだろうが」
「そうですが。そうなのですが……あっ! 痛!」
弟の行動を想像し、思わず額に手を当ててしまったクローヴィスが、ぷるぷると痛みに震える。
「それにしても希有な顔だちだな。美しいというより、奇跡的な顔だちといったほうがいい気がするな」
男寄りの容姿を全く好んでいないのが、すぐ見てとれるクローヴィスに、ヒースコートは言葉を選び称賛する。
「はぁ……ありがとうございます」
素直に照れて下を向くクローヴィスに、皇帝の寵妃は向かないなと感じもした。