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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
17/208

【017】至尊の座を狙ったものたち・01

 リヒャルト・フォン・リリエンタール

 それは人の名だが人の名に非ず。それは至尊の座と同じ意味を持つ ――


**********


 リリエンタールを狙撃し、クローヴィスに傷を負わせたのは、フォルズベーグ王国の軍人グンナル・イェーガー。

 彼がリリエンタールの狙撃を行ったのは、一重に金が欲しかったから。

 フォルズベーグ王国は公務員の給与がとても低く、給与だけではやっていけない。

 そんな職種なのになり手があるのは、賄賂と汚職が横行しているから ―― 金は与えないが、一端の権力は与え「自力で稼げ」というもの。

 特に軍は顕著で、国家規模がほぼ同じロスカネフ王国と比較して、フォルズベーグの職業軍人は五倍だが、軍事費は共通貨幣で換算すると、やや少なめ。

 当然士官の給与も少なく、副業に精を出す者も多い。

 だからグンナル・イェーガーは、狙撃を持ちかけられ、不自然ではない程度の大金を見せられ、


|前金として半額。狙撃を失敗しても、残りは支払う|

|随分と気前がいいな|

|そうだな。俺もよくは分からない|

|どういうことだ? 兄ちゃん|

|あんたと依頼主側の人間が直接話しているのを見られると困る……から、って言ってたな。その点俺は、日雇い労働者だからそれほど目立たない|

|……ま、引き受ける|


 目の前のみすぼらしい格好をした日雇いの荷運びの男と契約を結んだ ―― 軍人と荷運びが密談するのは、フォルズベーグでは珍しくない。密輸と目こぼしは日常茶飯事なので。

 軍人のグンナル・イェーガーが選ばれたのは、襲撃ポイントが険しく、軍人でなければさすがにたどり着けず、狙撃もできないから。


 グンナル・イェーガーに話を持っていった荷運びの男、ヨリック。


 ヨリックはフォルズベーグ王国を憎んでいた。特に貴族を ――

 ヨリックの父親は役場の職員だったのだが、あるとき貴族の横領の罪を押しつけられ投獄された。

 フォルズベーグ王国は公務員の腐敗は珍しいものではないので、父親の横領に関して誰もがすんなりと信用した。

 そして裁判にかけられることなく、獄死。

 本当に自殺だったかどうか、ヨリックにはわからない。死人に口なしということで横領は闇に葬られたなら良かったのだが、厚顔にも「横領金の返却」を求められ、そんな金に心当たりのない彼らは逃げ ―― 一家は離散した。

 本当に父親が横領していたのなら、隠し場所を牢に繋いだ父親を拷問して口を割らせたはずだが、そうしなかったところから、父親は横領していなかったと、ヨリックは信じている。

 離散後、厳しい生活が続き ―― 王が、専制君主制が悪いのだとヨリックは思い、そして信じた。

 搾取され貧しさに喘がなくてはならないのは、この国の王が悪いのだと。


|この国を滅ぼさない?|


 つい先日、ヨリックは娼婦にそう声を掛けられた。

 何を言っているのだと思ったが、何故か女の魅力に逆らえず ―― そのまま女が商売に使っている宿へと連れ込まれ、


|この国を滅ぼす方法を知っているの|


 娼婦の話に耳を傾け ―― 気づけば協力することになっていた。

 本当に国が滅ぶかどうかは分からないし、本当は滅ばなくてもいいが、


|彼らはあなたたちから搾取した金で、裕福な生活をしているわ|


 娼婦はヨリックが欲しい言葉をくれた。彼らは自分たちを虐げているのだから狙っても悪くはない。むしろ狙うのが当然だと ――

 グンナル・イェーガーを選んだのも娼婦だった。

 どうして選んだのかについても、聞きはしなかった ―― グンナル・イェーガーが断ったり、役所に突き出したりしてくれたら……


 馬車の中でうずくまっているヨリックは、そんなことを考えていた。


 グンナル・イェーガーは後金を取りにこなかった。

 戻ってくるのに時間が掛かっているのだろうか? くらいにしかヨリックは思ってはいなかった。

 生活に追われるヨリックがグンナル・イェーガーのことを考える時間は少なく、その日も日雇いで荷物を運ぶ仕事をしていた。


 そこに四頭立ての黒塗りの箱型馬車が通りかかり、勢いよくドアが開き、中から伸びてきた腕に襟首を掴まれ引きずり込まれた。


|…………っ!|


 驚きで叫び声を上げることもできなかったヨリックは、肩に強い衝撃を受け ―― ヨリックを引きずり込んだ人物が、ヨリックの肩を足で押していた。その力は凄まじく、肩が軋み痛みに何が起こっているのか分からなく、


|声を出してもいいが、この馬車に近づくヤツがいるとも思えんがなあ|


 激痛に耐えながら話し出した人物のほうを見る ―― 黒い眼帯がヨリックの目に飛び込んできた。


|……|


 日々の生活に追われているヨリックは、黒い眼帯の男が誰なのかは分からなかったが、身分が貴族なのは一目で分かった。自分の肩を踏みにじっている軍靴には、一つも傷が無い ――


|よう、ヨリック・エンデ。わたしの名前はヴィルヘルム・フォン・バルツァー。隣国アディフィンでリトミシュル辺境伯爵ってのをやってる|


 リトミシュル辺境伯はヨリックの肩を押す足に力を込める。


|な、なんで……|


 隣国の貴族に、唐突にこんなことをされる覚えはなかった。


|アントンを殺そうとしただろう? 死んじゃいねえけどな|

|アン、トン?|

|リヒャルト・フォン・リリエンタールのことだ|


 ああ、襲撃は失敗したのか……ヨリックはやっと結果を知ることができた。


|犯人だから……|

|これから死ぬお前には、どうでもいいことだ|


 肩を押さえつけていた足を下ろしたリトミシュル辺境伯は、ヨリックの喉に手をかけ、


|じゃあな|


 穏やかな表情のまま手に力を込めた。


”助けて。誰か! 神よ助けてください!”


 その時ヨリックは、父親を失って以来初めて神に祈る。

 すると馬車のドアが乱暴に開き、


[お久しぶりですね]


 年を取った神父が聖印を手に頭を下げた。


[なんだ、スパーダ。獲物は早い者勝ちと決まっているだろう]


 ヨリックの首を締めていた手の力が少し緩み、スパーダが笑顔で馬車に乗り込んできた。ドアが再び閉められると、リトミシュル辺境伯は完全にヨリックから手を離し ―― それと同時に拳が飛んできて、ヨリックは顎を強かに殴られ、周囲がぐるぐると回り出す。


”神父? いま神父がなぐ……”


 神を信じかけたヨリックの精神を砕く暴力 ―― 服に手をかけたスパーダは、床にたたき付け、頭に足を置いて踏みつける。


[神父さまの躾けは厳しいね]


 リトミシュル辺境伯もうずくまっているヨリックの背中に足を置き、同じように踏みつける。


|げふ……|

[こうやって何人も躾けてきましたからね。不良聖職者を]

[大体死んでるよな]

|あ……あ……|

[彼らは神の元で修行をしたくて、早々に旅立っただけですよ]

[ものは言いよう。それで、いきなりなんだ?]


 学がないヨリックは二人が何語(古帝国語)で話しているのかは分からない ―― 分かったとしても、このシチュエーションでは理解するまで意識が回ることはなかっただろうが。


[シシリアーナ(リリエンタール)枢機卿直々のご命令です。それ(ヨリック)を殺すな……と]

[誤報じゃなくてか?]

[わたしも間違いだろうと思って連絡を取りましたけれど、間違いではないそうです]

[アントンが自分を暗殺しようとした相手に興味を持つなんて、あり得ないだろう]

[暗殺以外でもあり得ないのですが……シャルルがいうには、何かに興味を持ったらしく]

[本当か?]

|ぐげ……|


 リトミシュル辺境伯が身を乗り出すと、必然的にヨリックに乗せている足に力が入り ―― 窮屈な体勢で踏まれているヨリックは、哀れな叫び声を上げるが、無視されたまま。


[シャルル自身”わたしも混乱しているから、帰国後に”という連絡がありました]

[帰国? どこに? アントンが帰国する国なんて、あったか?]


 シャルルやリリエンタールが帰る国はない。そのことを辺境伯爵はよく理解していた。


[ロスカネフだそうです]

[はあ?]

[あなたとの会話は色々面倒なので、はっきりと言いますが、ここまでの話、そしてこれから語る内容、全て神に誓って本当です。この聖印にかけて]


 狂信者と名高いスパーダが神に誓うと言い、聖印に口付ける ―― リトミシュル辺境伯としては信じがたい内容だが、真実だということも分かっているので、


[じゃあコイツ(ヨリック)を連れていくのか]


 手を引くしかなかった。

 その意を込めてヨリックの背中から足を退け、組み直す。


[いいえ。シシリアーナ(リリエンタール)枢機卿閣下が、わざわざここに足を運ぶそうです]

[…………そりゃまた]

[王から謝罪を受けてやるという名目で一泊するそうで。その際にこれと対面を希望なさっております]


 リトミシュル辺境伯は少し考え、


[ブルーキンク(フォルズベーグ王)如きに会ってやるような男じゃないが、ブルーキンク(フォルズベーグ王)は気づかないのだろうな]


 天性の政治家は「この国、長くないな」……と判断を下した。


[ええ。謝罪を受け入れてくれたと、安堵しているようです。まだ面会してもいないのに。そもそも、シシリアーナ(リリエンタール)枢機卿閣下と直に面談するのを喜ぶあたり、外交情報弱者ですよね]

|いだい……いだいよぉ……|

[おめでたいことだ。まあ、落ち着いたら委細を教えてくれ]

[わたしがお届けしなくても、あなた方のことですからすぐに情報を掴むでしょう]

[一応な、社交辞令、社交辞令。さて神父さま、お送りいたします。何処に馬車を向かわせればよろしいでしょうか?]

[ではお言葉に甘えて]


 リトミシュル辺境伯は言われた修道院へ馬車を回し、


|じゃあな、ヨリック・エンデ。もう会うことはないと思うが、つよく生きろよ|


 馬車から引きずり降ろされたヨリックにそう声を掛け ―― リリエンタールと入れ違いに帰国した。

 すると国王のコンラートから、急ぎ宮殿に来るよう連絡があったと報告を受けたので、帰宅せずに出頭し、国王の私室で話を聞くと、


御当主(リリエンタール)が、アディフィンに駐留させていた私設軍を動かしたのだが、心当たりはあるだろうか?】


 事態がこれ以上ないほど楽しい(・・・)方向に動いているのが分かった。


【心当たりはありますが、現時点では陛下は知らないほうがよろしいかと。教皇庁が絡んでおります】


 教皇庁が絡んでいると言えば、国王が黙るので名を出した。後々何ごともなかったことがバレたとしても、ボナヴェントゥーラ枢機卿絡みで……と言えば片が付く ―― それにリトミシュル辺境伯にはリリエンタールがここまで動くとなると、まず先に聖界を抑える筈だという確信があった。


【そうか】

【アディフィンに対し、リリエンタールは興味を持っていませんので、このまま静かに時が過ぎるのを待つのが最良でしょう】


 リリエンタールが軍を動かした先が神聖帝国だと聞き ―― 早く邸に帰ってアウグストと連絡を取り合わなくてはと心を躍らせ帰宅の途に就いた。

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