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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
14/208

【014】イヴ・クローヴィス・03

 ヒースコートの胸に頭を預け、クローヴィスは抱きかかえられて、後からきた蒸気機関車のリリエンタールの寝室へと運ばれた。

 後続の車両を率いてきたアイヒベルクは、負傷者を抱きかかえたヒースコートが共にやってきたことに驚いたが、主君の意に無言で従った。

 そのアイヒベルクと共にリリエンタールを出迎えた執事ベルナルドは、


「一時的ですか? それともアディフィンまで? それとも連れていくおつもりで?」


 長い付き合いながら初めてのことに、確認せざるを得なかった。


「決めかねている」

「はい?」


 リリエンタールと付き合いの長い執事にとって、この返答は初めてだった。

 やり取りをしている二人の側を通り、ヒースコートはシーツで包んで連れてきたクローヴィスを、絹製で肌触りのよい薄い水色のシーツが掛けられているベッドに、抱き上げた時と同じようにのし掛かるようにして降ろす。

 ベッドに降ろしてもすぐには体を離さず、抱き上げたときと同じように頬や鼻先に親愛のキスをし、癖がなく滑らかな金髪を指で梳いて、


「おやすみ」


 甘ったるい声で囁く。


「サーシャ。あれは女性なのか?」


 男性相手に語りかけるには、あまりにも健全な女好き(ヒースコート)らしくない。


「はい。エーデルワイスです」


 執事は作戦書類の処理を担当しており、その過程で書類に目を通し ―― 絵画のような写真が貼られていたエーデルワイスと書かれた書類は、強く印象に残っていた。


「あ……ああ。もしかして顔に怪我を負ったのか?」


 あまりの写真写りの良さに、合成かとサーシャに尋ね ―― 執事にも深い印象が残っていた。


「はい。額を三十二針縫う大怪我でした」


 怪我した右側に触れないよう抱き上げ、容貌が分かる左側はヒースコートの胸元にしなだれかかっていたため、執事からは顔が見えなかったので分からなかった。


「それは、まさしく損失だな。もしかして、あの人を庇って?」

「はい」

「そうか……」


 ”あの人でも、あれほどの美貌ともなれば少しでも感じ入ることが……”

 執事は思いもしなかった行動に驚いた ―― 執事がリリエンタールに驚かされるのはいつものことだが、それは軍事や政治、学術や武術などで、リリエンタールを庇って負傷というごくありふれた出来事で驚かされるのは、長い付き合いのなかでも初めてだった。

 ヒースコートに上手に寝かしつけられたクローヴィスの、負傷していない左側の造形美に「ほう……」と執事は息を飲む。

 執事の視界を遮ろうとしたわけではないのだが、リリエンタールはクローヴィスが眠っているベッドに近づいた。

 近づいてどうするつもりなのかも、やはり分からず。

 だが近くでクローヴィスを見たいという気持ちが抑えきれず近づき、何も考えずに手を伸ばす。


「!?」


 リリエンタールの目の前が光沢のある藤色 ―― クローヴィスを包んでいたシーツが舞い上がり、長い脚が鋭くリリエンタールの胴体を捉えようとしていた。

 上半身をのけぞらせリリエンタールは避けたが、空振りになったことに気づいたクローヴィスは、膝を曲げて当初のポイントの深い部分へ踵を振り抜く。

 踵は見事にリリエンタールの肋骨にヒットし、そのまま軍服の合わせを捉え、全身を容赦なく吹っ飛ばした。


 リリエンタールは血色の悪さのせいか、武術に長けていないと思われがちだが、実際は前戦で戦う兵士たちよりも遙かに強い。

 前の騎士団総長の元で鍛えた武術は負け知らずだったのだが ―― マホガニーの猫足が特徴的なライディングビューローに叩きつけられ、せっかくの特徴である四本の猫足のうち二本がささくれるように折れた。


 荒事に全く向かない執事は、何が起こったのか理解できずに呆然とし、アイヒベルクはクローヴィスの初撃の音を聞いて動いたが、空振りだと分かってからのクローヴィスの切り返しが速すぎて盾になることはできなかった。


「閣下!」


 クローヴィスの一連の動作には反応できなかったが、ライディングビューローに叩きつけられたリリエンタールを確認し、事態をすぐに飲み込んだサーシャがリリエンタールの元へと駆け寄り ――


「大丈夫、気のせいだ。気にしないで眠れ」


 クローヴィスが蹴り上げたシーツを拾い上げかけ直しながら、親愛のキスを血が滲んだ包帯に落としながらクローヴィスに警戒を解くように、あまく囁くヒースコート。


 クローヴィスは眠ったままリリエンタールを退け ――


 サーシャにクローヴィスの看病を命じ、他の者は別室へと移り、


「骨折はしていないと思われます」


 リリエンタールの肋骨二本にひびが入っていると、軍医は診断を下した。

 他にも背中に十字の打ち身 ―― 横線の打ち身は少々時間が経っているようだが、縦線の打ち身はつい先ほど負ったのでは? 

 診察した軍医は「どこで負傷したのだろう?」と思いはしたが、


「他言無用だ。詮索もな」


 ヒースコートに命じられ、


「ここに鎮痛剤と解熱剤を置き忘れて(・・・・・)いきますので」

「クローヴィスの薬を増やしても構わないぞ」

「では、そのようにいたします」


 世慣れている軍医は、どこにも記載されていない薬 ―― トップの人間にとって健康はなによりも大切で、病や怪我は極力隠すのが世の常のため、そういった地位にある人間を診察する医師は、どこにも記載していない薬を持ち処方する。

 だから薬を処方することは忘れないが、処方したことは忘れるのが鉄則 ―― 医師は薬を置いて部屋を出た。


「クローヴィスの踵が当たったとき、いい音がしましたものな。骨折しなかったのはあなたの技量があってこそ。そこに居られる殿下でしたら、肋骨の片側が全て折られていたことでしょう」


 ヒースコートは紙袋から鎮痛剤の薬包を取りだし、そんなことを言いながら手渡す。

 受け取ったリリエンタールはゆっくりと封を開け、舌に乗せて口の中へ。急いでアイヒベルクがコップに水を注ぎ差し出したのだが、それを手に取ることなく ――


「閣下なにをなさって……おい! あんた! なにしてるんだよ! 薬飲めよ! それあめ玉じゃないんだよ! ほらっ! 水だ!」


 執事をしていたベルナルドだが、鎮痛剤を口に含んで不機嫌さを露わにしているリリエンタールに、シャルル(殿下)として怒鳴りつけた。


「……ああ」


 シャルルがアイヒベルクから取り上げたコップを受け取ったリリエンタールは、やっと薬を喉へと流し込む。


「なにが起こった?」


 執事に戻るのは面倒だと、王子としてシャルルが詰めよるも、いつも以上に素っ気なく、何を考えているのか分からない。


「シャルル」

「なんですか?」

「エメラルドを持ってこい」

「…………分かりました。一番良いやつか?」


 頷いたリリエンタールに、


「ふぅぅぅ……」


 わざとらしく大きな溜息をついてから、殿下は金庫が備え付けられている車両へと向かうと、金庫前でフリオが待っていた。


「エメラルドを所望なさっていたので待機しておりました」


 フリオの想像より随分とシャルルがやってくるのが遅かったとは思ったが ―― まさかリリエンタールが不注意で怪我をするなど、フリオは考えもしない。

 リリエンタールは不注意で怪我を負ったことはない。

 訓練での打ち身はあるが、リリエンタールに不注意はもっとも縁遠い言葉。


「そういうことか。鍵だ。暗証番号は分かるな?」


 金庫の鍵を所有しているのはシャルルだけ ―― もっともシャルルはこの鍵束をすぐに他の者に渡して、金庫を開けさせる。

 それは彼が高貴な生まれだからではなく、金庫を開けるのが純粋に重労働なので。シャルルは仕事そのものは嫌いではないが、腕力があまりないのだ。

 もちろん巨大金庫を全身の力で押して開けるくらいの力はあるが、腕力だけでは開ける自信はない。


「はい」


 鍵束を受け取ったフリオは急ぎ四つのダイヤルの番号を合わせて解錠する。


「ところで、何があったんだ」


 軍人であるフリオは重い鉄扉を両手だけで開け、再びダイヤルを合わせる。


「済みません。分からないのです」


 リリエンタール直属の家臣のトップは執事(王子)シャルル(ベルナルド)であるのは、家臣たちが認めている。

 リリエンタールは誰がトップだと明言したことはなく、なにも言うような性格ではないが、リリエンタールに対してずけずけと意見できる大陸でも数少ない血統の持ち主なので、その座についてもらっていた。


「分からないのか」


 シャルル本人としても、伝統的に王の側近は大貴族か王族なのが常識なので、自分の立場は妥当だと思っている。


「はい。ただ負傷したエーデルワイス(クローヴィス)を非常にお気に召しているようです」

「だろうな。エーデルワイス(クローヴィス)という娘は、軍人としてはかなり優れているのか?」


 金庫の中から宝石箱を取り出し、エメラルドのネックレスを取り出し確認する。


「指揮官としては未知数ですが、戦闘員としては若き日のスパーダ神父であっても、勝負にならないかと」

「……なるほど……な。そりゃ、あの人でもやられるわ」


 エメラルドに間違いないことを確認したシャルルはそれをケースに戻す。


「やられる?」


 シャルルの不穏な一言に、おうむ返しをしたフリオだが、


「まずは、あの人に届けてくる。その後、色々と話し合おう」

「はい」


 まずは主君の命を果たしてから……ということで、エメラルドのネックレス入りのケースを抱えている殿下を見送り、フリオは一人ではかなり骨の折れる金庫の扉を閉める作業に取りかかった。


**********


 シャルルが部屋を出たあと、リリエンタールとヒースコートはしばらく睨み合うようにし ――


「まったく。手負いの戦天使に不用意に近づいたら、反撃されるのは当然でしょう。サーシャがあそこまで気配を消していたのに、気付けないあなたではないはずです。いつものあなたならば……ですが」


 ヒースコートがくつくつと笑う。リリエンタールは無表情のまま、ひびの入った肋骨に手を添えて、少しばかり考えてから、


「リーンハルト」

「はい」

「解熱も鎮痛剤も要らぬ。返してこい」

「……御意」


 薬は要らないと命じた。

 それは……と思ったアイヒベルクだが、リリエンタールの性格上「要らぬ」と言った以上、絶対に服用しないことは分かるし、薬を主君に必要以上に勧めるのは、危害を加えようとしていると疑われる可能性もあるので、黙って従うしかない。


「そうきましたか!」


 ヒースコートは意図を理解したらしく、腹を抱えて笑うも、アイヒベルクにはその意図が読めず。


「ほら、持ってきてやった……なんでレイモンドが大笑いしてるんだ? アイヒベルク」


 ロイヤルブルーのサテンが貼られたジュエリーケースを持って帰ってきたシャルルが「状況を説明しろ」と言うのも無理はなかった。



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