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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
13/208

【013】イヴ・クローヴィス・02

 クローヴィスの様子を見に行こうとしたリリエンタールだったが、治療中なのでしばらく待って欲しいと告げられ、治療用に用意された部屋前の通路に立ち尽くす ―― 待つのではなく立ち尽くすが、もっとも相応しい心情だった。


「ありがとうございました!」


 しばらくすると負傷したとは思えないほど元気なクローヴィスの声が響き ―― 通路に立つリリエンタールの姿を見つけ深々と一礼する。


「クローヴィス少尉」


 彫刻を思わせる顔だちに、拭き取りきれていない血がこびりつき、傷口は包帯が巻かれ見えないが、既に血が滲み始めている。

 小銃を肩にかけ、手には薬が入っていると思しき袋。


「閣下、お怪我はありませんでしたか?」


 だが本人はさほど気にしているような素振りはなく、リリエンタールの無事を尋ねてくる。


「わたしに怪我はない。治療は終わったか?」


 警護対象の無事を尋ねる行動は不思議ではなく、リリエンタール自身、聞かれることに慣れているのだが、


「はい」


 今まで聞かれたときに感じたことのない感覚 ―― 体の内側が引っかかれるような気持ちが襲ってきた。


「そうか。ついて来い」

「……はい!」


 クローヴィスは敬礼し、黙ってリリエンタールの後を付いてくる。

 自分の部屋へと連れてきて、休めと命じるとクローヴィスは「なにを言っているのだろう、この人」と言った表情になったが、


「軍曹」

「はい、閣下」

「クローヴィス少尉を見張れ」

「畏まりました」


 命じているリリエンタール本人が、もっとも「自分はなにを言っているのだ」という気持ちだった。

 だが自分の部屋から出す気はなかった。


「それは鎮痛剤か」

「はい」

「飲んで休め」

「はい……」


 コップに水を注ぎ差し出し ―― クローヴィスがベッドに入ったのを確認してから部屋を出る。


「クローヴィス少尉の看護につけ」

「はい」


 医療技術に精通しているサーシャに、クローヴィスの付き添いを命じた。

 二人もクローヴィスに割くほど人員に余裕はないのだが、リリエンタールにとってそれはどうでも良いことになっていた。

 食堂車両の椅子に腰を降ろし、狙撃手が潜んでいた山の斜面を眺める。

 倦いても考えることを止められなかった頭脳が全てを放棄し ―― リリエンタールは何も考えずに車窓から景色を眺めている。


「閣下。王女の乳母が面会を希望しております」


 そうしていると、食堂車両入り口でやり取りがあり、リリエンタールに取り次がれた。リリエンタールは足を組み替え軽く頷いた。

 護衛はそれを「許可が下りた」と取ったものの、リリエンタール自身は動いただけで、明確な意思はなかった。

 面会を許可されたマリーチェの乳母 ―― 十八歳で乳母になっているので、リリエンタールと乳母は一歳差。

 乳母の身分は低いので、通常であればリリエンタールの御前で陳情することはできないが、間に挟む従者も忙しなく動いていることもあり、直接聞くしなかなった。


殿下(マリーチェ)が不安を感じておりますので、是非とも護衛を付けていただきたいのです」


 膝を折り頭を下げて乳母が申し出た ―― 無論マリーチェに護衛はついているのだが、この乳母が言う「護衛」はマリーチェのお気に入り、サーシャを寄越して欲しいと頼みに来たのだ。


「…………」


 この下らない要望が来ることをリリエンタールは知っていた。そんな下らないことを聞くつもりはなかったので、最初からサーシャを側に配置することを決め、襲撃まではそのように動かしていたのだが ―― リリエンタールは無言のまま下がれと手を払いのけるよう動かし、頬杖をつき外を眺めに戻った。

 大事な姫の要望を聞き入れてもらえなかった乳母だが、さすがにこれ以上、リリエンタールに陳情することはできず引き下がる。

 無為に景色を眺めていたリリエンタールは眇め、


「フュルヒテゴット」


 部下の名を口にした。

 ”呼べ”ということだと理解した護衛の一人が急ぎ呼びに行き、


「お呼びと」


 リリエンタールの衣服を管理しているフリオ・ペレスが先ほどの乳母と同じように膝をついて頭を下げる。

 乳母と違うのは、乳母は頭を下げたままだったが、フリオは挨拶を済ませてから頭を上げたこと。

 呼び出されたので頭を上げたのではなく、フリオことフュルヒテゴット・フォン・ベッケンバウアーはマリーチェの異母兄 ―― アディフィン国王コンラート二世がメイドに手を出して産ませた子である。

 庶子ではあるが、国王の血を引いているので「フォン・ベッケンバウアー」はリリエンタールに対し、頭を上げて話すことができるのだ。


「エメラルドはあるか?」

「は……?」


 フリオ・ペレスはリリエンタールの衣装係だが、フュルヒテゴット・フォン・ベッケンバウアーは軍人である。

 軍人として呼び出されたのだから、なにかしらの軍事行動を命じられると思っていたフリオにとって「エメラルドはあるか」という問いかけは、返事ができない難問であった。


「宝石のエメラルドだ」


 なにかしかの含み(・・)があるのかと構えていたフリオだが、ただエメラルドだと言われ、

 

「持ち合わせがございません」


 手元にないと伝えた ―― 主君の命令に応えられないのは恥だが、ない物はない。リリエンタールは無数の宝石を所有しているが、当人は一切興味を示さないので、引っ越す際、リリエンタールと共に宝石が移動することはない。


「そうか」


 ここが新南大陸のエメラルド鉱山内だというのならば、フリオは率先して部下を連れて掘るが、この大地にエメラルドは眠っていない。

 だが「ない」だけで済ませては、直属の家臣として、また裏を担当する軍人としてはいけない(・・・・)


「ですが後続車両には、国宝と評しても問題ないエメラルドが積まれておりますので」


 今回はたまたま、ここで停車し、襲撃犯を片付けてから、後から来る車両に乗り換えることになっているので、そちらに国宝級のエメラルドが積まれていたことを思い出し伝える。


「そうか。ではシャルルとリーンハルトが来るのを待つか。下がっていいぞ」

「御意」


 リリエンタールは所在なく外を眺め ――


「リリエンタール閣下。後続車両がやってまいりました」


 ヒースコートから後続の到着を聞き立ち上がる。


「ところでリリエンタール閣下、クローヴィス少尉はどこに?」


 報告を受けているヒースコートだが、わざと(・・・)リリエンタールに尋ねる。

 聞かれたほうは、いままでに感じたことのない不快感 ―― 襲撃を受けクローヴィスを残して車両に戻った時に感じたものとはまた別種のものを感じ、不快感の理由は分からないが不快感に種類があることに些か驚きつつ、


「わたしの部屋だ。移動先でもわたしの部屋に」


 クローヴィスを自らの個室に連れて行くと命じる。


「かしこまりました。クローヴィスを抱き上げて移動させるのは、小官でよろしいでしょうか? まあ、小官以外には無理ですがね」

「……ついてこい」


 人を抱き上げて移動させるなどということを、考えたこともなかったリリエンタールは、その役割を不本意ながらヒースコートに譲った。


 不愉快で不愉快で不本意 ―― 他人が思うほど順風満帆な人生ではなかったリリエンタールだが、不愉快も不本意も覚えたことはなかった。


 リヒャルト・フォン・リリエンタールという男は、聖職者としてだけではなく、政治家としても、また私人としても極めて平等な男である。だが彼の平等は慈悲ではなく、極限の無関心からくること。

 自分を守るために他者が傷付こうが死のうが ―― 適切な配慮は与えるが、負傷した者のその後を気にしたことは一度もなかった。


 ヒースコートと共に部屋に戻ったリリエンタールは、室内に充満する血と消毒液の匂いに鳥肌がたった。

 血と消毒液の匂いを嗅いだことは数え切れないほどあるが ―― コーヒーの濃密な香り、高級ワインの芳醇な香り、チョコレートの甘い香り、肉が焼けた食欲がそそる香りなど、香りとしては分かるが「そういう表現なのだ」としか理解していなかったリリエンタールにとって、初めて嗅いだ「匂い」。全身が粟立ち、香りを舌に乗せると蜜のような甘い味と共に強烈な渇きに襲われる。

 血と消毒液という不快感を呼び起こす組み合わせの筈なのに、息苦しくなるほど渇きを覚えるのに、リリエンタールはもっと嗅いでいたい良い香りにしか思えなかった。


「容態は?」

「熱が上がっています」


 ヒースコートに問われたサーシャが答える。

 その言葉通り、クローヴィスの首筋には汗が浮かんでいる。


「そうか」


 ヒースコートはクローヴィスにのし掛かりながらシーツで体を包み、包帯と肌の境にあたる、無傷な左側の目尻近くにキスをし、


「良い子だ、良い子だ」


 ぐずる子供をあやすかのようにし、更には耳元で子守歌を歌う。

 曲名はロスカネフ王国に住んでいるものなら、一度は必ず聞くほどポピュラーなもの。不意に抱きしめられ無意識に嫌がっていたクローヴィスだが、目尻に落とされる親愛のキスと聞き覚えのある子守歌に徐々に落ち着き、抱き上げられてもヒースコートの腕のなかで安心しているかのように、すやすやと眠り続ける。


「リリエンタール閣下には無理でしょう」

「……そうだな」


 ヒースコートの部下たちが「女の扱いはさすがだな」と感心する最中、リリエンタールは、再び別種の不愉快さを感じ、一瞬だが歯を強く噛み締めてから、


「いくぞ」

「はい」


 クローヴィスの肩を小さく叩き、安心させているヒースコートを連れて車両を移動した。


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