【112】双頭の鷲・出発
テーグリヒスベック女子爵は領主として優れている――この時代の領主は、政治はもちろん、隣国がいつ攻めてくるか分からないので、軍事にも長けていなくてはならない。
テーグリヒスベック女子爵は優秀なので、防衛戦や奇襲の対処法などを学び、いざという時に困らぬよう、剣術を学び、狩りで銃の腕も磨いた。
貴族の嗜みとして馬術も身につけ、体力作りのために城内の散歩も欠かさない。
ただこの時代、軍隊は戦争に関連しない救助などはほとんど行わないため、ノウハウがないに等しい。
――だから、わたしも同行できる
テーグリヒスベック女子爵は領主代行なので、戦争の際は司令部に居なくてはならないが、
【わたしも行く】
【危険ですが】
【政治的な判断だ。それに、これは戦争ではない】
今回は事故現場に向かう――軍事的な行動ではないので、同行が可能だった。
事故に遭ったと思われる車両に、
【政治的ですか】
【そうだ。ブリタニアスの君主に、直接渡すよう命じられているのだ。事前にアイヒベルク伯爵から、口頭にて説明も受けた。かなり重要な案件であり、他のものがそれに触れた場合、処分される可能性もある。わたしは、お前たちを処分したくはない】
政治的に重要なもの――イヴ・クローヴィス――があるのだと告げ、
【分かりました……中身は聞かないほうが、よろしいのですよね?】
テーグリヒスベック女子爵が伴った隊の責任者は、頷いた。
【そうだな。いずれ、教えることができるかもしれないが。そのためにも、我々は政治に関する重大なものを、探しだし確保しなくてはならないのだ】
【かしこまりました、子爵閣下】
【準備は任せた。駅長、無線の準備は整ったか?】
テーグリヒスベック女子爵は、制帽を脱ぎ胸に当てながら頭を下げていた駅長に声をかける。
【グリュンヴァルター公国の政府室に繋がりました】
その報告を受けて立ち上がり――
【そんな嫌そうな顔をするな。政治的にも軍事的にも、どうしても避けて通れぬことなのだから】
隣国嫌いな部下や駅長にそう告げて、無線室へと向かった。
無線室から人払いをするような真似はせず――
【テーグリヒスベック女子爵だ】
【グリュンヴァルター公国管財人、フォン・シュトラウスでございます。火急とのことですが】
テーグリヒスベック女子爵は「バイエラント大公国を抜けグリュンヴァルター公国を通過する予定の蒸気機関車が、定刻になっても駅に到着せず、その前を走っているはずの貨物列車も到着しないので、事故が起こったと考えられる」と手早く伝えるとともに、「そちらからこちらへ向かう機関車も止めるようにと」指示を出す。
【わたしはこれから事故現場へ急行する】
方々への連絡は任せた――と、無線を切る。
駅舎を臨時本営とし、本営を駅長に任せ、その駅長にはバイエラント大公領内を走る機関車を止めるよう命じ、責任者とともに線路沿いに事故現場ではないか? と考えられる場所を目指して出発した。
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テーグリヒスベック女子爵から「公妃が乗った蒸気機関車が事故にあったようだ。これから現場を捜す」という無線を受けたハイドリッヒは、その無線が切れてから十秒ほど現実逃避した。
リリエンタールから、グリュンヴァルター公国を任せられるくらいには優秀な諜報員である彼は、自力でなんとか現実逃避から復帰し――「事故があった」ことと「被害にあったと思しき車両」に関して、アディフィン王国にいるグレッグに電報を送った。
グレッグとはアディフィン王国の首都にある、リリエンタールの城の家令で、事故にあった蒸気機関車にクローヴィスが乗っていることは知らされている。
軍に直接連絡を入れなかったのは、すぐさまリトミシュル辺境伯爵の元に情報が届かない可能性を考えて――領地持ちの貴族なので、ふらりと自領地に帰ったり、愛人と楽しんでいることなどを考慮し、使用人枠で、情報をすぐに受け取ってくれるグレッグを選んだ。
【うそ……なわけないよな! 子爵閣下が冗談言うはずないもんな!】
グレッグの中でテーグリヒスベック女子爵は、アイヒベルク伯爵の次くらいに「真面目で冗談など言わない」人間として分類されている。
――純然たる事故ならいいけど、人災だったら、即族滅じゃないか? これ
グレッグは先触れも出さず、お仕着せのまま馬に跨がり、アディフィン王国大統領府に突撃し――無事、大統領に会うことができた。
大統領はわりと簡単に会うことができる。
【………………】
その大統領は、こんな連絡を受け取りたくはなかったが、見なかったことにしても、事態は好転しない。それよりならば、積極的に解決に向けて、頑張った姿勢を見せたほうがよい――リリエンタールが見てくれるかどうかは別だが、
――ロスカネフ政府……いや、軍に連絡を入れて、キースに……
キースにアピールしておこうと考えた。
【リリエンタール閣下とロスカネフの総司令官に、事故が発生したことを伝えよう。それと、バイエラントに派兵することも視野に入れなくては】
バイエラント大公国の軍事はアディフィン王国が受け持っているので、派兵しても不審がられはしない。
派兵の理由だが「打てる手は全て打ちました」というアピール。
事故があったらしいということを、速やかに、大統領の持てる権限を全て使い――情報の繊細さも考えて人を派遣して、できる限り正確に第一報を伝えることにした。
【大事だな】
派兵するとなると、軍務大臣ことリトミシュル辺境伯爵とも話し合わなくてはならない――事情を聞いたリトミシュル辺境伯爵は、リリエンタールの城に情報収集のための拠点を作り動き出した。
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【こんなもんだろ】
ヘラクレスは兄宛の手紙を書き、文面を読み直す。
ブリタニアスの王室主催の競馬は、上流階級の社交場の中でも最高の「格」――
ヘラクレスの兄も大国の大統領なので、他にも伝手はあるが、ヘラクレスが使う招待枠はクリフォード公爵のもの――招待客としても、格が最上級になるのだ。
【アーリンゲ卿】
インクもしっかり乾いたので、封筒に入れようとしたとき、部屋のドアがノックされ――従僕が来客を告げた。
面会予約などはなかったが、来客が渡して欲しいと持ってきた封筒は、兄の大統領の署名。
兄の字を見間違うことはなく、
――なんか、随分と慌てて書いたみたいだな。ヴィルヘルム絡み? それとも国王絡み……はないか。国王絡みなら、ヴィルヘルムが片付けるもんな。ヴィルヘルムかー。なにしたんだろうな
切迫した状況であることも読み取った。
開封すると、手紙を持ってきた人物と大至急会え! と書かれていたので、従僕に部屋へ通すように命じ、
【久しぶりだな】
やってきたのは、兄が最も評価している配達人。
配達人は一礼し、
【お耳を拝借してよろしいでしょうか?】
誰も居ない部屋だが、さらに注意を払い――聞かされたヘラクレスは、配達人の両肩をがっちりと掴み、
【嘘だろ!】
力の限り揺すった。
掴み具合――その強さから、配達人にヘラクレスが本気で「違うと言ってくれ」と望んでいることが伝わるが、
【残念ながら】
配達人には変えることはできない。
【………………】
配達人の肩から手を離し、ヘラクレスは執事の元へと急いだ。
**********
その一報を受けた時、リリエンタールは月明かりのもと、ハンカチの間でハンカチを眺めていた――ハンカチの間と呼ばれる部屋は、クローヴィスからハンカチをもらってから名付けられた部屋。
単に月明かりの入りが良いので、いつでも眺められる――以前と変わらず、リリエンタールは火災などで失わないよう、火の気は遠ざけた部屋でハンカチを眺めていた。
リリエンタールがハンカチを眺めるのは、夜がほとんど――太陽にあてて日焼けしてしまってはいけないということで。
執事は「飽きないねえ」と言いながら、カフェボウルに水を入れておいていく――ハンカチに間違ってシミがついてはいけないので、幸せに浸っているとき、口にするのは水だけ――滅多に口に含むことはないが。
「イヴは今頃、バイエラントか」
時差をすぐに計算し――明後日辺りには、無事に到着したと知らせる暗号電報が届く予定……だった。
「おい!」
月明かりに照らされている部屋のドアを、執事が乱暴に開け、
「どうした、ベルナルド」
「妃殿下がお乗りになっている蒸気機関車が、事故に遭ったようだって!」
「……誰からだ?」
ヘラクレスの兄が送ってきた配達人だと聞き――
「リーンハルト」
執事と共にやって来ていたアイヒベルク伯爵に、
「はい」
「蒸気機関車に火入れをしろ」
蒸気機関車を走らせられるよう、準備することを命じた。
「御意」
アイヒベルク伯爵は車両基地へと向かい――くべられた石炭が赤々と燃え、動力を得られるようになってすぐ、リリエンタールはロスカネフ王国を発った。




