【110】至尊の座を狙ったものたち・13
リリエンタールからの命令を完遂し、帰還したヘラクレスは休養を与えられた――暖炉で温められた部屋で、シルクサテンのガウンを羽織り、座り心地の良い椅子の背もたれに体を預け、読書をしていたヘラクレスの元に、
「少しいいですか」
青を基調としたジュストコールを着用した執事が、ノックをすると同時にドアを開けて顔を出した。
「殿下」
ヘラクレスは椅子から立ち上がり、胸元に手を置いて礼をする。
「この恰好をしている時は、殿下じゃありませんよ」
「申し訳ございません。癖なもので」
ヘラクレスが執事と初めて会ったとき、執事はノーセロート王国の王太子シャルルだった。初対面のイメージが強く、今だにそれを引きずっている。
「それ、何回も聞きましたけどね。まあいいです、座りなさい」
ヘラクレスに命じ、伴った従僕に運ばせた椅子とテーブルを室内に設置させ、コーヒーを用意させてから彼らを下げ――
「王室主催競馬なんですけど」
コーヒーを片手に、アディフィン王国の大統領でもあるヘラクレスの兄に、リトミシュル辺境伯爵を”誘う形で”ブリタニアス君主国本国で開催される、王室主催競馬の会場に連れてきて欲しいと――
「もうね、あいつ等のことだから、そのくらいまでしか待てないと思うの。早めに会える機会を作らないと、妃殿下に迷惑を掛けてしまう未来しか見えないの」
金に権力に人脈、そして異様に軽いフットワーク、さらに国内では誰も彼らを止められる人物はいない。
「あ……殿下……ではなく、ベルナルドさまのお言葉に、同意いたします」
”アントンの妃が見たい!”とブリタニアス君主国に行き、グロリア女王と取引して、クローヴィスに会う……ヘラクレスの脳裏に、笑顔の三人――いつの間にか、ボナヴェントゥーラ枢機卿まで混ざり、クローヴィスを構い倒す姿が流れた。
「なにより、あの人も持たないと思うんですよ」
「…………」
「あの人、人を好きになったこともなければ、我慢したこともないでしょう? 本人は我慢できるつもりで、妃殿下を……まあ他の人よりは信頼できるババアの所へ送ったのですけれど、一年も我慢できるわけないんですよね。実際既に、ソファーに寝っ転がって、妃殿下のお名前を呟いてる状態なんですよ」
「ははは。それは重症ですな」
「まあね。だから王室主催競馬の会場で、久しぶり……ってほどじゃないんだけど、会える機会を作ろうかなって。あの人は、そういうの思い浮かばないと思うから」
リリエンタールが王室主催競馬の会場へと足を運べば、色々と噂が発生し、厄介な出来事も起こるが、そのあたりは。リリエンタールの才覚で対処できるだろうと――たしかに執事が考えるとおり、リリエンタールにとっては、問題にすらならない程度のこと。
「よろしいのでは、ないでしょうか? 兄に連絡を取ります。アウグスト閣下はいかがなさいます?」
「アウグストとイヴァーノのほうは、わたしが招待してやりますよ。競馬場でアウグスト、ブーイング食らわないといいのですが」
アウグストことフォルクヴァルツ選帝侯は、ブリタニアス君主国の国王を殺害した血筋なため、君主国ではあまり好まれない。
フォルクヴァルツ選帝侯は気にしていないどころか、ブーイングなどを食らうと「今だに、わたしの祖先が残した傷跡に、振り回されている! おもしれえ!」と――精神的な強さと、愉快犯の血が騒ぎ、ろくなことをしない。
さらにそこに、リトミシュル辺境伯爵、ボナヴェントゥーラ枢機卿がいるのだから――
「そ、そうですね」
それは無理ですよ殿下、という気持ちしかなかったが、ヘラクレスはそう答えることしかできなかった。
「あいつらはそれで良いんだけど。それで、わたしは戦争について、全く知らないし、ヘラクレスも聞いてないかもしれないけど、あの人を途中でブリタニアスに連れていっても大丈夫? いや……まあ、大丈夫だとは思うんだけどさ」
戦争を起こしたと執事も聞いてはいるのだが、なにがどうなっているのか? 専門家ではない執事は全く分からない。
「わたしもいつもどおり、全容は存じませんが、リーンハルトが残り、全権を握ったキースが防衛するのであれば、ルースが攻めてきても、問題はないはずです。わたしも残り、微力を尽くしますので」
「ヘラクレスも来ていいんですよ? 席は用意しますよ。久しぶりにお兄さんと会ったらどうです? ああ、両イザベラのことを警戒しているのですね! あれたちは、連れてこないよう指示を……出す必要もないはずです。あの二人は、そこは弁えていますから!」
執事の言う「両イザベラ」とは、リトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯の妻で、性格は一言で表せば「よろしくない」。複雑に言っても「よろしくない」。言葉を取り繕えば「よろしくない」で、取り繕わなくても「よろしくない」――あの二人だから、妻として迎えて上手くやっていけている……と言われるくらいには性格はよろしくない。
「ああ、それはそうですね」
幼年学校時代から二人と交流のあるヘラクレスは、必然的に二人の妻のことも知っており――ヘラクレスにとって、両イザベラはできれば近づきたくない女性の、一位二位を独占していた。ちなみに順位は不動ではなく、変わることもある。
その両イザベラが来ないのであれば、行ってもいいかな……と思い直す。
「もっとも、あなたが作戦の要って言われる可能性もありますから。その時は諦めてください」
「はい」
――そういうことは、無いと思いますが
思いながらヘラクレスは、執事の言葉に頷いた。
「それでヘラクレス、わたしも少し戦争について学ぼうかと思ってるんですけど」
「どうなさいました?」
執事は本当に争いごとに向かない。
真面目に聞いても、全く頭に入ってこないと、いつも執事は嘆く。
ヘラクレスも秀逸な現代前衛芸術作品を、フォルクヴァルツ選帝侯に見せてもらい、解説を受けたことが何度かあるのだが――全く頭に入ってこないので、人には向き不向きがあることは、良く知っている。
「妃殿下が軍人でいらっしゃるから。少しは話が出来たほうがいいかと思って。あの人が結婚するなんて、思ってもいなかったし、結婚相手が生粋の軍人だなんて、想定もしていなかったから」
「生粋の軍人が自らの妻になるなど、オデッサ大公でも想定していなかったと」
「そうですよね。あ、コーヒーおかわりします?」
二人のカップはすっかりと空になっており――
「はい」
新たにコーヒーが注がれたカップと交換させ、執事はヘラクレスから軍略について講義を受けた。
「相変わらず、自分の頭に入ってこない。でも、あの人に聞くよりは、ずっと分かり易いけど」
執事は腕を組み目を閉じて、少し笑いながら――向かないなあ……という気持ちを込めて呟いた。
「オデッサ大公は、人に教えることに関しては向かない御方ですので」
「天才ってそういうものなんだろうけどね」
「ベルナルドさま、オデッサ大公が指揮した戦いの触りや、裏話を覚えてはいかがでしょう? ベルナルドさまが妃殿下に語り、興味を持たれた妃殿下が、直接オデッサ大公に尋ねるようにしては?」
「ああ、それいいですね。あの人のことですから、奇策とか人に知られていない奇襲とかそういうのも、たくさんありそう」
「手始めとして、わたしが知っている範囲でよろしければ」
執事はノートとペンを用意し、ヘラクレスが知っているリリエンタールが命じた奇策、奇襲について書き留める。
「あの人に、話しても良い内容かどうか、確認もとっておきましょう……それにしても、さすが軍神と呼ばれる男。作戦の一つ一つが凄い破壊力だ。素人のわたしが、部分的に聞いてそう思うのだから、専門家からすると凄いんでしょう?」
「オデッサ大公の作戦ともなりますと、わたしも素人同然でして。よく分からないけど、凄いなくらいしか理解できません」
「あなたですら、そうなんですか。……それにしても、奇襲とか奇策って、ヴィルヘルムとアウグスト、リーンハルトにレイモンド、キースやヴァシリーなど、名だたる将軍ばかりが指揮してるんですね。こいつら、あなたと同じく大軍の指揮をしているイメージのほうが強いから、意外でした」
執事の疑問にヘラクレスが、簡単に答える。
「奇襲や奇策は、準備が大変なもので。それも少人数で難しいポイントでの工作になりますから、戦い以外の地味で過酷な作業に携わる兵士たちを鼓舞し、やり遂げさせるのは、有能な将軍でなくては無理なのです。戦って勝つぞ! くらいなら、わたしでもできますが」
「そういうものなんですか。たしかに、こいつ等は部下をしっかりと動かせそうですね」
「奇策は毒ガスやダイナマイトなど、危険物も多数扱うので、本当にしっかりとした指揮官でないと」
「ああ、なるほどね。そこら辺に放置されたら、困りますね」
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バイエラント大公領・某所――
秘密理にダイナマイトを、アブスブルゴル帝国に運び込まなくてはならない――もちろん大量のダイナマイトのほとんどは、列車や船で運ばれるのだが、その間をつなぐのが人力。
人目を避ける必要がある彼らは、深い森を通る線路脇を進んでいた。
重い荷物を運ぶ仕事は骨が折れ――そのあたりに、凶暴な冬眠明けのグリズリーがいることを知らなかった共産連邦の兵士たちは、グリズリーに襲われ恐慌状態になり、一人がダイナマイトに火を付け爆破させた。
運んでいたダイナマイトが次々に爆発し、衝撃で斜面の岩が崩れ落ち――グリズリーは逃げ果せ、彼らのパーツが無数に転がり、大きな岩が線路を塞いだ。巨大な落石など知らない貨物がやってくるが、生き延びた者たちは、逃げることを優先し――彼らに指示を出したトップはマルチェミヤーノフ。
彼の命運が決まった場所とも言える。




