【109】中将、イヴ・クローヴィスに恋した男たちを眺める
クローヴィスがブリタニアス君主国へと旅立つ前――足を組んでソファーに座っていたキースは、読んでいた書類の束を、自分の正面に立っている大佐の足下へと投げつけた。
「立派な経歴だな、ギュンター・ディートリヒ大佐」
背筋を伸ばし立っている大佐は、返事を返す。
「ありがとうございます」
途中までクローヴィスたち「が」同行することになっている、ギュンター・ディートリヒ大佐。彼はロスカネフ軍人として登録されているため、総司令官の権限を与えられているキースの許可が必要になる。
「バイエラント大公国でクローヴィスたちと別れたところで、ロスカネフ軍ギュンター・ディートリッヒ大佐は消えるのは分かった。それは容認してやる。だがブリタニアス君主国で再びクローヴィスに接触するつもりなら、詳しく言え」
部下が直接絡まないことならば、キースは口を挟まない――この距離の取り方の巧さが、キースの強みでもある。
「大陸で仕事を片付けたあと、急ぎブリタニアス君主国へと渡り、アディフィンの地主貴族出のハンフリー銀行勤めの銀行員として、接触する予定です」
「外国の銀行が、近しく話し掛けてきても、取り合わないよう指示を出しておくか」
キースはサーシャを見上げながら――外国資本に対して不用意に近づかないようにと、指示を出すのはおかしなことではない。
彼らは情報収集のために、慣れていない初派遣の若い軍人によく近づいて、あれこれ便宜を図り情報を引き出す。
クローヴィスは派遣される三人の中では、もっともそういうのに引っかかりやすい――他の二人は、それなりにロスカネフ王国で経験を積んでいるので、警戒心があり手口を知っているが、クローヴィスはそちらはほとんど手つかず。もちろん女王の警備隊長になる頃には、教えられる予定だったのだが、機会は潰れてしまった。
「それは困ります……ので、こうして全てをお伝えさせていただいているのです。小官が分かる範囲で」
「ほとんど分からないんだろう? 小僧」
「まあ、その……キース閣下の仰る通りです。尋ねれば事細かに教えていただけるのかも知れませんが……」
「相変わらずだな、ツェサレーヴィチは。それで分かっていることとは?」
サーシャは分かっていることを、包み隠さずキースに伝えた。
「生活に不自由がないように、取り計らうよう指示されております」
そして最後に、自分が向かう理由について――分かりきったことだが、全て伝えることに意味があるので、しっかりとそこも語った。
「そうか。精々頑張れよ。ちなみに地主貴族銀行員の名は?」
「ジークフリード・フォン・クロイツナハ」
経歴についてだが、二十年ほど前まで邦領君主が治めていたが、借金により立ちゆかなくなり消滅した地域の出身――もちろんハンフリー銀行側も、嘘の経歴であることは知っているが、リリエンタールが送り込んでくる人物の経歴の真偽を問うほど愚かではない。
「そうか」
キースはソファーから立ち上がり、サーシャに近づく。
これは殴られるなと――キースはサーシャを容赦なく殴る――殴られて悲しげな表情を作るのは、サーシャの趣味ではないので、腹立たしく思われ、殴る力が増そうとも、サーシャは笑う。
キースは手を伸ばし、サーシャの襟元を掴み乱暴に引き寄せ、
「ロスカネフ王国軍所属、ギュンター・ディートリヒ大佐、死なないのはもちろん、負傷もするなよ。ロスカネフ王国軍総司令官の命令だ」
それだけ言うと、突き飛ばし――サーシャは転ばず持ちこたえた。
「返事は?」
「御意」
「下がれ。ああ、お前の経歴は置いていけ。どんな問い合わせがあるか、分からんからな」
**********
――今はフォルズベーグを抜けて、アディフィン王国に入ったころか
正式に総司令官として就任したキースは、各部署の責任者たちを集め、晩餐会を開いた。
臨時代行に選ばれた際にも、同じような席を設けていたが、正式就任したのでもう一度開かなくてはならなかった――前回は忙しいことを知っていたので、呼ばなかったヴェルナーも今回は臨席している。
各部署の責任者たちの多くは、独身であるキースの正式就任に驚いたが、理由について深くは尋ねなかった。
「クローヴィス少尉。いまは大尉か。大尉、本当に綺麗でしたよね、総司令官閣下。副官で部屋にいた時も、目に付いたでしょう?」
前回の晩餐会のときはアルドバルド子爵――現在はテサジーク侯爵が、滑らかに話題にする。
――この場にいる奴等が、クローヴィスを害しないかどうかを見るためか
意図があるのだろうとキースは考え、
「そうだな」
テサジーク侯爵の話に乗った。
「総司令官閣下が、そのように仰るとは思わなかった」
「あの容姿を美しいと思わないのは、よほど捻くれた奴だろう。わたしもかなり捻くれているが、あの容姿については褒めるしかないな」
本人があまり……どころか、まったく自分の容姿を気に入っていないのを、キースは分かっているが、それをこの場で言う必要はない。
「そうだよね」
その”そうだよね”はクローヴィスが美しいことに関しての同意なのか、それともキースが自らを”捻くれている”と言ったことに関してなのか?
晩餐の席にいる者たちは、気にはなったが、これも深く追求しなかった。
「若いやつは、素直になれないのが多かったな」
「まさか、あの容姿を貶すようなのがいたのか? ヴェルナー」
「士官候補生にいた。まあ、一年で辞めたが」
**********
”大人から見れば一目瞭然だったが、クローヴィスは気付かなかった……同期も気付いていたが、クローヴィスが気付かないから、誰もフォローはしなかった”
晩餐の席でヴェルナーから聞いた「ミカ・ユルハイネン」という、稀にみるバカ――そして士官学校時代から同じく分かり易い好意をクローヴィスに持っている、
「閣下、地図を一般人に見せる許可をいただきたいのですが」
副官に就任したウルライヒ。
「一般人? 目的は?」
「クローヴィス大尉の弟、デニス・ヤンソン・クローヴィスです」
さっさと告白すれば成功しただろう、好青年な副官はクローヴィスの弟デニスが、姉の赴任先に旅行に行く予定があり、現地で会いたいので、場所を知りたいので地図を見せて欲しいと頼まれたと。
「地図か」
簡単に異国の地図は手に入らず、また売っている地図は、正しいかどうか? 保証がない――軍に納められている地図ならば、正確さは保証される。
「地図というよりは、正しい路線図でしょうか」
「?」
ウルライヒはデニスについて、詳しいとは言わないが、性質は知っているので、どこを覚えてクローヴィスの居住地へと向かうのかは、想像がついた……が、キースはこの時点ではデニスの趣味・特技・奇行については知らない。
知っているのは、ピヴォヴァロフの特別車両にクローヴィスを見事に誘導したこと――会って一度は殴りたいと思うも、客観的には「大尉に協力を求められた一駅員」という構図で、一駅員が拒否できるような状況ではないため、総司令官として何も言うことはできない。
「路線図か。駅員だったな」
「はい」
「どんな奴なんだ?」
軍用の地図を見せるとなれば、経歴などが気になるのだろうと、ウルライヒは覚えているデニスの経歴をキースに語った。
「幹部なのに、駅員をしているのか」
聞いたキースは、初めて聞いた経歴に、思わず聞き返してしまった。
「はい。本当は大学へは進まず、駅員になるつもりだったらしいのですが、説得されて進学して、駅員の道へと進んだそうです」
「なんと言えばいいのか」
よく親が許したな――だが、娘が士官になることも許した親ならば、息子の変則的な就職も認めることができたのだろうなと、面接の時に驚いてはいたが、娘であるクローヴィスの幸せだけを願っていた父親の姿をキースは思い出した。
「特に問題はなさそうだな。司令部内で見せてやれ」
「はい! ありがとうございます、閣下」
デニスの人となりは分からないが、あの両親とクローヴィスの家族で、信頼できる部下も忙しい合間を縫って、許可を取ろうとするくらいなのだから、軍所有の地図を見せても良いだろうと判断し許可を出した。




