【107】閣下、完璧が仇となる
赴任決定後、リリエンタールが予想していなかった、様々な出来事があったものの――クローヴィスはブリタニアス君主国へ向けて旅立った。
「仕方ないじゃないですか」
クローヴィスとの関係を、いまだ隠しておく必要のあるリリエンタールは、見送りたくとも行くことができず――ベルバリアス宮殿の一室にあるソファーに寝転がり、目を閉じていた。
リリエンタールのこの態度にすっかり慣れた執事。
今回は見送ることができなかったのが理由だと、はっきりしてもいる。
「…………」
「あなたが中央駅のホームに立っていたら、目立ち過ぎますから」
通常リリエンタールは王族専用の通路を通るので、駅のホームになど立たない――ロスカネフ王国の王族ではないが、国賓扱いなので、そのような扱いになっている。
「キースが”隠す気あるのか? ツェサレーヴィチ”って言うのも分かります」
リリエンタールはクローヴィスを自らが所有する専用列車に乗せて、大陸の端まで送りたかったのだが、一軍人として向かうクローヴィスをそんなものには乗せられないと、総司令官であるキースに言われた。
「イヴには不自由な思いをさせたくなかったのだ」
「あなたに、そういう気持ちが芽生えたことは、とても良いことだと思います……けど、わたしですらキースに叱責されると分かるようなことを、しでかすのはちょっと……」
キースが許すはずがないことくらい、分かるでしょう――と。
執事は持ってきたワインをグラスに注ぎ、
「はい、起きてください。飲みましょう」
グラスを差し出す。
リリエンタールはすっと起き上がり――動きの一つ一つが「静」なので、起き上がる姿には気品がある。
グラスを受け取ったリリエンタールは、口を付ける前に、
「シャルル、感謝する」
執事に対して感謝を述べた。
「へ? ……ん……なに?」
リリエンタールから感謝を述べられたこともなければ、感謝されるようなことをした覚えもない執事は、首を傾げる。
ワインを一口飲んだリリエンタールは、
「イヴが一等車両に乗れるよう、掛け合ったことに関してだ」
「ああ、それですか」
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クローヴィスを特別車両に乗せたいリリエンタールと、隠し通すためだけではなく、軍の規則として二等客室以外は許可しないと、軍の総司令官として芯を通すキース。
完全な平行線を前に、
「落としどころって、どこだと思います? サーシャ」
執事はこれをどうにか収めたいと考え、どちらかと言えばキースと同じ側に立って考えられるサーシャに、解決の糸口を尋ねた。
「落としどころですか」
二人はテーブルを挟んで向かい合って座り――クローヴィス好みを探しをしており、今日はクグロフと、それに合う白ワインを捜していた。
「キースは頑固ですけれど、司令官になったからには、取引とか譲歩とかそういうことも出来る……んですよね?」
「交渉事はお上手です……が、部下に関しては頑として引かないといいますか、そもそも部下を守るために、貴族を蹴落として司令官の座に就かれた方ですので」
キースは交渉、譲歩、後ろ暗い取引も必要とあらばするが、その基本は部下を守るため。
自分が若かった頃、どうしようもない貴族士官によって、恋人と仲間たちを失ったことが原動力であり、その初心を忘れていないので、部下に関わることでは引かない。
「部下を守るためか……。良い指揮官ですよね。指揮をする前段階で、すでに良い指揮官」
リリエンタールの特別車両に部下を乗せるのは、規則の問題もあるが、リリエンタールに対して恨みを持つ国家が何かを仕掛けてくる可能性もある。
そこにリリエンタールが搭乗していれば、すぐさま解決できるが、リリエンタールは同乗していない。
リリエンタールを倒すために張り巡らされた策と、投下される物量を前に、手を打てるような才能を持った部下はいないので、目立つ危険な特別車両に部下たちを乗せたくはない。
もちろんツェサレーヴィチの特別車両に、部下を乗せるのは、心理的に嫌だというのも大いにあるが。
「はい」
「戦争の巧さでは、あの人には及ばないけど」
リリエンタールは敗北しない指揮官なので、指揮官としては最高だが、王族として生まれ軍を指揮したら、稀に見る巧さだったのでそのまま総司令官の座に就いただけであり、部下を守るためなどの動機はなく――平民で上を目指して司令官になったキースとは、根本的に違うので、リリエンタールがキースの感情を理解するのは難しい。
「それはキース閣下ご自身も、認めていらっしゃいますので」
「嫌いだけれど、心酔しているっていう……複雑な男だよねえ」
この嫌いだが心酔しているという部分を、共産連邦は読み間違った。
キースが護衛としては役に立たないだろうから、簡単に暗殺できるだろうと考え幼子を送り込むも――いまに至るまで、リリエンタールは凶刃を受けたことはない。
「そうですね……あのシャルルさま。落としどころですけれど、一等客室に乗せるというのはいかがでしょう?」
「一等客室ですか。そこが落としどころというわけですね」
「はい」
サーシャは自分の副官として、同室にして使用人部屋を使わせるという名目で、
「密室ですので、どちらが主人格の部屋を使っているかなど、他の同行者には分かりません」
自分とクローヴィスの部屋を交換することを提案した。
「なるほど。部屋に妃殿下一人では、不自由でしょうしね。サーシャは気が利きますしね」
「ありがとうございます」
「庶民ですので、部屋に使用人がいるのは、気を遣うと思いますし、一人で何でも出来る人なので」とサーシャは思ったが、敢えてそこは言わなかった。
いずれ結婚したら、クローヴィスは使用人が大勢いる邸で過ごさなくてはならないので、慣れたほうが良いだろう、その最初の一歩として自分が傅こうとサーシャは考えた。
「なんで取引しようかな……キースはお金では動きませんよね?」
「無理ですね。潔癖というわけではなく、金というもっとも単純な手段を使ってくるのが嫌……なようです」
「それなりに頭を使えということですか…………よし、フランシスを呼ぼう!」
キースとの交渉材料をテサジーク侯爵に聞き――事情を聞いたテサジーク侯爵は、一頻り笑ってから、
「短期間で考えを翻させるとなると……殿下の戴冠式、リヒャルトとシャルル殿下で取り仕切るってどうかな? 王族関係はアーダルベルト君、苦手だからさ」
戴冠式を取り仕切る聖職者を引き受けたらどうだろうか? と提案してきた。
「戴冠式?」
「それがこの時期、もっとも交渉材料になりそうなんだけど、やっぱり駄目かな?」
「いいえ。そんな簡単なことでいいの?」
「リヒャルト、どれほど頼まれても、出たことないよね?」
「ええ、聖職者としてもそうですが、親族としても一切、臨席したことはないですよ。でも妃殿下を一等客室に乗せられるのなら、そのくらいのこと、すぐに引き受けます。下手したら”もっと早くに言えば、教皇は無理だが、聖王程度ならば呼んでやった”と言ったと思いますけど」
「さすがに、我が国にいきなり聖下を呼ばれても困るなあ」
テサジーク侯爵と執事はそんな会話をかわし――提案を聞いたリリエンタールは、
「そんなことでいいのか?」
執事が言ったとおりの返事がかえってきた。
キースに関してだが「微妙に殿下が簒奪したという噂が流れているので、払拭するためにも、通常では喚べない最高の聖職者に戴冠してもらうことにしたい」とテサジークが説得し、
「クローヴィスを一等客室に乗せるためだろう?」
「やっぱり分かっちゃった?」
「分からないはずないだろう…………こちらの手に負える、ぎりぎりの範囲内ってとこか」
「うん。これ以上は、リヒャルトがなにをしでかすか分からないから」
「本当に、何をするのか分からなくて困る。もともとそうだったが」
「多分、一番困ってるのは共産連邦の幹部だとおもうよ」
「大いに困らせろ。そして勝手に困ってろ」
クローヴィスの知らないところで、このようなやり取りがあり、彼女は一等客室入りすることになった。
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「あんな簡単なことで、キースが許可を出すとは思わなかったからな」
「世間的には、そんなに簡単なことじゃないみたいですよ」
リリエンタールはワインを飲み干した。
ちなみに特別列車の危険性についてだが、一等客室に乗ることで落ち着いたあと、話し合い、キースが危険性を憂慮してのことだと知り、
「安全確保は万全だ。そのために、リーンハルトを配置し、共産連邦に睨みをきかせるために、ヴィルヘルムに列車砲を売り、あのタイミングでシェベクをアディフィンに送り、アウグストがやってくるよう仕向けたのだ」
そう告げたところ、
「そこまで完璧ならば、ますます普通の車両でいいでしょう」
と返された。
詳細を聞いたキースは、あまりの万全さと隙の無さ、そして金の掛けようと、すり切れるまでシェベクを使い倒すその姿勢に「ここで手を打ってよかった」としか思えなかった。




