【106】箱庭が綻びる時/03
クローヴィスの両親とリリエンタールの顔合わせが終わったあと――驚き気を失いかけた継母の体調を慮り、クローヴィスが付いて少し休憩を取ることになった。
その間、父親は別室で、
「リリエンタール閣下から、譲っていただきました」
キースと二人きりで会うことに。
キースが言ったとおり、リリエンタールはクローヴィスの父親と会おうとしたのだが、キースが「これ以上、善良な市民の精神に、負荷を掛けるのはお止めいただきたい」と止め――テサジーク侯爵もキース側についたので、一端は諦めることにした。
もちろんすぐに引いたわけではなく、
「おまえは総司令官という、物々しい地位についているが、わたしはなんの役職にもついていないから、威圧感はないと思うが」
「なんの役職にもついていないのに、選定の場にいても、誰も疑問を持たないあたりに、ご自身の地位の高さを理解すべきです」
「おまえのように、疑問を持っている者は、大勢いると思うが?」
「あなたは、疑問もなにもかも、粉砕してしまう血筋と経歴がある。殿下と侯爵とあなたとわたし。この中では、わたしがもっとも話しやすい相手ですし、緊張を解すのに丁度よい。といいますか、クローヴィスはわたしの部下です。そしてクローヴィスはわたしの部下として、国外へ赴くのです」
「…………」
そんなやり取りを経て――普段であれば、強引にでも物事を進めるリリエンタールだが、クローヴィスの両親に疎まれては困るので、キースに譲り、
「クローヴィス卿の都合がよい時にでも……予定を尋ねるか」
「うわー。あんたが他人の予定を聞くとか、信じられない。枢機卿を呼び出しておきながら、”すぐに帰れ”と命じる人間と、同一人物とは思えない」
「イヴァーノだからなあ」
「たしかにイヴァーノなんだけどさ」
両親との面会が心配でついてきた、執事ととりとめの無い会話を交わしていた。
そんな会話が行われているなど知らないクローヴィスの父親ポールは、娘の上官に深々と頭を下げる。
室内は簡素で、ドアの外にはヤンネが一応見張りとしてついている。
一応というのは、ヤンネは荒事には弱く、キースに殴られたら一発で沈む程度なためだ。
キースは座るように促し――
クローヴィスの結婚話について、両親よりも先に聞いたことなどについて詫びた。
詫びられたポールだが、相手が相手なので――
「正直なところ、このような場を作っていただき、殿下や総司令官閣下が臨席なさってくださったお陰で、なんとか信用できたくらいでして……娘から自宅で直接聞かされても、全く信用できなかったかと」
娘であるクローヴィスのことは信用しているが、娘の口から聞かされても、冗談としか思えなかったはずだと笑う。
「わたしに子はいませんが、全く以て同意ですね」
ポールに同意してから、キースはリリエンタールと司祭カルロスの他、ガイドリクスと自分もサインした書類を見せた。
「間違いなく、リリエンタール閣下の正式な妻として迎え入れられます」
口頭で説明したところで、信じてもらえないだろうと考えて、書類の作製も行っていた。
「わざわざ書面になさって下さったのですか」
「相手があれですので、簡単には信じられないかと思いまして」
「そうですね」
ポールは書類を捲り――
「そのサインはリリエンタール閣下本人が、確かに記したものです。この目で確かめました。そしてそれが本人のフルネームだそうです。そのフルネームが正しいかどうかは、カルロス司祭に確認していただきました」
そこには名前ではなく、文章と評するべきだとしか言いようのない署名が記されていた。
「お名前は長いと、義息子から聞いておりましたが……これほどとは」
この世界でリリエンタールのフルネームを言えて書ける、数少ない存在デニス――だが彼の真価はこの時点では、軍の上層部には知られていない。
「一般人がお目に掛かることのない名前ですね。かつてわたしは、リリエンタール閣下の副官を務めたことがありますが、その署名をしたのは一度も見たことがありません。リリエンタール閣下御本人も、”したことはない”と仰っていました。書類に一々そのサインでは、仕事になりませんので」
リリエンタールはフルネームを書いたことはない――皇太子として冊立された際の書類でも、書くことはなかった。
「そうでしょう」
「ただこれから、クローヴィス卿に手紙を出す際は、その名で送るそうです。あとでフルネームをお届けするとのこと。それと一切祐筆を使わないと仰っていました。正直、あの人からの直筆の手紙は、鬱陶しいと思いますが」
「……なんといいますか、お手数をおかけするようで」
「本人が希望しているので、気にする必要はありません」
気にするなと言ったキースだが、正直なところ「気にはなるよな」としか思えなかったが、大人なのでそう言うしかできない。
それから少し話をし――
「実はお願いしたいことが」
「なんでしょう? 閣下」
キースはさきほど書類を取り出した鞄から、封筒を取り出した。
手紙はサデニエミ商会宛――いままでキースとサデニエミ商会には、一切繋がりがないので、人を介する必要があり――ポールにその役割を依頼した。
ポールは手紙を受け取り、
「必ずお渡しいたします。差し出がましいようですが、返事は?」
「返事は必要ありません。会うと書いたその日時以外は、予定が合わないので」
「お忙しいなか、ありがとうございました」
案内と共に部屋をあとにした。
クローヴィス一家は、執事が手配した馬車に乗って帰宅の途につく。
「キース」
当たり前ながらクローヴィス一家を、見送るなどできないリリエンタールは、
「なんでしょう?」
キースに馬の持ち込みに関しての書類を渡した。
「黄金の馬ですか」
キースはこれもリリエンタールの副官時代に、騎乗しているのを見たことがあり――
「結婚式当日、黄金の馬の馬車でイヴを迎えに行きたくてな」
その馬が、ルース皇族専用馬であることも知っていた。
「ルース皇族専用馬ですか」
もうルース帝国はないのだが、皇族は残っており――リリエンタールが絶滅しないよう保護しているのも知っていた。
「イヴ専用にするつもりだ。それならば、よかろう? ルースの名など、残す必要はない」
キースはルース皇族は嫌いだが、かといってその文化を全部否定するつもりはない。
だが黄金の馬の所有者が、所有権を譲ることに、口を挟める立場でもないが。
「管理はわたしがするから、大丈夫であろう。イヴは馬が好きだと言っていたからな」
「庶民は馬一頭もらっても困るというのに、王家専用馬を全てを捧げられてもなあ……」
贈り物の規模がおかしいと、この時キースは実感した。
**********
――イヴーーーー!!
父親のコンラッドと共に、はじめて司令本部を訪れたブルーノは、内心で叫んだ。
先日、ポールが「新総司令官閣下から」と、サデニエミ商会に手紙を届けてくれた。新しい総司令官キースは平民出身だが、サデニエミ商会とは特に付き合いはない。
もちろんサデニエミ商会長である、ブルーノの父親コンラッドならば、伝手を手繰ればたどり着けるかもしれないが、
「少し前になるが、あの時は助かった」
応接室で会談するような関わりはなかった。
――イヴーーーー! あの時の食器類や布、総司令官閣下が使用するなら、言ってくれーー! もう少し、地味なのを渡したぞーーーー! あれ、完全に女性向けーー!
そのサデニエミ商会長と、跡取りをキースが呼んだ理由は、以前風邪で倒れた際に、色々と融通してもらった商品の支払い。
あれから忙しく、なかなか時間が取れず、余裕が出来たらなどと言っていたら、向こう三年は支払えなさそうなので、呼び出して小切手を渡すことにした。
「お役に立てて幸いです、キース閣下」
コンラッドも事情は聞いていたが、相手が総司令官のキースだとは知らなかったので、ポールから手紙を受け取ったときは驚き――ブルーノは「もしかしたら、事情があって総司令官閣下が……」と淡い期待を持ってやってきたが、その期待は儚いものだった。
――イヴーーー! イヴがそういうヤツだってのは、知ってるけどさ! 知ってるけど、知ってるけどな! イヴらしいよ!!
「サデニエミ商会に幾つか頼みがある」
「なにをご用意すれば、宜しいのでしょうか?」
呼び出した商会の長に頼みとなれば、なにか欲しいものがあるのだろうと――こつこつとキースの信頼を得られることができれば、商会にとってプラスになる。
「女子寮の食器の納入を。食器が古いんですと、クローヴィスが嘆いていた。破損などを考えて、五十セットで」
「承ります」
「あとは、わたし用の食器を。本部に総司令官用の食器はあるのだが、総司令官なんてのは王侯貴族の地位だったこともあり、庶民が普段使うのには、仰々しい食器類ばかりなので、普段使いできるのを五セットほど頼みたい」
「はい」
サデニエミ商会はこうして、意外なところから総司令官の御用聞き的な立場を手に入れ――
「あ、ブルーノくん」
ブルーノは食器のサンプルを持って、女子寮を訪れる許可を貰った。
「スイティアラさん……少尉どの」
「ユスティーナでいいよ」
士官学校時代から、同期の女性士官たちはクローヴィスの実家を訪れ、ブルーノも紹介されていた。顔見知りという立場を生かして、女性士官たちの希望を聞こうと。
他の女性士官や調理師など集まり、サンプルを手に取りながら――
「サデニエミ商会が扱う食器、可愛いもんね」
「イヴとは入れ違いになっちゃったね」
ブルーノが女子寮を訪れた頃には、すでにクローヴィスは補佐武官に選ばれ、国外へ赴くための準備のため、退寮していた。
「せっかく食器が新しくなったのに、使えない! って嘆きそう」
「言うね。”新しい食器になったよ”って手紙を送ってあげよう」
「ヒデェ。でも、イヴはきっと”良かった”って言う」
「イヴはそういう子だよね。ティナから聞いていたけど、ほんと可愛いね」
「ティナはこういうの好みなんだ」
「うん、こういう食器に囲まれて暮らしたい」
「分かる」
「皆さまのご期待に添えるよう、可愛らしい食器を増やしますので」
サデニエミ商会が王室御用達となる、第一歩は女子寮――




