【103】閣下、蜂蜜を味わう
リリエンタールの服を仕立てる者たちが、総出でタキシードを作り――何度もリリエンタールが仮縫いに付き合い、一分の隙もないタキシードが完成した。
「数少ない機会ですから」
サーシャの提案でリリエンタールは、タキシードでクローヴィスを迎えることになったのだが、
「だが娘は正装するのだから」
クローヴィスには正装に着替えてもらおうと、執事が提案したことで「やはり自分も燕尾服のほうがいいのでは?」とリリエンタールが言い出し――
「あなたはタキシードでいいんです。メインはあくまでも、妃殿下なんですから」
執事が正装に着替えてもらおうと提案した理由は、ドレス合わせと、完成している幾つかの宝飾類を身につけてもらい、デザインの更なる向上を図ろうとしてのこと。
どんなデザインでも、有無を言わせず従わせるクローヴィスの美貌に甘えては、世界一の権力者にして富豪の名が廃るというもの。
「軍服でも宝飾品を身につけることはできるであろう? キースですら、小指に指輪を嵌めているのだから」
「軍人がデスクワーク中に許されるのは、指輪とピアス、イヤリングくらいのものでしょう。あと、キースの婚約者の形見の指輪については触れるな」
「あれは、殺害された婚約者の指輪だったのか」
「知らなかったのか! あんたとキース、付き合い長いだろうに!」
あまりキースに詳しくない、クローヴィスでも知っている事柄だが、意外というべきか、それともらしいと表現するのが正しいのかは不明だが――リリエンタールは指輪の詳細については、知らなかった。
キースが指輪を小指に嵌めていることについては、リリエンタールも印章指輪を小指に嵌めているので、その類いだろうと――もともと他人に興味のない人間ゆえ、リリエンタールは全く気にならなかった。
「わたしとキースが、そんな会話をすると思うか? わたしがキースにそこまで興味を持つと思うか? 婚約者の一件も、フランシスが軽く喋っただけだ」
「そうだな! キースがわざわざ語るはずないな!」
「互いにそこまで興味もない」
「だろうな……とりあえず、いまあんたが用意を命じたのは、ドレスに似合う宝飾品。軍服に似合う宝飾品は用意していない。わかるな?」
「娘ならば、なにを身につけても似合……」
決まり文句を言い出したリリエンタールの語尾に、執事は容赦なく被せる。
「確かにお似合いになるでしょうよ! でもな、首に大舞踏会で羨望の眼差しを受けるような、首飾りをつけて仕事には行けないし、妃殿下はきっと行きません! 分かる? 分からないから言い出してる気もするけどさ!」
他人が喋っている最中に、言葉を被せるのは失礼なことであり、マナーを熟知している執事は、普段であればそのようなことはしないのだが、これに関しては失礼など言っていられないとばかりに。
執事もクローヴィスならば、質素な紺色で詰め襟の尉官の制服姿に、王妃に相応しい首飾りを身につけても、納得させることはできるとは思うが、軍には軍の服装規定というものがある。
王侯貴族の女性名誉将校ならば、慰問の際に、特別デザインの軍服に宝飾品を身につけることもあるだろうが、クローヴィスは本物の軍人で、その上官はツェサレーヴィチの道楽に、付き合ってくれるような人物ではない。
「まあ……たしかに、娘の動きを鈍らせてしまうような、デザインばかりだな」
「そうですよ! キースですら認めた妃殿下の動きの邪魔になる。それがドレス用の宝飾品です」
自他共に認める守銭奴、宝石商のヒューズ・ゲイルの頬を頭を腹部を、本当に札束で叩き用意させた、数々の目がくらむほど豪華な宝飾品だが、クローヴィスの普段使いにはなり得ない。
「本当に邪魔になるかどうか、少し試してみてもよいか?」
「タキシードを着ると約束するならな」
「…………」
<タキシードを着ると、約束するよな>
<…………>
【タキシード以外の着用は許可しない】
【分かった。洒落た着こなしは、お前の得意とするところだものな】
こうしてクローヴィスには正装してもらうのに、自分は略礼装の条件を飲ませ――
「ほら、似合わないでしょう?」
――どういうシチュエーションで?
軍服に大舞踏会用の首飾りは似合わないことを証明すべく、生粋の軍人――アーリンゲにアディフィン軍の正装をさせ、リリエンタールが所有している歴史あるプラチナとサファイア、そしてダイヤモンドの首飾りを身につけさせてみた。
「ふむ……だが、単純に顔の問題では?」
リリエンタールの想像の遙か下をゆく似合わなさ――を、心中に留めることなく言い放つ。
「なんたる暴虐! さすが、生まれながらの皇帝」
ごく普通の顔だちのアーリンゲには、とても着こなせなかった。
「顔を優先するのでしたら、サーシャが良いのでは?」
「仕事でいなかったのでな」
「迷惑を掛けましたね、ヘラクレス。下がっていいですよ。この人の暴言の詫びとして、その首飾りあげますよ」
「いや! 要りませんよ!」
アーリンゲはもちろん首飾りを返し――
「サーシャは似合いそうだから、あえて外したんですけどね」
二人はティータイム――リリエンタールはコーヒーを口へと運ぶ。
コーヒーカップの他に、八種類の蜂蜜が並べられていた。
「そうだろうな。お前もきっと似合うぞ、ベルナルド。どれほど立派な軍礼装をまとっても、軍人には見えぬが、宝飾類は似合うであろうよ」
どの蜂蜜がクローヴィスの口に合うのか?
試しに口に運んでもらい、どれをもっとも気に入っていたか? を、リリエンタールに見極めさせるために、まずリリエンタール本人に「こういう味だ」と教えることに。
いままで料理もそうだが、菓子にも甘みにもリリエンタールは興味がなかったので知らない――だが、味覚や嗅覚はあり、記憶力は優れているので、苦もなく覚えることができる。
「やめろ……そういえば、聞いてはいたけれど、あんたの狗、ピヴォヴァロフって本当に綺麗だね。会いたくはなかったけど」
蜂蜜はスプーンに乗せられ――執事が産地や花の種類などを語りながら、味わうよう指示を出す。
銀の匙で、蜂蜜をテイスティングするリリエンタールの姿は、
――うわ……なんでこう……甘いものを食ってる顔じゃないんだよなあ……
いつもと変わらず。
「まあ、美しく成長した方だな。興味はないが」
甘い物が嫌いなどというレベルの表情ではなく――リリエンタールを知らない人が見ても、知っている人が見ても、世界征服を企んでいるかのような表情で、蜂蜜の味を覚え記憶する。
「飼い主の冷たいこと……あんたが選んで、共産連邦の幹部に名を連ね、元帥たちに重用されているピヴォヴァロフが、どうしてクリスティーヌなんかに付いたのか、分かる?」
クローヴィスのことは分からないが、二十年ちかく放置している狗の動きは手に取るように分かるはず――執事の問いに、
「あれは国を挙げての策略だ」
期待を裏切らず、さらりと答えた。
「?」
「どの国も、フランシスがクリスティーヌに負けることを期待していた。ヴィルヘルムやアウグストも、フランシスが破れることを期待していただろう。共産連邦も同じこと」
「あー、あんたと同じで、フランシスも強すぎるってことか。あのさ、わたしとサーシャとしては、この島でしか採れないタイムの蜂蜜が、妃殿下のお口に合うと思うんだけど。あと届いてないけど、レザーウッドの蜂蜜もいいと思うんだよね。レザーウッドは南半球からだから、なかなか届かなくて」
国内で手に入る蜂蜜ではなく、世界各地のものを――リリエンタールは美食家ではないが、執事と料理長は世界最高級の食材を使って料理を作っていたので、高級食材を集めても不審がられはしなかった。
「お前たちが言うのであれば、そうなのであろうな。注意深く観察する……つもりだ。南半球の何処の島だ? 航海がスムーズにいかないのであれば、ペガノフにでも運ばせるか?」
高級食材と一流料理人泣かせなリリエンタールは、砂でも食っているのだろうか? といった表情のまま、蜂蜜の王さまと称される蜂蜜を口へと運ぶ。
「最悪駄目だったら、わたしが直接お尋ねするから、あんま気負うなよ……気負いすぎて失敗されても困るから。あとペガノフはやめろよ。あとの二総督が騒ぐじゃないか」
「分かった。それでフランシスだが、共産連邦としては排除したくて、クリスティーヌと接触を図り協力したが、失敗した。ただレニューシャが本気だったかどうかは知らぬ」
「本気じゃなかった?」
「レニューシャが本気ならば、フランシスを殺害しようとしたであろうよ。そのような行動に出なかった……ので、メッツァスタヤも情報を掴み損ねた」
蜂蜜のテイスティングをしながら、諜報部がピヴォヴァロフにたどり着けなかった理由を教える。
「あ、そっか。あんたの狗は、強いんだったね」
ピヴォヴァロフが来ていたら、もっと命の危険に晒されたはず――殺せたかどうかは分からないが、暴力的な手段を取ることもできたが、暴力を最後まで封じていた。
「殴る、蹴る、撃つ、斬るなどは相当得意だそうだ。メッツァスタヤは自らが所有している情報により、考えを硬直させてしまった。フランシス自身、それが諜報部の限界だと認めている」
情報は抜かれるもの――その抜かれた情報をいかに上手く使うのかが、指揮官の腕の見せ所。
「そんな前評判のピヴォヴァロフも、レイモンドに易々と吹っ飛ばされてたけどね」
「あれは、別格だ……わたしも人生で、初めて”こいつには殴り合いでは、勝てぬな”と思った」
「あんたも、そうとう強いよね」
「そのようだが。レイモンドは本当に別格だ」
「あんたがそう言うんだから、本当に別格なんだろうな。話をピヴォヴァロフに戻すんだけど、諜報部は周囲に埋没する、普通の人間がいいって、聞いたんだけど、ピヴォヴァロフはルースの平均的な美貌を、上回るよね」
「まあな。ルカショフやネストルが、ルースの平均的平凡な容姿だな」
「ピヴォヴァロフって子どもの頃から、顔が整ってたんでしょ?」
「それか。諜報部といっても、国により手法が違うのだ。ロスカネフ王国はイヴァーノが芸術と称するフランシスの変身。あれほどの能力を持つ者は希有だが、みな、雰囲気を変えて忍び込む。共産連邦はルース帝国の頃から変わらず、顔を認識させない技法を用いる。ルース帝国国家保安省、最後の諜報部長官キリルが得意とした技法で、その技術を、分かり易くわたしにプレゼンテーションするために、顔の良いピヴォヴァロフにその技を仕込んだ」
「ああーなるほどね。たしかに分かり易いな」
「他の候補者たちは、普通の顔だった。諜報部に突出した美貌の持ち主はいないといっても、まあ間違いではない」
「お前は、本当に容赦しないな」
「そうか? そんなことより、娘に食べてもらう蜂蜜だが、これを使った菓子も用意してはどうだ?」
「あんたが、すごいまともなこと言ってる! そうですね、この蜂蜜にあった焼き菓子でも作らせましょう」
「各修道院秘伝の菓子を作らせたらどうだ? 修道院の菓子は、砂糖より蜂蜜を使用するもののほうが多いであろう」
昔からある修道院の秘伝の菓子は、砂糖がない時代から作られており――修道院の多くは自給自足で、大陸の修道院は気候の関係上、砂糖を作ることができないので、レシピを変えることができないという事情もあり、伝統菓子も新しい菓子も概ね蜂蜜が使われる。
「……お前、どうしたの? いや、良いんだけど。妃殿下、気に入ってくださるといいですね」
「そうだな」




