【102】執事、食事を取らせる
夕方過ぎリリエンタールは夕食を取るため、燕尾服に着替え、書類が入ったケースを開け目を通し――
「あなたの腹に乗せられている、その書類の内容が理由ですね?」
執事が言う通り、腹に書類を乗せた状態で、ソファーに横になっていた。
「食堂にやってこないから、何をしているのかと思えば」
リリエンタールは生きることに無頓着で、特に食事に対しての欲求が希薄なので、執事はリリエンタールに食事を取らせるのが、仕事の一つ。
執事の問いかけには答えず――
「面倒くさいなあ。ルッツ、食事をここへ。わたしの分も用意するように」
「はっ」
執事は寝っ転がっているリリエンタールをそのままにして、着替えに向かい――燕尾服に着替えて戻ってきた。
「植物でも、もう少し動きそうなものですけれど」
ソファーに横になっているリリエンタールは、全く動いていなかった。
その彼の腹部に乗っている書類を引き抜き、テーブルに腰を降ろす。給仕役になったルッツが、食前酒をグラスに注ぎ、アミューズブーシュが出される――定番の高級シャンパンを口元へと運びながら、書類に目を通す。
そこには、クローヴィスが裁判後に友人たちと飲みにいったこと、一緒に飲んだメンバー、飲んだ酒の種類、仕草、要約された会話が箇条書で記されていた。
冷たい前菜を食べ終え、暖かい前菜が出てきたあたりで、執事は一通り書類に目を通し終え――
「妃殿下が楽しそうでいいじゃないですか。ルッツ、シャンパンを」
サーシャほど滑らかな手つきではないが、シャンパンが執事のグラスに注がれ――口へと運ぶ。
「…………」
「妃殿下の交友関係に、口を挟むことはしないんでしょう?」
「…………」
イヴ・クローヴィスをそのまま手に入れる――彼女の今までの人生を尊重し、二十三年間の人生の間、培ってきた人間関係について、口を差し挟むことはしないと。
「危ない相手なら、口を挟むことはいいでしょうけど、全員、まったく問題ない、軍人仲間じゃないですか」
「…………」
書類には「会っている軍人、全員問題ないよ。まあイグナーツ君の一件があるから、信用されなくてもいいけどね」と書かれていたが、こう書かれているということは、メッツァスタヤの威信をかけて調査したと語っているのと同じことだった。
「さっさとご飯食べましょうよ。食事の席に相応しくない、下らないあんたの愚痴、聞いてやるからさ」
「…………」
執事に言われ、リリエンタールは体を起こし、用意された椅子へと移動した。
ルッツが椅子を引き、リリエンタールは腰を降ろす。
食前酒が入ったグラスを持ち――一口も飲まずに溜息をつく。
「娘が実に楽しそうだ」
「そうですね」
落ち込んでいるであろうクローヴィスを元気づけるために、彼らは集まって、酒と料理を用意して、会話で楽しませた。
「集まった友人の中には、男も多く」
「士官学校の九割強は男だから、仕方ないんじゃない?」
ロスカネフ王国は数少ない女性士官が在籍する軍だが、その数は少ない。
「そうなのだが…………娘が友人たちと食事をしている席に乱入し、”わたしの娘だ!”と叫びたい」
「止めなさい。妃殿下の恋人だと、彼らに知られていないのが、悔しいってことなんでしょうけれど」
いい年した大人が何をしようとしているんですか――とばかりに、執事がそう言うと、
「ああ、そうなのかも知れない」
リリエンタールは小さく何度も頷き、手に持っていたグラスを一気に空けた。
そうリリエンタールは、いつもながら「娘のことでもやもやする」状態だったのだが、そのもやもやの理由を明確にすることができず、感情を持て余し、ソファーに横になっていた。
「……気付いてなかったんだ。まあ、この飲んで嫌なこと忘れようの集いにいる、男性士官たちの三割強は、妃殿下に好意を持ってるでしょうけれど」
「…………」
「そんな顔するなよ! あんなにお美しい方なんだよ? あんたですら、くらくらするような、美貌の持ち主なんだよ? 若い士官が好きにならないはずないでしょ?」
「わたしは娘の美貌ではなく、性格というか、性質というか……見た目も気に入っているが、それだけではなく」
「彼らだって、妃殿下の内面も好いているでしょう」
「…………」
「そういえば、妃殿下はあんたが贈った懐中時計を、この会合で自慢してくれたみたいだね。さすがにあんたから、もらったとは言えなかったみたいだけど。嬉しいでしょ? 自分が贈ったものを、自慢してもらえるって」
恋人からもらった初のプレゼントであり、時間を確認する現代人の感覚を取り戻したこともあり、クローヴィスはリリエンタールからもらった懐中時計を肌身離さず、持ち歩いている。
「それはとても嬉しいが……あの懐中時計の蓋の内側に、わたしの写真をはめ込みたかった。そうすれば、娘が誰のものか、一目で分かるのに」
懐中時計の蓋の裏側に、想い人の肖像画や写真を忍ばせておくことは、この時代ではよく行われていた。
「おいおい、イグナーツ・シュテルンとかいう男を裁判にかける際、判事どもが妃殿下に非礼を働かぬようにって、判事たちに妃殿下があんたの婚約者だって教えた上で、情報が漏れたら一族皆殺しにするって、キースが脅しをかける原因になった当人が、言って良い台詞じゃないぞ。あと、あんたの写真を忍ばせるって、禍々しい呪いのアイテムになっちゃいますよ」
判事たちに対してクローヴィスとの関係を教えたのは、軍司令部側からの申し出――少しでもリリエンタールの意にそぐわない質問をしたら、判事たちが殺害されかねないということで、キースは許可を取り、情報局の副局長も立ち会い、脅し込みで判事たちに教えた。
彼らが帰宅し、床について――翌朝、枕元に双頭の鷲が描かれたカードが置かれ、脅しは頂点に達した。
「たしかに、わたしの写真は禍々しいな」
「そんな禍々しいのが、教科書に載ってるんだから、世も末ですよね」
執事は魚料理を口へと運びながら「はははは」と軽く笑う。
「まあな」
遅れてテーブルについたリリエンタールの前には、茸のポタージュが出された。
「それはそうと、不貞寝するくらいなら、妃殿下をお食事に誘えばいいじゃないですか」
「…………」
執事の提案にリリエンタールは、手に持っていたスプーンを落とす。
「なにスプーンを取り落とすほど、驚いてるの?」
奇跡的に想いが通じ合い、恋人同士になったのだから、当たり前でしょう? と、執事がリリエンタールを正面から見つめる。
「全く思いつかなかった。明日にでも呼ぶ」
「待てよ。明日じゃ、コンソメスープが間に合わない」
「ああ、そう言えば娘は、たくさん飲みたいと言っていたな」
「そうなんでしょ? コンソメスープが出来た日に、お誘いしようよ」
「……そうだな」
「ただし、手抜きはしないから、少し時間掛かるよ。あんたと違って、妃殿下はお料理の味が分かる方だから」
「もちろんだ。ジャン=マリーには、わたしの食事は作らなくていいから、娘のコンソメスープを作るよう……わたしが命じよう。わたしの食事は犬の餌で構わぬ」
「たしかに邸の犬は、それなりにいいもの食べてますけど、さすがにそれはねえ」
犬の管理を任されているルッツも「それはお止めください」と――
その後、二人は食事をしながら、クローヴィスを招待する際のメニューを考え、戻ってきたサーシャにも事情を伝えた。
「なにか提案はありますか? サーシャ」
「そうですね。当日いきなり誘う方向にしましょう。あとは、閣下のお召し物はタキシードで」
「え? タキシード?」
「はい。妃殿下の緊張を軽減させるためには、タキシードのほうが良いかと」
リリエンタールや執事にとって、晩餐に招待しておきながら、タキシードで出迎えるなど失礼極まりないのだが、
「ラフな恰好のほうが良い……というわけですね」
「はい。庶民は夕食の時には、燕尾服もタキシードも着用いたしません。かといって、閣下があまりにも砕けた恰好をしていると、逆に妃殿下が気になさると思うので、タキシードが最低ラインかと」
庶民は夕食のつど、着替えたりはしないし、燕尾服など着ない文化で育ってきた相手を出迎えるとなれば――
「それもそうですね。食事を食べ終えたら、タキシード作りますよ」
「食事を切り上げても」
言うと思った――という表情を執事は隠さず、急ぎフリオを呼んでくるようルッツに指示を出し、やってくるまでの間、食事を急ぎ口へと運んだ。




