【101】室長、密やかに笑う
ヴィクトリアの婚約者だった、セイクリッド用に用意した罠、ノシュテット子爵。
メッツァスタヤだと思い込み、彼らはノシュテット子爵の息子イデオンに連絡を取るよう指示をだし――メッツァスタヤから完全に見捨てられた。
そのノシュテット子爵だが、リドホルム男爵とオースルンドが話していた通り、余計な野心を懐き――口止め料として金銭を要求してきたので、強盗に襲われたように装い殺害された。
その強盗を装った始末を、ヤンネから請け負ったのが、ロスカネフ王国の裏社会のまとめ役で、メッツァスタヤと繋がっているアンブロシュという男だった。
普段はこの手の始末を請け負っても、なにも褒美はないのだが、ノシュテット子爵を処分した時は、アンブロシュとメッツァスタヤの間に入っている古美術商オット・パティネンが「良いのか悪いのかは分からないが、一族として認められた」と言い、本物の美術品を三つほど譲ってくれた。
オット・パティネン――ヤンネが、メッツァスタヤの中枢に近い人物であることは知っているが、その一族がどのような形を取っているのか? アンブロシュには分からないし、近づこうとも思わないので、詳しいことは知らないまま。
「知っても幸せになれねえ……ん、うるせえな……」
ドアを叩く音で、アンブロシュは起こされた。時刻は午前八時――勤め人は出勤準備をする時間だが、夜の遅いアンブロシュにとっては、まだ眠っている時間。
「うるせえぞ」
ドアを叩いているのは、召使いかボディーガードか――どちらにも、緊急の用事がない限りは起こすなと言っており、
「アンブロシュさま、パティネンさんから、掘り出し物が出たのでという電報が」
「早く言え!」
紛うことなく緊急事態だった。
アンブロシュにとっては、王宮占拠などよりもずっと重要な案件。
アンブロシュは表向きは、ヤンネと同じく古美術商を営んでいることになっている。非合法組織相手に芸術品の目利きをしている……という形で、ボスの邸に出入りしていた。
立場はもちろんアンブロシュのほうが高く、ボスたちもそこは弁えていた。
十八年ほど前に、逆らった一組織があったものの、一夜にして構成員の九割が変死した――全員殺害しないのは、恐ろしさを吹聴させるためという用意周到さ。
電報を受け取ったアンブロシュは、身支度を調えて、小切手帳を持ち、ヤンネが経営している店へと急いで向かった。
店には病み上がりのヤンネと、アンブロシュが手下として連れ歩くのに相応しい恰好をした男が三名。
「遅かったな、アンブロシュ」
「最大限の努力はしたさ、パティネン」
「そっか。お前を呼び出した理由だけどさ――」
アンブロシュはヤンネから、娼館の主とその家族、そして娼婦たちを、所定の場所につれてくるよう指示された。
伝言や電報ではなく、わざわざ呼び出され、全員を連れて来いというのだから、余程のことをしでかしたのだろう……ことは分かったが、ここでもアンブロシュは詳しくは聞かなかった。
「刻限は?」
「早ければ早いほうがいい」
「分かった。オペラが始まる前には終わらせる」
「この三人も連れていって」
「…………」
「疑ってるとかじゃない。仕事を完璧にするために。俺はお前のこと嫌いじゃないから、失敗して欲しくないんだよ」
「そんなにヤバイところからの?」
「うん。これ以上ない筋から」
アンブロシュは三人と共に店を出て、その界隈を取り仕切っている顔役に話を通し――とりあえず無傷で、指定の場所へ全員を収容し、
「ヤバイから触るなよ」
店も見張りをつけ立ち入りを禁止にした。
アンブロシュは、この段階ではまだ余裕があった。この段階で余裕をなくす程度の人間は、おおよそ裏社会のまとめ役など務まりはしないが――
連れてこられた者たちは、娼婦と店主と店主の家族に分けられ、
――なんで! こいつが出てくるほどって、何したんだよ! あのバカ野郎
アンブロシュは通された部屋で、余裕という余裕を失った。
「ロスチスラフ君、元気にしてた?」
アンブロシュはアフタヌーンティーを強要され――三段のケーキスタンドを挟んだ向こう側に腰を降ろしたのは、ヤンネの父親テサジーク侯爵。
アンブロシュを繋ぎ役に抜擢した人物。
「元気にしておりました。子爵閣下……侯爵閣下となられたそうで」
「うん。父親を殺害して、妹を追い落として、侯爵になったよ」
そう言って、テサジーク侯爵はヤンネが淹れた紅茶を飲む。
――どう、答えるのが正解なんだ?
正答もなければ、誤答もないであろう、テサジーク侯爵との会話。
「遠慮せずに食べて、飲んで。お菓子は、モルゲンロートホテルのものだよ」
「ありがとうございます」
「毒なんて入ってないから、安心して」
「ありがとうございます」
全く信用できないお墨付きを貰い、
――ここで殺されるなら、それまでだ!
アンブロシュは覚悟を決めてサンドイッチを口へと運んだ。
「遠慮せずに食べてね」
料理を勧められても苦痛ではない腹具合なのだが、とにかく食指が動かない。
「侯爵閣下、あの」
「オットが店主から情報を抜き終わったら、制裁を加えておいてね。家族も要らないなあ。娼婦はわたしが預かるよ。まあ、彼女たちは返さないから、店は別の人に経営させていいよ。あの界隈を取り仕切ってたボスからお金が欲しいな。額はボスが決めていいよって、伝えておいて」
――この男が出てきた時点で、バカ野郎と家族の命がないのは分かっていたが、組織に罰金、それも天井知らずって……一体何があったんだよ!! 中流の端にひっかかる程度の娼館で、一体なにが?
アンブロシュの顔をのぞき込み、笑うテサジーク侯爵。
この時点でアンブロシュは、この一件にリリエンタールが関わっていることを知らないので、何ごとが起こっているのか、全く分からない。
ただ分かるのは、ひたすら怖ろしいことが起こっているらしいということ。
「いくら払えば許してもらえるのか、その目安くらいはいただきたいのですが」
紅茶を飲んでいるテサジーク侯爵に、アンブロシュが控え目に問う。
「分かんない」
「え……」
「わたしじゃないの」
「…………」
「意地悪しているわけじゃないよ。ほんと、単純に分からないんだよねえ」
一非合法組織が用意できる金など、リリエンタールにとって、はした金にもならないことを、テサジーク侯爵は知っている。
今回問題を起こした娼館がある界隈を取り仕切っている組織が、全財産を渡したところで、リリエンタールが所有する一総督軍の一ヶ月の予算にもならない。先日動かした、列車砲も作れなければ、維持もできない――アンブロシュは組織の罰金はボスと相談して、無期限で無理のない分割払いにしてもらい、滞りなく支払うことで、
「誠意を見せるためのものだからな」
ヤンネがそれで許してもらえるよう、取り計らってくれることになった。
「誠意なあ」
どこで何が、どのように動いているのか、アンブロシュにはまったく分からないが、
「知りたい?」
「知ったら、殺されるんだろう?」
「うん」
枕を高くして眠るためには、聞かないのが最善だと――しでかした娼館の主と、その家族の処分を確認したアンブロシュは、その日ぐっすりと眠りについた。
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シュテルンが通っていた娼館の娼婦たちは、質素ながら清潔な大部屋にまとめて入れられた。
住み心地は可も無く不可も無く――いきなり、良い部屋に入れて、夢のような生活をさせることもできるが、逆に警戒心が強くなる場合もあるので、テサジーク侯爵は敢えて「今までいた娼館よりも、少しはいい程度」の扱いに留めた。
「君たちが悪いことをしたわけじゃなくて、店主が、娼婦の殺害を隠したのが問題になってさあ」
ロスカネフ王国の、無害な有爵貴族の代名詞とされるテサジーク侯爵は、シーグリットから情報を抜いた時と同じように、娼婦たちにも警戒されることなく――
「あのね、明日証言台に立ってもらうことになるんだけど、心配しなくていいよ。わたしもその場にいるから。いざとなったら、助けてあげるよ。あー信用してないでしょ。わたし、これでも有爵貴族だからね。法廷でも少しは口利きできるんだよ」
娼婦たちが証言台で証言できるように、仕立て上げた。もちろん娼婦たちは気付いていないし、都合の良いことを言わせるわけではない。全く学ぶ機会がないまま生きてきた娼婦たちは、軍の正式な裁判の受け答えの方法など、知る機会がないので、それを補ったのだ。
法廷にやってきた娼婦たちを見たクローヴィスは「疲れた顔してるな」と思ったが、娼婦たちの顔の色艶は随分と良くなっていた――もちろん長年の疲れは、簡単に消えるものではないので、クローヴィスが疲れを感じ取るのも、おかしなことではない。
仕事をしている……についてだが、娼館の主が家族もろとも殺害されたことを知ると、クローヴィスが悲しむだろうということで「店は営業中」ということにされた――裁判後には新しい店になり、足取りは追えなくなるようになっている。
娼婦たちはテサジーク侯爵の意図通りの証言をし、
「最後になにかありますか?」
最後に判事から、そう問われた時――彼女たちは傍聴人席の端に座っている、テサジーク侯爵をちらりと見た。
テサジーク侯爵は微かに笑い、頷く。
その表情――娼婦たちには微笑に見えたであろうが、見る人が見れば、全く笑っていない表情。それを見ていたリリエンタールは、やれやれと指を組み替えた。
娼婦の一人が手を挙げ、
「クローヴィスって人、見てみたいんですけど」
素朴な希望を述べた。
その後、クローヴィスの姿を見た娼婦たちは、シュテルンにあらん限りの罵倒を浴びせかけ――底辺と信じて疑っていない相手からの罵倒に、シュテルンは怒り狂うも、どうすることもできず。
娼婦の罵倒も裁判記録として、永遠に残されることになる。
娼婦たちのその後だが、店が閉まったので、そのまま解放――とは言っても行き場はないので、テサジーク侯爵が領地にある「表向き」の本邸の下働きとして雇い、後に結婚したクローヴィスが遊びに来た際に引き合わされ、感動の再会を果たし、悪くない人生を送った。




