【099】イヴ・クローヴィス・15
同僚がクーデターに加わっていたクローヴィスの身柄が、軟禁状態になるのは、士官なら誰でも分かっていた。
その同僚がクローヴィスに対して、おかしな感情を持っていたばかりか、おかしな方向に発展させて、横領や殺人という犯罪まで犯していた……などの情報を聞かされ、それに関することで事情聴取された。
首都にいる女性士官たちも全員事情を聞かれ――最後の一人の聴取が終わったあと、全員寮の談話室に集まり、酒を飲んだ。
クーデター関連のできごとなので、外で会話するわけにはいない――その時の彼女たちの罵倒は、聞くに堪えないものだったが、シュテルンの罪状自体がそれ以上のものなので致し方ない。
兵士たちを従わせる大声で、あらん限りの罵詈雑言を叫んだ彼女たち――語彙がつきた時、クローヴィスの先輩にあたる士官の一人が、グラスに残っていたストレートのウィスキーを一気に飲み干し、
「でも、話を聞いたとき、イヴだからなーって思っちゃった自分がイヤ!」
シュテルンは死ねと思うが、クローヴィスに関してはすんなりと納得してしまったことを、正直に告げた。
「分かる! わたしもイヴだからねーって」
「クローヴィスだから仕方ない、という流れはあると思われる」
「イヴは善し悪しはさておき、好意には疎いからね」
「あの容姿で、好意に敏感だと、疲れてしまうので……って、デニス君が言ってたもんね」
「うんうん。イヴが鈍いのは、仕方ない」
「でもその結果、身辺に危険が潜んでいたとか」
「近くにヴェルナー教官がいたから、良かったものの」
「イヴは”鬼教官がが……”だったけどねぇ……」
「気持ちは分かる」
「分かるけど」
「ヴェルナー教官も、もっと早めに気付いてくれたら良かったのに」
「ヴェルナー教官はもてるから、もてない男の行動なんか分からないんじゃあ」
「ああ、そうかも。見てくれだけは最高なんだけど」
「声もいいよ」
「そうだよね。悪いところはないんだよなあ、むしろ良いところばかり……性格以外は」
もう少しだけマイルドさがあったなら……と――
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「悪ぃな。髪が抜けた」
――欠片も悪いとか、思ってないぞ、こいつ!
女性士官たち(同期含む)に、もう少しマイルドな性格をしていたなら――と言われる男ヴェルナーは、男の髪の毛を、ぱらぱらと降らせた。
髪の毛の持ち主はクサーヴァー。
無事にリリエンタールの代役を終えた彼は、ロスカネフ王国へと帰国した――もちろん国内に入ったあたりで姿を消した。
この辺りは諜報員なので、慣れたもの。
寒さに難儀しながら、その後、アーリンゲからもらった招待状を持ち、リリエンタールの邸を訪ね、多くの人を介し、会うことは叶わなかったが、シャルルに紹介状を書いて貰い、キースの元へ。
キースが居る部屋へと通されたクサーヴァーは、部屋にいたヴェルナーに髪を鷲掴みにされ、キースに膝裏を蹴られて崩れ落ち……その際に髪の毛が毟られた。
「諜報部のくせに、正面から堂々と入って来るとは」
「アレに似たんだろ」
――裏から入ってきたら、殺すくせに!
クサーヴァーはキースを見るのは初めてだが、容赦ない男だということは、すぐに分かった。
もっとも、蹴られて床に崩れ落ちるハメになったのだから、分からないほうがどうかしている……状態だが。
「シェベクたちを連れていけ」
そんな話など聞いていないクサーヴァーだが、
「そういう話になっている……のですか?」
勝手に上層部でそう話がついているのならば、従うまで。
「リリエンタール閣下がそのように仰った。そのリリエンタール閣下が、お前が来るから、シェベクを護送させると言っていた」
「…………」
「まあ、わたしの経験から言えば、あの二人は全く話などしていない。お前が来るというのも、リリエンタール閣下の読みだ」
「外れたことねえけどな」
「ツェサレーヴィチが、知略を外すわけねぇだろ」
キースからさっさと出て行けという言葉と共に、国内を自由に移動できる許可をクサーヴァーはもらった。
「リリエンタール閣下への紹介状は、シャルル殿下に書いてもらったんだろう?」
「はい。あの……オースルンドの親ってのに、会えますか」
クサーヴァーは将来有望……という言葉を使うのが適切なのか? 些か微妙だが、名目上の役職は、将来を嘱望されている情報将校。
若くて、リトミシュル辺境伯爵の部下になってからまだ日も浅く、ロスカネフ王国へやってきたのも初めて。
「テサジークに会いたいのか」
なので、名高いテサジーク侯爵に一度会ってみたいと考えた。
「はい」
「紹介状は書いてやってもいいが、会えるかどうかは知らんぞ。お前が会ったテサジークが、本物のテサジークかどうかなんて、わたしだって断言できん。おそらく、リトミシュルどころか、フォルクヴァルツでも見分けられるかどうか」
「お前の閣下が言うところの”俺たちのアントン”は、見破るけどな」
本気で会いたいなら、リリエンタールに頼め……という言葉と共に、クサーヴァーはテサジーク宛の紹介状の他、リリエンタールに届けるようにと言い付かった書類を手に、司令部をあとにする。
――ヴェルナーのほうが良い男だけど、もてるのはキースのほうなんだよな……恰好いいけど……儚さがあるって聞いてきたが、どこに? 閣下が仰る通り、背が高く体格に恵まれた男にしか。色素が薄いのが、儚さ? いや、ヴェルナーのほうがブロンドだから……いやどっちも、同じだ
女ではないので、キースの特異性を当然ながら体験することはできず――そのまま、リリエンタールの元へと急いだ。
預かった書類についてだが、クサーヴァーは封を開けたりはしなかった。
――リリエンタール閣下関連の情報なんて、俺には扱えない
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「完全とは言えないが、元気を取り戻していて良かった」
ベルバリアス宮殿に軟禁されているクローヴィスの元に、足を運び、面会を果たしたガイドリクスは、
「ああ。強い娘だ。だが強さに甘えてはいけないと」
表面上はいつも通りになったクローヴィスに会い、胸をなで下ろしてから、リリエンタールと会談した。
「シュテルンに関しては、完全にこちらの落ち度だ」
「それは仕方のないことだ。わたしも気付けなかったことだしな」
クローヴィスが聞けば「殿上人のお二人には関係のないことです! 下っ端同士のいざこざなんです!」と恐縮するであろうやり取りがあり――
「折を見て、ガルデオの子息たちをフォルズベーグに放り込む」
ガイドリクスはリリエンタールからこれからの隣国についての、大まかな指針を聞く。
「いつ頃?」
「アレクセイがフォルズベーグを制圧してからだ」
「アレクセイ……か」
リリエンタールとは違い、血縁に対して、それなりに思う所のあるガイドリクスは、叔母の子が隣国に攻め入ると聞き、複雑な気持ちになったが、深くは尋ねなかった。
「それで、イェルハルド。逃げ果せたフォルズベーグ王女を確認したか?」
ガイドリクスの背後にオースルンドとして立っていたリドホルム男爵に、リリエンタールは視線すら向けずに問う。
「おりました」
それは問いというより「お前たち、それにたどり着いたか」という確認。答え合わせですらない。
「それがアレクセイの妻候補だ」
セシルという十八歳になるフォルズベーグ王家の王女は、無政府主義者のテロにより王族が死亡した日、怪我をして欠席していた。
「血統でフォルズベーグの地を乗っ取るというわけか」
フォルズベーグ王国は王女に王位継承権はないが、即位できる男児がいない場合は、王女の夫が王に即位することができる。
そういう文化が根付いた地ならではの支配方法。
「そうだ。ただこれは共産連邦の指示ではないはずだ。別の者が囁いたのであろう。イワン、もしくはお前たちが追っていた女、イーナと言ったな。そのどちらか、もしくはイワンをイーナが唆したか」
「逆はないのか?」
「イーナをイワンが唆した、か? それはないだろうな。イーナと名乗っている女のほうが一枚以上、上だろう」
「そうか」
「アレクセイに盤石な血筋をくれてやるつもりはないので、敵対者を送り込む」
婚姻により治世を盤石なものにする――それらは、王族であるリリエンタールやガイドリクスの得意とする手法。
「それが、セイクリッドたちか」
「そういうことだな」
「だがセイクリッドが、その逃げた王女を娶れば厄介ではないか」
「娶れぬようにしてやる。セイクリッドにはウィレムに成りすましてもらう」
ウィレムと逃げた王女は兄妹なので、結婚はできない――元王女と隣国の公爵の息子として、隣国へと向かえば、苦しいかもしれないが王女を娶り王位に就けるが、その前にセイクリッド自身に「ウィレム」になるように促し、その未来を閉ざす。
「確かに我が国としては、認められぬからな」
ロスカネフ王国貴族であるセイクリッドがフォルズベーグ王になるのは、ロスカネフ王国が認めないのは、今回の一件で彼らは身にしみた。
だからロスカネフ王国とは関係のない人間として立つ――近親者ということもあり、セイクリッドとウィレムはよく似ているから出来ること。
「逃げ果せた王女の顔と名前を、多くの人々に知らせておけば、セイクリッドたちも無理強いはできまい」
「本物のウィレムはどうした?」
「殺した。娘……クローヴィスに興味を持ってな。わたしに橋渡しをするよう求めてきたのだ」
「そうか……それはまあ。だがセイクリッドは勝負にもならぬのでは? アレクセイのほうは、共産連邦が後押ししているらしいと聞いたぞ」
「まだ確証はないが、アレクセイにフォルズベーグを取らせて、何らかの利益を得られるのは共産連邦だけという事実から考えても、そうであろうな。なあに、セイクリッドにはカイ・モルゲンロートが資金提供することになっている。アールグレーン商会を通してな」
セイクリッドと行動を共にしているアルバンタインは、アールグレーン商会の娘と婚約している関係を最大限に利用する――アールグレーン商会は、クローヴィスの幼馴染みブルーノの実家が経営する、サデニエミ商会に手を出した時点で、消すことにリリエンタールは決めた。
その為にも、セイクリッドたち「絶対王政派」には、是非とも活躍して欲しいと考えていた。
もちろん勝っても構いはしない――
「そのアールグレーン商会と繋がるカイ・モルゲンロートは、本物のカイ・モルゲンロートなのか? リリエンタール」
「さあな」
「…………そうか」
こうして、セイクリッドとアレクセイの戦争資金の調達は、恙なく終わり――あとは戦争をするだけとなった。
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クローヴィスの気持ちに配慮して、キースはベルバリアス宮殿待機にした。
同じ建物内……とは言っても、会おうと思わなければ会えない広さ――
「ベルバリアスを、広いと思ったことはなかったが……」
今まで人に会いたいと思ったことなどないリリエンタールは、宮殿の広さや部屋数など気にしたことはなかった。
実際、ベルバリアス宮殿はリリエンタールが所有している、宮殿の中では小ぶりなほうだが、宮殿の主と、軟禁されている一大尉でしかないクローヴィスが会うのは至難。
「会いに行く方法が思いつかぬ」
共産連邦だろうが、アディフィン王国だろうが、ブリタニアス君主国本国だろうが、いかなる植民地であろうが、無数の攻め口が思い浮かぶリリエンタールだが、クローヴィスの部屋にどうやって行けばいいのか分からず。
こういう時に役立ってくれる執事は、邸から出ることを禁じているので、いまリリエンタールの側にいるのは、この手の事態には、全く役に立たない男・アイヒベルク伯爵のみ。
「キースから、クローヴィス大尉に聞いて欲しいことがあるので……という書類が届いております」
そうなることは分かっていたので、執事はキースに「会えるよう、指令を出してください。さもなければ、悲惨なことになります」と手紙を認め――
内乱に関わることという事情から、リリエンタール自ら問うというのは、おかしなことではなかった。
「浮かれると、スキップしたくなるという人間の気持ちが分かった」
ステッキを手に、書類などを持ったアイヒベルク伯爵に、話かけるのだが――声は全く弾んでいない。
「左様でございますか」
ただ本人はとても嬉しく思っている。
それこそスキップをしたいくらいには――もちろん、したことはない。
クローヴィスの部屋の見張りという名目で、入り口ドアに付けているのはフリオ。窓が面した庭側は、犬を連れたルッツに任せていた。
「大尉。会いに来たのだが」
自らドアをノックし――
「あ、閣下」
「キースからの指令……という名目で会いに来た。入ってもいいかな?」
「はい!」
部屋に入ったリリエンタールは、室内をぐるりと見回し――一緒に来たアイヒベルク伯爵が見張りにつき、フリオは給仕の任務につく。
「なにか、欲しいものはないか? 退屈であろう?」
ソファーに腰を降ろし、隣に座るよう座面を叩く。そうすると、恥ずかしそうにクローヴィスがとなりに腰を降ろす。
その姿の愛らしさに、頬が緩む――ただし、どう見ても冷笑のお手本にしかならない顔がそこにあった。