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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
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【001】閣下、作戦名をエーデルワイスとする

「リヒャルト。あなたの心はどこにあるのかしら」


 事後の女の言葉に、リヒャルト・フォン・リリエンタールは、女と関係を清算することを決めた。

 女の言葉を無視し、服に袖を通す。


「帰られるの?」

「今日で終わりだ」

「あ……」


 女は自分の発言が、契約違反に当たるのだと理解し言葉に詰まる。

 乱れた髪のまま全裸でベッドに佇む女とは反対に、何事もなく着替え終えたリリエンタールは振り返らないどころか、声一つ掛けずに部屋を出て、待たせていた馬車に乗り、女の邸をあとにした。


「ベルナルド、マティルダ・ヴァン・アウヌラとの関係を清算せよ」


 馬車に乗っている執事に、関係を処理するように命じる。


「畏まりました。円満解消ですか?」


 女を捜すのも、契約を持ちかけるのも、精算するのも全て執事ベルナルドの仕事である。


「契約違反だ」

「然様で」


 ベルナルドの主君(リリエンタール)が女性との契約を打ち切るのは、いつも相手方の契約違反が理由であった。


「新しいのを用意いたしますか?」


 リリエンタールの女になるためには、いくつかの条件を満たしていなくてはならない。

 その中でもっとも重要なのは閉経していること ―― 絶対に子が欲しくはないリリエンタールにとって、これは決して譲れない条件であった。

 政治家であるリリエンタールは、子供という存在が国家にとって、どれほど重要なものか分かっているが、自身の血を引く子だけはそれに当てはまらないと考えていた。


 もう世界を統治する王は要らない。それがリリエンタールの考えであり、そのために世界を変えていった。

 皮肉にも彼が世界を変えれば変えるほど「王よ! 我らが王よ! ご帰還を!」と叫びは大きくなり、名声は高まり、王として帰還を望まれる。

 どれほど世界を作り替えても、リリエンタールは大公であり公王であり、国王であり、皇帝であった。


「心というものを欲しがらぬ女、なる条件も付けろ」


 ただリリエンタールはそれを重荷と感じたことは一度たりともなかった。

 彼はなにかの重圧に負けるということはなかった。

 動揺せず、たじろぐこともなく、冷静で巧緻であり大胆。

 恐怖に怯えたことはなく、凄惨な現場でも眉一つ動かさず ―― 彼を恐れ、敬い、嫌い、縋る全ての者たちは、彼の心が奈辺になるのか? 思うも、それは深い海の底に眠っているかのように、誰も見つけることはできなかった。


 彼自身も ――


「それは中々難しいですね。情を交わした女は、閣下の御心を欲しがる」

「いい年なのだ。分別があってもよかろうに」


 リリエンタールが他に女に求めるものは、教養やマナーなどを身につけていること。それ以外には、別れ話を持ち出した際にすがれないプライドの高い女であることなど。

 これらの条件を満たしていればよく、容姿はさほど重要ではなかった。


「そうは仰いますが」


 もちろんこれ(・・)は契約なので、女性側からも条件が提示され、リリエンタールはそれを叶えている。

 リリエンタールの条件に合う女性はほぼ未亡人で、親族に財産を奪われそうなので守って欲しいだとか、財政的に困窮しているので援助が欲しいというものが多い。


「違反しなければ、満額受け取れるというのに……分からんな」


 契約ゆえに違反金なども発生することを、契約段階で公証人立ち会いの下で説明しているが、それでも尚、女はなぜか最後には彼の心を求めてくる。

 それがリリエンタールには謎であった。


「そうもいかないのが、人間の心というものらしいですよ、閣下」

「まあいい。女はいなければ困るというものでもない。条件に合うものがいたら、声を掛けるだけでよい」

「御意」


 リリエンタールが自邸へと戻り湯浴みをし、深緑色のガウンをはおり、一人部屋でパイプを薫らせていると、部下の一人が面会を求めていると執事から告げられた。


「誰だ?」

「サーシャです」

「通せ」


 ソファーに腰を下ろしたまま、リリエンタールは到着を待ち、


「深夜に済みません、閣下」

「構わぬ。それで、報告とは」


 癖の強い灰色の髪に、狼を思わせるアンバーの瞳を持った、少佐の軍服を着用した男に報告を促す。


「……となります。更に詳しいことを調べるべく、副官の一人に俺が接触しようと考えております」


 先代王弟ガイドリクスが、第一副官と共になにかを調べていることに気付いたリリエンタールは、腹心(サーシャ)に調べるよう命じていた。


「誰をターゲットにするつもりだ?」

「第三副官です」


 大理石の天板に、第三副官の写真と経歴がおかれる。

 白黒の写真でもプラチナブロンドだと一目で分かる写りの美形。


「イヴ・クローヴィス。先日二十三歳になったばかりの女性士官です。閣下もご存じでしょうが」


 プラチナブロンドに白皙。凛とした ―― という表現の似合う顔だち。

 王弟が連れて歩くのに相応しい、容姿端麗で有名な士官。


「ああ、エーデルワイスか。あれも二十三歳になったか」

「エーデルワイス、ですか? 閣下」

「士官学校の入学試験面接の時に”эдельвейс(エーデルワイス)を再び”と言った娘だ」

「花を再び? ですか?」

「弟からの伝言だと言っていたな。弟は鉄道好きか?」

「鉄道好き過ぎて、駅員になっています……もしかして、大陸縦断鉄道の?」

「再びと言ったからには、それだろうな」


 リリエンタールは諜報部が調査した、イヴ・クローヴィスの身辺情報にざっと目を通す。


「美しい経歴だな」


 生年月日。身長体重。手足、胴の長さ。胸囲、腹囲、臀囲。

 髪と瞳の色。歯の治療の有無。視力、聴力など、健康診断の結果。

 基礎学校、ギムナジウム、士官学校時代の成績。任務の査定。

 賞罰の有無 ―― 士官学校時代、射撃大会、マラソン大会、遠泳大会、総合馬術競技大会、いずれも五年連続優勝。

 軍で二年に一度開催される射撃大会に去年出場し優勝。

 今年は軍の総合馬術競技大会に出場し準優勝。


 股下の数値を読んだリリエンタールは、イヴ・クローヴィスの容姿を思い出し、数値が間違いではないことを確認する。


「ええ。両親祖父母、継母、義理弟、異母妹まで、誰一人として問題がありません。当人は言うに及ばず」


 親族に他の諜報員との接触があると、厄介なことも多いので、近親者は全て調べ上げられる。

 接触がないにしても、大体は誰か一人くらい問題があるものだが、イヴ・クローヴィスの近親者になにかしらの問題があるものは、一人もいなかった。


「これほど綺麗な経歴の持ち主ともなれば、お前に容易に騙されてしまうであろうな」


 年の離れた異母妹と遊んでいる屈託のない笑顔の写真。

 両親の愛情を受け、まっすぐに成長したのがリリエンタールにはよく分かった。


「これほどなのに、自分の容姿に自信がないので、簡単に俺に引っかかることでしょう」

「自信がないか」

「男と間違われることが多いので、イヴ・クローヴィス本人としては、容貌に恵まれていないと認識しているようです」


 美しい男と言われ続けた所為で、イヴ・クローヴィス自身の自分の容姿に対する評価は極めて低い。


「天使のような子供というのは大勢いるが、大人になった時、その容姿を維持できる者はほぼいない。エーデルワイス(イヴ・クローヴィス)は大人になっても、天使と見紛う希有な美貌を持っているのに……それが禍したか」


 聖職者の資格を所有しているリリエンタールも、もちろん実物の天使を見たことはない。高名な画家が教皇領の大聖堂に描いた天使を眺めたことはあったが ―― イヴ・クローヴィスほど美しくはなかった。


「美貌、実力、全てを兼ね備えている所為で、誰も声かけませんね。まさに高嶺の花(エーデルワイス)です」

エーデルワイス(イヴ・クローヴィス)を手折る時は、細心の注意を払え。有能な人材だからな」

「はい。一応作戦ですので、作戦名を……エーデルワイスにしますか?」


 薔薇色の赤みが差した健康的な白皙。光に溶けてしまいそうなプラチナブロンド。他とは一線を画する体格。どれを取っても高貴な白(エーデルワイス)に相応しい。

 だがイヴ・クローヴィスの容姿を思い出したリリエンタールは、その鮮やかで透明感がありながら、深みのある緑色の瞳に一瞬身を焼かれるような感覚を覚え ―― 嫉妬 ―― という言葉が脳裏を過ぎった。


「……そうだな。その作戦名でいけ」


 リリエンタールは情報を得るために、腹心(サーシャ)の偽装恋人作戦に許可を出した。


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