プロローグ2
「大変、スクトお兄ちゃん。広場が……広場に!」
その直後、地響きとともに鬨の声が上がった。急いで塔の反対側に回り、下を覗き込む。それと同時にスクトは息を飲んだ。そこにあったのは、初めて見る非日常の光景だった。
数にして五十人くらいだろうか。白い頭巾で口元を覆った集団が、刃物を片手にカプリムの住人たちに襲い掛かっていたのだ。だが、カプリム側も負けてはいない。大人たちが剣で応戦し、戦うことの出来ない幼い子供や老人は、速やかに集会所に避難する。
カプリムに住む者は、外部から疎まれ、嫌われ、白い目を向けられ続けている。最北端という立地の悪さも重なり、物資もろくに届かない。存在意義こそ与えられているが、国中から忌避される棄民だった。そして社会的に弱い者は、より強い者から狙われる宿命にあるのだ。
だからカプリムでは、子供の頃から高度な剣術を習わされる。いつ襲撃されても、自分と家族の命を守れるようにするために。
俺も戦わなくては。そう思い、スクトは階段を駆け下りた。
スクトが広場に出ると同時に、悲鳴が起こった。何事かと周りを見渡すと、矢が突き刺さり、仰向けに倒れる仲間の姿が目に入る。無意識的に上空を見上げると、やはり射手はそこにいた。
頭巾をつけた男が一人、白い翼を広げて宙に浮いている。男は獲物を追い詰める狩人のような目を浮かべ、再び矢を放った後、叫んだ。
「お前ら!相手は薄汚えカプリムだ。殺して、殺して、奪いつくせ!」
その声を合図に、木々の向こうから襲撃者の増援が飛んでくる。そして雨のように矢が降り注ぎ、阿鼻叫喚が巻き起こる。一人、また一人と住民が倒れていく中で、バドルが叫んだ。
「誰か、誰でもいい!騎士団に救援を頼むのじゃ」
そうして何人かが、南の空へ逃げるように飛び去る。だがスクトには分かっていた。例え騎士に助けを求めても、彼らが助けてくれるとは限らない。そのことを他の人も理解しているのだろう。皆、苦渋に満ちた表情をしていた。当然だ。この町は国中から嫌われ、捨てられたのだから。
帝国に相手にされなかったように、国の一部である騎士団にも無視される可能性は十分にある。しかし、結局は何も変わらないのだ。自分たちの安全は、自分たちで守るしかない。ただそれだけの話だ。
カプリムの人たちも空を飛び、射手を倒そうと試みる。だが、そうするしかないとはいえ、矢に向かって飛ぶのは無謀すぎる行動だ。殆どが射手に辿り着く前に撃ち落とされ、カプリム側の戦力は凄まじい勢いで減っていく。
――俺も飛ぼう。いや、飛ばなくては。
そう決心し、スクトは左肩に力を込める。そして空を自由に飛び回るイメージを描きながら、地面を蹴った。だが、スクトが空を飛ぶことはなかった。その前に、朝焼けのような眩い光が町を包み、目が眩んでしまったのだ。
光が消えて視界がもとに戻ると、スクトはまたも驚愕した。襲撃者も、家屋や人に突き刺さった矢もない、いつもと変わらない光景が広がっていたからだ。最初は夢でも見たのかと思ったが、地面に倒れ血を流している人たちが、現実だということを証明している。それに、確かな変化があったのだ。
さっきまで襲撃者たちがいた上空に、人が一人だけ残っていた。磨き上げられた白銀の甲冑を纏い、肩から十メートルはありそうな翼を広げている。そして、その翼が羽ばたくと突風が発生し、木を叩く音が鳴り響く。
騎士だ。これだけ巨大な翼を持ち、白銀の鎧で身を包んでいるのは、騎士しかいない。だがそんな人が何故、この場にいるのだろうか。
ここから一番近い騎士団支部でも、十数キロは離れている。町長が救援を呼ぶように指示してから、まだ五分も経っていない。だから、そもそも救援要請は届いていない筈なのだ。もちろん、騎士が運よく近くにいたというのなら説明がつく。しかし、そうなると新たな疑問が発生する。この騎士は何をしに来たのだろうか。皆同じことを思ったらしく、広場にピリピリとした空気が漂いだした。
思いを巡らせていると、騎士と目が合った。兜で顔を覆っているため表情は分からないが、確かに目線が合ったのだ。同時に、スクトの背に悪寒が走る。何かとんでもないことが起こるのではないか。そして、スクトの予感は的中した。
騎士は翼の動きを止め、地に落ちる。ドシンという音が沈黙を保つ広場に響き渡った。誰も何も反応せず、動かない。否、動けないのだ。そんな中で、最初に動きを見せたのはバドル町長だった。
「あ、あの、騎士様。お助けいただき、誠にありがとうございます。しかし、このような辺境の地に何のご用で……」
いつも気さくな町長も怯えている。騎士はそんな町長を無視し、真っすぐに進む。スクトのいる方へと。
住民たちが騎士の進路から退き、騎士とスクトの間に道が開ける。そして騎士はスクトの正面に立ち、腰の剣を抜き放った。
剣先がスクトの鼻に当たり、僅かに血が出る。騎士は剣を突き付けたまま宣言した。まるで、十年前の騎士がそうしたように。
「大罪人ジュード・ストレインが嫡子、スクト・ストレイン。貴殿を拘束する」
この日、十年前と同じ雪が降った日。スクトの凍った時間は、ゆっくりと解けだした。