悪役令嬢の私がただのツンデレになったのは、婚約者の貴方のせいよ!
カンパネラは本来、社交界に通うことができない身分だ。
彼女は妾の子で、現王の叔父、つまり大公とどこの馬の骨とも知れぬ女の間で生まれた。
生まれてまもなく修道院に送られ、子供の頃を過ごす。その後、叔父に引き取られ宮廷で暮らしてはいるが、あまり彼の家族からの心象は良くない。
庶子として、彼女の暮らしはこれから税金での悠々自適な暮らしが約束されていた。だが、カンパネラは自身の美貌である琥珀色の目に、新雪の様な綺麗な白髪、整った顔立ち、目つきが鋭いことは除く。それらと優れた頭脳を最大限に生かし、成り上がって社交界や政治の場に参加できるようになった。
商人の男や貴族たちをパトロンとし、言葉巧みに彼らを操った。最近は婚約してそれもなりを潜めていた。彼女が慎重になるのも無理はない。彼女が婚約した相手はこの国の第七王子だったからだ。成り上がった彼女の噂に尾ひれがつき、快く思わない人間も多い。
しかしそれを公言する人間はほとんどいない。
彼女の婚約者、第七王子マルテッロ・オーギュスタに理由があった。
王子の婚約者になる女性をけなす行為は、公の場で許されない。そしてマルテッロはこの国で誰よりも腕力があり、剣術が得意だ。大の大人が10人いても彼には敵わない。いずれ、この国の神輿として騎士団長になるかもしれない男だった。神棚といったのは彼が、あまり人と争うことに不向きな性格だからだ。彼の外見は金髪、碧眼、体格はこの国の成人男性より一回り大きい。けれど、のんびりとしていて、いつもボーとしている男だった。カンパネラの発言にはウンウンうなづく。感情が希薄と言うか、抑揚のない調子でいつも喋っていた。そしていつもどこかに消えそうな雰囲気を醸し出している不思議な男だった。けれど、付き合ってみれば彼はただマイペースな男で、実は人の良い奴なのだとカンパネラも最近気付いた。
そして端的にいうと彼は操りやすい男だった。
それに王位継承争いにも参加しないほどほどの立ち位置、まさに優良物件だった。
カンパネラもそれを知っていて、彼と婚約するよう画策した。
――彼の子を産めば、晴れて私は本物の王家の人間になれる。全てはそのためだ。妾の子として生まれた私が、本物の貴族になるための。ちなみに彼と初対面した時、カンパネラはやはり彼のことをこれっぽっちも好きにならないだろうと予感した。マルテッロという男も自分の踏み台にしかならない、そう思った。
◇
私、カンパネラとマルテッロはその日、この国の南西端の街を訪れた。
ここは海の近くのリゾート地として、様々な貴族や他国の王がお忍びで来るという。
青一色の澄み切った空。塩の混じった風と心地よい温度。磯の香もする。
カモメが何羽も空中を舞っていた。
その街の中心にある、白亜の宮殿。そこで大勢の貴族が集まり行う社交界が、私たちの目的地だった。
宮殿を訪れ、私が何人かの貴族にあいさつ回りをしていると、マルテッロがどこかに消えていた。彼を探し、フロアを歩いていると、マルテッロは私の一番嫌いな、男爵家の女の側にいた。
彼女はこの社交界で唯一男爵家出身の女だ。
気に入らないのは男爵家という低い身分であるにも関わらず、様々な幸運と奇跡のおかげでこの高位のものしかこれない社交界に望んでいる。彼女は私と似た特殊な立場だが、違うのは大勢の人に愛されているということだ。
そして未婚であるのに、大勢の男たちを囲み、いつも談笑していた。私には分からないが彼女は人気がある。淑女らしからぬ、快活な喋り方、明るい性格、健康そうな肌。それが物珍しく貴族の男性陣に受けたらしい。
そして、そのフロアの中心で、私の婚約者が彼女達と会話に花咲かせていた。
「あなたも仮面舞踏会にいきませんかマルテッロ様」
「いや、ありがたい申し出だが、私の婚約者がなんて言うかな」
マルテッロは手で頭をかき、そんなことを言っていた。言葉とは裏腹に、照れている様に私には見える。
「君が行ってくれると、沢山の女の子が駆け寄るんだがな」
今言葉を発したのは、取り巻きの一人ギュソーだ。公爵の息子で、赤毛で爽やかな笑顔の似合うキザな男。数年前マルテッロと出会う前に、私が目をつけていた。だが、すぐに彼をこの男爵家の女にとられてしまった。今はこの男に全く興味はない、全然悔しくもない。本当だ。
ただ、そこから私とこの男爵家の女との因縁が始まった気がする。彼女は今、マルテッロを狙っている。マルテッロもそんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、あいまいな態度をとっている。ただ、以前より、密接になったというか、会話が増えたのは確かだ。
「仮面舞踏会って仮面つけるだろう?顔も見えないのに人が寄ってくるのか?それにダンスは興味ないよ」
マルテッロにしては珍しい、人の誘いを断ろうとするなんて。頓珍漢な意見を言ってはいるが。
だが少しすると、やはりウンウンうなづいて、仮面舞踏会に行くことになっていた。
私はその様子にため息をつく。
この社交界は本来未婚の人間は行くことはできない。少なくとも婚約しなければならない。だが、貴族達の間で、未婚でありながら社交界に行くのが流行している。その風潮を作ったのは男爵家のこの女の力だ。「結婚そんなもの関係ないわ!だって私達は皆本当は自由なんですもの!出会いの機会を妨げるなんておかしい」と王に直談判したらしい。私は正気を疑ったが。そして見事、未婚の貴族の娘達が社交界に行けるようになった。
まだ社交界についてはいい。彼女のおかげでこの国の女性の地位が上がったのも事実だ。だが彼女の誘っている仮面舞踏会は駄目だ。仮面舞踏会はこの国発祥であり、何十年か前、ブームが過ぎ去っていったが、再燃というのだろうか、その気運が大陸全土に高まり、逆輸入してこの国に再び到来した。その際めちゃくちゃな作法も一緒についてきた。噂話だと皆が仮面をし、身分をわからないようにしている。乱痴気騒ぎ、水たばこ、賭け事も行っている。顔が見えないことをいい事に他国の諜報官が紛れ込んでいるとも聞いた。
私みたいな男を貢がせる子供騙しとは違う。本当に知略に長けた相手がいるかもしれない。騙し騙されるのが貴族の世界。わざわざそんな相手がいるかもしれない場に行くつもりは更々ない。腹のすかせた狼のいる柵の中に、羊を入れる所業だ。
特にマルテッロには、決して行かないように忠告した。
なのに彼ときたら。
私は見計らって、彼らの前にわざとらしく登場を試みる。
「私の婚約者に何を言っているの?淑女自ら仮面舞踏会に誘うなんて本当に品のない方。貴族の風上にも置けないわ。これだから家柄の低い女は」
マルテッロは私を見て、先ほどぶり、なんて呑気に声をかけてきた。だが、私の目的はあの男爵家の彼女だ。彼女は私が現れると、一瞬おびえた表情になったが、すぐ気を取り直し、こちらに叫びだした。
「まぁ、酷い!どうしてそんなことを言うの?そこまで酷いことを私は貴方にしたのですか」
「確かにさっきのは失礼だよ、カンパネラ」
マルテッロも彼女を擁護しだした。私は貴方を庇いに出てきたのに、貴方はどっちの味方なのよ。
「いえ、いいのです。私がマルテッロ様を仮面舞踏会に誘ったのがいけませんでした。本当にごめんなさい。この話はなかったことに…」
そういって、何のつもりか、彼女は顔を手で覆う。その様子をみて、取り巻きたちがこちらをにらみつけた。私はそれに負けじと睨み返すが、その行為はすぐに終わりを迎えた。マルテッロが変なことを言い出すからだ。
「え、そう?君がそう言うのならわかった。隣のフロアで楽士の演奏でも聞きにいかないか?カンパネラ」
それに彼女は驚いた様子だった。
恨めしそうにこちらを見ている。本当にいい気味。彼の単純さを全然知らないようね。
自分の婚約者ながら頭が痛いが。
その日の、彼女との戦いはそれで終わった。
◇
そして数日後に、同じフロアで社交界が開催された。様々な貴族が遠方から訪れるので、数日に分けて社交界が執り行われる。私達は近くの貴族宿舎に泊まり、先日の通り参加している。そしてやはりというか、未婚のあの男爵家もいた。
私たちは彼女から距離をとり、遠くでコネ作りにいそしむことにした。先日声をかけれなかった方々に挨拶をし、世間話をする。もともとあの女に関わるためにここに訪れた訳ではない。家の力を強めるためだ。
すると、あの男爵家の女が、宮殿のフロアにある一番目につく壇上に上がった。
皆、聞いてくださいと、手を大振りにし声を張り上げる。なんてはしたない。けれど、何か彼女の行動に、正直、嫌な予感がした。
男爵家の女を中心に取り巻き達がたくさんいた。彼らの様子がおかしい、取り巻きがフロアの入り口をふさぎ、誰も逃げられないようにしているし、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべこちらを見ていた。何が始まるのか、皆が期待した目であの女を見ている。
私はマルテッロの手を引き、別のフロアに離れようとしたが、そうはいかなかった。
「お待ちくださいカンパネラ様、マルテッロ様!今日はお二人に関係のある話をするんですよ!」
「どんな用件だい?」
マルテッロが立ち止まり、口を開いた。
「聞くことないわマルテッロ様、行くわよ」
「これから話すのは、カンパネラ様、貴女の所業の数々についてです」
「私の所業がなんですって?」
彼女は一つ咳払いをして、私の経歴や過去、男性関係をつらつらと言い上げた。よくそこまで調べたなと思う。私の赤ん坊の頃から、現在まで赤裸々なことを言い出した。私の乳母より詳しいかもしれない。
周りの人間も手で口を押さえ、こちらをクスクス笑っていた。
だがそれに反論しようとすると、取り巻きのギュソーが、マルテッロに見えない位置から、自分の帯刀している鞘に手をかけた。どんな相手とも口論で負けたことのない私だが、さすがにそんな風に脅されたら、ゾッとする。
「つまり彼女は、マルテッロ様の資産と地位が目当てなんですよ!友人が調べてくれました!あなたとの婚約を計画して王家を乗っ取るつもりなんですよ。貴方のことなんてこれっぽっちも好きではないのです」
周りの貴族たちも彼女に同調し、くすくす笑いから、罵倒に変化しつつある。
…ふうん、そこまで言うのなら、私にも考えがあるわ。ギュソーのことなんて関係ない、あの女が二度と社交界に行きたくならない位メッタメタにしてやる。
そう思い、私が口を開こうとした時。
マルテッロがこちらを見て、真偽を確かめてきた。
いつもの何を考えているか分からない純粋な目で。
「彼女の言うことは本当なのか?」
「………ええ、そうよ」
…どうしてか、彼にそんなことを言ってしまった。
「聞きました!?これがあの女の本性なんです。マルテッロ様、貴方を道端の小石程度に思ってるんですよ。どうせそのうち捨てられるに決まっているわ。本当に卑しい女。さすが妾の、いえなんでもありません。さ、早く彼女と婚約破棄してください。マルテッロ様。それであなたは自由になれます、あの性悪女は立場を失う」
それ見たことかと、彼女はキャンキャンとそんなことを矢継ぎ早にまくしたてる。
「うむ、なるほど。君の言い分はあい分かった。しかしどうして、婚約破棄なんて言葉が出てくるんだ?」
不思議そうに、マルテッロは彼女に尋ねた。
彼女にとって予想外の言葉だろう。私も予想外だった。
場の貴族たちがざわめきだす。彼の質問は皆の期待するそれとは違うらしい。
「…私の話は聞いていましたか?彼女は貴方を騙そうとしたんですよ」
彼女は側から見てもよくわかるほど、不機嫌になる。
「ハハ、それが事実でも、私は彼女と婚約破棄なんてしたくないよ。第一ね、私は彼女に惚れているんだ。そんな瑣末なことどうでもいい」
「ど、どうでもいいって」
その答えに男爵家の女は戸惑っているようだった。
「というか、君の家では他の家族の事情にとやかく言うのかい?」
「…そ、それは。騙されている、貴方を心配して」
「『思うままに生きよ、そして人の生き方に口を出すな』と言うじゃないか。君のそれは、余計なお世話というやつだ。それに言うつもりはなかったが、私には君の方が心配だよ。未婚の女性がそんな風にたくさん男を侍らせて。それにカンパネラと友人だから、私も君と友達になれるよう会話もしたし、大目に見てきたが…実は、そんなに君を好ましく思っていない」
正直意外だった、彼はあの男爵家の女のことをそう考えていたなんて。というか、私たちを友人とでも思っていたのか。心外である。
「ああ、そう!なら好きにすればいい!あとでその女のせいで泣きついてきても、私は知らないから」
彼女はすごい形相でマルテッロを見ていた。淑女がしてはいけない表情をしている。
「私はいつだって好きに生きているよ。帰ろうカンパネラ、ここにいると不快だし、君が彼女に罵声を浴びせられる姿を見ていたくない」
「さっきから君の発言は彼女への侮辱か?そうなら君が王子でも見逃せないな。私と、いや私たちと決闘したいのか?」
そう言って、ギュソーを中心に、彼女の取り巻きが私たちを取り囲んだ。
ギュソーがまた腰の鞘に手をかける。脅しのつもりなのかもしれない。だが、ギュソーが何か言う前に、マルテッロは腰の剣を鞘から引き抜いた。
「ま、まて。社交界で抜刀するのは違反だぞ!それにここで決闘を行なえば、いくら君でも今の立場を失うことになるぞ」
最初剣で脅していたくせに、何だこいつは。やはり、国一番の剣術使いと戦うのは勝ち目がないと見たのか。一転ギュソーがそんなことを言う。私は自分が情けなくなった。こんな男を私は狙っていたのか。
「立場を失ってもかまわないよ。そんなこと興味もない。更に言えば、私はカンパネラのために戦って死んでもいいし、君たちを不注意で殺め爵位を失っても気にはしない。けれどその覚悟が君たちにあるのかい?恋愛ごっこに興じるのはいいが、ほどほどにな」
売り言葉に買い言葉、というのだろうか、ギュソーはその言葉が悔しかったのか、鞘から剣を引き抜こうとした。けれど、それが行われる前に、マルテッロは自分の剣を鞘に戻す。その様子に皆ポカンとしていた。無論私も。
「君達のこれまでの態度は、本来不敬罪だ…そのことを父上に言わないのは、君達や、彼女の夫になる人が将来私の部下として一緒に国を護るかもしれないからだ。少々のいざこざでも、私が我慢して済むのならそれでいい…だが、またカンパネラを傷付けてみろ。私は何をするか分からないぞ」
そう言った後、マルテッロは男爵家の女に鞘の入った剣を突きつけた。彼女は小さくヒッと悲鳴を上げる。
「そして君もだ。今日みたいにカンパネラに何かしたら、地獄の果てまで追いかけ、君を八つ裂きにする」
淡々とそんな殺伐なことを彼が言うなんて、ひょっとして怒っているのだろうか。彼がこんなにたくさん喋るのを初めて見た。彼の考えていることがわからないのは、今に始まったことではないが。
そして皆、後ろに引き下がり、すごすごと外への道を開けた。まるでモーゼの奇跡のようだった。
私たち二人は外に向かって歩き始める。その場を去った後、後ろでは彼女がギャーギャー騒ぎだした。
◇
白亜の宮殿から出て、私たちは街道を歩いていた。そして私たちが宿泊している海に一番近い貴族専用の宿舎に向かっている。
「明日から大変なことになるわ」
「問題ないさ、君がいればそれで」
「…どうして私を好きになったの?」
「君が美しいからだ」
「私の顔がある日突然醜くなったり、歳をとってヨボヨボのお婆ちゃんになったらどうするの?」
「…そうだな、けれどそうなっても、君は美しいよ」
私たちはその言葉を最後に、静かになった。
もうすぐ宿舎まで付く。
太陽が先程より落ち、斜陽が私たちを照らす。
ここからは海が見え、波の音とカモメの鳴き声が聞こえる。夕日が海に反射し、オレンジ色の水面にユラユラと映っていた。
私たちは立ち止まり、その景色を見ていた。彼に気付かれぬようその横顔をチラと眺める。けれど、やはりいつものボーとした顔で海の先を見つめていた。本当に彼はよくわからない。
つかみどころのない、男だ。
ふと、どんな反応をするのか気になって、私は彼の頬を指先で押してみた。プニプニしている。仏頂面で黙ってそれを受け入れるものだから、何だかおかしくて笑ってしまう。彼はなぜ私が笑っているのかわからない様子だった。涙目になって笑う私は一呼吸し、彼に気になっていたことを尋ねた。
「…そういえば貴方、あの女に『未婚でありながら、男を侍らすのはよくない』と言っていたけど、私も昔は同じことしてたのよ?」
「あ、確かに。ハハ、これは一本取られたね」
なるほどっといった感じで、そういって彼も笑った。何が一本なのか、釈然としないが。
「何よそれ…彼女の言ってたこと本当よ。別に、私貴方のことなんて全然好きじゃなかったんだから。私が貴方と婚約したのは、貴方の家柄や資産が目当てだし。私は成り上がるために何でもやってきた…」
「例えそうでも、何か問題があるのか?君がそうしたいから、そうしたんだろ?それに私を好きでなくても無理やり君の心をものにすればいい。必ず君の気持ちを変えてみせる」
どうしてそんなことを素面で言えるのか、不思議でならない。
「ならそうすればいいわ、でもこれから私の気持ちを変えようなんて、絶対に無理でしょうね」
「何故だい。理由を尋ねてもいいか?」
「自分で考えなさいよ」
「では、そうしようかな」
バカに素直な彼は、そう言ってうーんとか、むむと唸っていた。終いにはヒントをくれと言い出したものだから、彼に呆れてしまった。
だから私はこう言ってやったのだ。
絶対教えないわ。だって、そんな恥ずかしいこと言えるわけないもの。
夕焼けの町に鐘の音が鳴り響く。
いつまでも、いつまでも。
二人がその場を離れても、鐘の音が鳴りやむことはなかった。
この鐘の音の様に私達の関係も永遠に続けばいいと、カンパネラはそう思った。