後期型ペンギンの榴弾
損傷の激しいP-07、08、03、04は、そのまま廃棄処分となった。その補充として優先的に新しいⅣ号戦車が納入され、更に第二作戦群も作られるらしい。
珍奇な兵器として冷笑されていた発足当初とは、えらい違いだ。
フェロー諸島沖の英国護衛艦隊との戦闘、英国本島への工作員輸送、バレンツ海での米国護衛艦隊との戦闘と、立て続けに作戦を成功させた結果、予算がついたのだそうだ。
海軍は今、劣勢を強いられているUボート戦隊の司令官デーニッツが権力を握ろうと画策しており、Uボート戦隊と相性のいいペンギンが俄然注目をあつめているという図式だ。
ペンギンが協力すれば、Uボートはまだ戦える。Uボートが戦える限り、デーニッツは英雄として海軍内で発言力を保てるというわけだ。
その結果、兵站部に圧力がかかり、決戦用のⅣ号戦車がロストックに移送される。
戦術や設計の見直しも行われた。
QF2ポンド砲を基準に作られた交戦規定が見直され、ボフォース四十ミリ機関砲L/60が基準とされた。
その結果、適正交戦距離とされた五百メートルという距離が見直され、二千メートルと大幅に修正されたのだった。
関連して、距離による減衰が懸念される七十五ミリ砲を主砲とすることにも修正が加えられ、百五ミリ対戦車榴弾砲に換装される。
徹甲弾による近距離からの殴り合いでは、ペンギンが不利だとわかったので、榴弾による遠距離からの艦上構造への打撃へと変更されたのである。
この砲は制式名を『百五ミリKwK42 L/28』といい、本来Ⅲ号突撃戦車に搭載されて東部戦線でトーチカ破壊などに使われていた砲らしい。
榴弾なので、距離による減衰は考慮しなくてよく、遠距離での殴り合いを想定するなら、貫通力は考慮しなくてもよかろうという発想だ。
敵艦をトーチカに見立てたということだろうか。
故障や火災によって高速の駆逐艦や軽巡洋艦を足止めするのがペンギンの役割なので、広範囲の艦上構造物への被害を狙う大口径の榴弾は選択肢としては悪くない。
ただし、砲手のクラッセン軍曹に言わせると、
「あの『百五ミリKwK42 L/28』は、あんまり評判良くないっすよ。初速が遅いんで、弾道が山なりになるから、動く標的には狙いを付けにくいんすよ。まぁ、ペンギンは図体でかいのがあいてだから、いいんすけどね」
だそうだ。これも、訓練で慣れてゆくしかないのだろう。
その他、改良が加えられたのは、砲塔を覆っていたシュルツェンだった。
このシュルツェンは、支柱で支えられた鉄板で構成されていたので、大口径機関砲などの集中砲火を受けた際、千切れ飛ぶことが多かった。
それで負傷する艇長や機銃手が多く出たらしい。かくいう私も何度かヒヤッとする場面があり、バウマン大尉はそれで頭部を負傷した。
そこで、鋼鉄製の箱を逆さにして砲塔に溶接する方式が採られ、集中砲火を受けても、簡単に千切れないようになった。
航空機による機銃掃射を受けた際のペンギンの弱点である上面装甲だが、これも、キャタピラを溶接して追加装甲の代用とし、転輪も敷き詰めることで耐久性を上昇させた。
搬入されてきた時は、キャタピラも転もが付いた状態なので、それを外したあとの有効利用ということらしい。
おかげで、車体重量は増し、ますますトップヘビーになるが、左右のシュルツェンをさらに大型化することによって、バランスを取った。
海上において、車体より下に仰角を傾ける事は無いので、シュルツェンが邪魔になることはない。
左右のシュルツェンには、人工コルクが詰まった箱型の中空装甲なので、大型化によって、ペンギン本体側面の薄い装甲をカバーすることにもなる。
偶然、ここを撃ち抜かれてしまったP-09は、飛び混んできた機関砲弾で皆殺しにされてしまった。こうした悲劇を減らすことが出来るだろう。
後部甲板に位置する後部フロートも大型化され、おかげでテントのスペースは幅二メートル長さ三メートルとなった。
ペンギンのサイズは大きくなってしまったが、今度は遠距離からの砲撃戦に軸足を移すこともあり、一メートルほどの伸長は問題なかろうということだった。
こうした様々な改良が加えられたペンギンは後期型と呼ばれ、ペンギン部隊が解散するまで主力を務める事になるのだった。




