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ライ麦のパン

 ワルサーP38をボロ布で拭い、油をさして布で包み、鍵のかかる引き出しに仕舞う。

 最後に残った比較的マシな軍服を、ブラシして洋服箪笥に仕舞う。他の軍服は他の乗組員のものと一緒に、『幸運亭』がクリーニングしてくれるらしい。

 山の様な衣服を、母娘二人で洗濯している姿を裏庭で見かけた。さぞ、臭いだろうと思う。『幸運亭』にとっては商売なのだから気にしないのだろうが、なんだか申し訳ない気分だ。


 私はぐっすり眠ったらしい。不眠症の傾向は海上にある間、ずっとつきまとっていたのだが、基地内では私の責任はごく一部で、すこし気持ちが緩んでいたのかもしれない。

 飲みかけのまま、サイドテーブルに置いたままだった、ライン・ワインを飲む。暖房が利いていたので喉がからからだった。ワインは私にとって、水より酸っぱくて渋い、単なる水分でしかない。

 味など、分からないし、分かろうという気持ちもない。

 服を着て、階下のロビーに降りる。伸びた髪がうっとおしいし、髭を当たりたいので、床屋に行く予定だった。

 裏庭には、大量の洗濯物が風にひらめいていて、石鹸の匂いがしてる。

 私の家は船乗りの一家だったので、誰かが長い航海から帰ってくると、母がまとめて汚れた衣服を洗濯していたのを思い出す。

 陽だまりのなか、洗濯物がはためく庭で、父や祖父は籐椅子に座ってパイプをふかしていた。

 もう帰らない日々。私の小さな頃の思い出だ。

「あら、シュトライバー大尉さん。おはようございます。どうかされましたか?」

 私に声をかけてきたのは、パン焼き窯から焼き立てのパンを運び出しているテレーゼだった。

 思い出から急に引き剥がされた私は、少し面喰って、口ごもりながら朝の挨拶をした。

 健康そうな頬の色。屈託のない緑の瞳。父親に似た丸顔。彼女はまるで太陽だった。彼女がいるだけで、その場が明るくなる。私が居心地悪く感じるほどに。

「散髪をしたくて、床屋をさがそうかと思ったのです」

 私がそういうと、テレーゼはころころと笑った。

「まだ、朝の七時ですよ。床屋さんはやってません」

「そうか、そうだね」

 我ながら、間抜けな事をいったものだ。どうも、彼女と話していると、調子が狂う。

「笑った」

 突然、テレーゼが指摘する。

「シュトライバー大尉さんが笑ったのって、初めて見たかもしれない」

 私はそんなに仏頂面だったろうか? 意識していなかったので、よくわからない。

「いつも、どこかが痛いみたいな顔してましたよ」

 不意に鼻の奥がツンとした。何気ない一言で救われることがある。私に突き刺さり続けているのは『死』だ。私の選択が導いてしまった『死』。

 彼女はそれを本能的に見抜いたのだ。

 私は顔をそむけて、出来立てのパンを見ているふりをした。

 そうでもしないと、涙が流れてしまいそうだったから。一度城壁が崩れてしまえば、もう直せない。それが私は怖いのだ。

「内緒ですよ」

 彼女は、手早く油紙にパンを包んで私にパンをくれた。

 ライ麦で作った素朴なパンだった。

 私はそれを受け取って、礼を言い、散歩に出かけるとウソをついた。

 本当は、彼女の前から消えてしまいたかったのだ。

 ロストックの港が見える丘を歩く。

 私の手の中で、パンはじんわりと暖かかった。


 

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