置き去り
我々のSボート。小さくて機敏だった哨戒艇は、命令書や暗号表などの重要機密書類をキャンバス地の袋に詰め、砕けた防護版の欠片を重しに海に投げ入れると、その一連の作業を待っていてくれたかのように、沈み始めた。
唯一無事だったゴムボートには、生き残りの六人の乗組員が、最後に艇内を見回る私を待っていた。
私がゴムボートに移ると、斜めに傾いていたSボートは、静かに海底に向かって最後の航海を始めた。十四人の戦死者が乗員だった。
「進発」
船外機のスロットルがひねられる。ゴムボートは、積み荷と死体が散乱する輸送船の沈没現場へと向かっていた。
「だれか、いないか?」
メガホンを使って、私が沈黙する海上に呼びかける。
聞こえるのは、速度を落としたゴムボートの船外機の音。
打ちつける漣の音。
ヒュルヒュルと鳴る海風の音。
血と煤で汚れた、生き残りの乗組員はその静寂を破ることを恐れるかのように、声を殺して泣いていた。
皆、死んでしまった。私は、彼らを助けることが出来なかった。
そのことばかりが、胸に去来する。だが、私は唯一残った士官だ。事態を嘆く時間は、今ではない。
「これより帰投する。ハンスとシュルツとアイヒマンは休め。他は、哨戒と操船。2時間交代でいこう」
と指示を出した。打ちひしがれた水兵には、何かやらせておく方がいい。
当直外となった者は、外套を体に巻きつけるようにして横になった。
シトシトと霧雨は音もなく降り続け、疲れ果てた水兵たちを濡らしていた。
帰投先の港に近いところで我々は、湾内を巡視していたタグボートに救助された。
温かいココアをふるまわれたが、芯まで冷え切った体は震えが止まらない。
私は、負傷の応急手当もそこそこに、指令本部に出頭した。事の顛末を報告しなければならないからだ。
無謀な戦闘を行ったことで、私は軍法会議にかけられることになるが、この顛末書の提出はその第一歩となる。
私は指揮する船を失った。制空権を失いつつある我が国は、艦艇の損耗も大きくなっており、予備役の士官では新たに艦艇を与えられるかどうか、極めて怪しい状況だ。それが辛い。私から海を取ったら何も残らないのだ。
予想外の事だが、軍法会議は比較的私に温情を示してくれた。営倉入りを覚悟していたのだが、3ヶ月の湾内での奉仕活動が義務付けられただけだった。
これは、無罪放免に近い判決だ。生き残りの乗組員の証言が、私をかばう発言だったことが影響したらしい。
彼らは、私が拘束されている間に、各地にあわただしく転属していったらしい。お礼を言う閑すら、私にはなかった。