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アルペンローゼ

 火柱だった。

 輸送船のうち、おそらくタンカーが雷撃をうけたのだろう。

 我々が、文字通り『身を削る』ようにして護衛艦隊を引きつけているあいだ、輸送船団の進行方向に先回りしたUボートが満を持して雷撃を開始したのだ。

 無防備な輸送船団は、今や射的の景品のようなものだ。次々と爆発炎上し、バラバラに舵を切り始めた輸送船の中には衝突で浸水し沈没する船も出てきただろう。

 P-07の位置からは、閃光と火柱しか見えないが、現場の混乱は想像できる。

 P-07と殴り合いをしていたフレッチャー級駆逐艦ラ・ヴァラッド号のシルエットが変わる。

 回頭しているのだ。

 こちらに艦尾を向ける形になり、後部甲板にある三十八口径五インチ砲二門だけが、我々に砲火をきらめかせるだけになった。

「これで、店じまいっす」

 砲手のクラッセン軍曹が最後の榴弾を放つ。

 操縦手のベーア曹長がジグザグに舵を切りながら、後退してゆく。

 戦場から離脱。『トロールの投石』作戦は終わった。これは、後日聞いたことだが、Uボート五隻は二十隻の輸送船を直接・間接に沈め、約半数を失った輸送船団は、護衛駆逐艦隊の損傷も激しい事もあり、氷国に引き返したそうだ。

 大量輸送のモデルケースだったこの輸送船団は失敗に終わり、十五隻から二十隻の比較的高速の輸送船と護衛駆逐艦という小規模高速の輸送船に、米国は方針を転換することになったらしい。


 P-07は、諾国方面に向かっていた。P-09の救難信号を受けたからである。護衛艦隊の眼であるカタリナは三機とも潰したが、作戦が終了した今、わざわざ通信封鎖を破った意味がわからない。

 しばらく海上を進んでいると、この海域特有の靄が出てきて、さっきまでの戦場の騒音がウソだったかのように静寂が支配する。靄がまるで音をすいこんでしまったかのように。

 波間にたたずむ、P-09の姿が見えた。

 学徒出陣で大學から海軍士官学校に入り、ペンギンに配属されたと言っていたエルネスト・ボーグナイン少尉の顔を思い出す。まだ、少年の面影が残る顔だった。年齢は二十歳になったばかり。ペンギン部隊最年少の艇長だった。

 私は、キューポラだった、今では単なる穴から身を乗り出し、発光信号を送る。だが、返信は無い。

「接舷しろ」

 操縦手のベーアが速度を微速に変え、ゆるゆるとP-09に近付く。

 砲塔の手すりに手早くロープを結び、そのロープの端を持ってバルチュ伍長が身軽にP-09に飛び移る。

 そしてロープを手繰り寄せた。

 P-07とP-09が接舷すると、私もP-09に飛び移り、砲塔に登った。

 P-07同様、P-09も凹みと傷で覆われていて、激戦だったことがわかった。

 エンジンルームも撃ち抜かれたらしく、機関は停止していて、漏れ出した軽油の匂いが鼻につく。

 キューポラから内部を覗き込んだ。

 艇長席にはエルネスト・ボーグナイン少尉が座っていて、ぎこちない動きで私の方を見た。

 顔色は漂白されたように真っ白で、P-09内部は血の海になっていた。

「まっていろ」

 私は、装填手側のハッチからP-09に入り、内部の惨状を見た。

 側面装甲にいくつか穴が開いていて、そこから靄が流れ込んできている。

 穴の大きさからいって、おそらく四十ミリ機関砲の弾だ。

 状況は理解できた。

 機関砲弾が続けて飛び込んできて内部で跳ねまわり、全員をミンチに変えたのだ。

 艇長席のボーグナイン少尉の両足は、膝のところで切断されていて、彼の紙の様な顔色は大量失血によるショック症状なのだとわかった。

「機銃手以外、皆死にました。機銃手も腹部に破片を受けていて、ペンギンをこの進路に載せますと、こと切れました。自爆させなくちゃいけないのですが、どうにも動けなくて。面倒をかけてすいません、シュトライバー大尉」

 彼の脚の下には血だまりが出来ていて、彼の右足が落ちていた。

 左足はどこにも見当たらない。

「大丈夫だ。あとは、私がやる」

 ボーグナイン少尉の手を握ってやる。氷の様に冷たい手だった。

「意味が……」

 虚空を見つめたまま、ボーグナイン少尉が言う。

「意味があったんですよね? この地獄みたいな戦闘は」

 彼の顔に死の色があった。彼の左目から一粒、涙が流れた。

「みんな、死んだ。死んでしまった。私も死ぬ。そうなんですね」

 私は、手を握ってやる以外、何もできなかった。慰めの言葉も、喉につかえて出ない。

「怖い。死ぬのが怖いんです。せっかく、ここまで耐えてきたのに、泣きわめいてしまいそうだ」

 ガタガタとボーグナイン少尉の体が震える。彼を支えてきた何かが、崩れようとしていた。

「大学では、何を学んでいたんだ?」

 私が言ったのは、そんな言葉だった。

 機械の様にゆっくりと、ボーグナイン少尉が私を見る。

「え? あ、高山植物です」

「どんな、高山植物が好きなんだ? 私は詳しくないから教えてくれ」

 ボーグナイン少尉が目をつぶる。また一粒涙がこぼれた。

「アルペンローゼ……可憐な花です……小さくて……淡い赤色で……」

 色を失ったボーグナイン少尉の唇が、笑みの形を刻む。

 私は引き金を引いた。

 私の手にはワルサーP38が握られていて、ボーグナイン少尉の頭を撃ち抜いていた。

 チチンと、床に九ミリパラベラム弾の薬莢が落ちて小さな金属音を立てる。


 彼の魂魄は、アルプスの山に行けただろうか。

 アルペンローゼの花が咲くアルプスの山に。

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