開始された『トロールの投石』作戦
走る。あらゆるものが不利であるペンギンにとって、唯一の武器は機動力だ。そして行進間射撃をこなす熟練の砲手。
動きの速い探照灯が、急カーブを描いて上空を走る。
あれは、PBY-1哨戒機。通称『カタリナ』だろう。HF/DFで位置を割り出した駆逐艦から通信を受けて、正体を探りに来たのだ。
他の二機のカタリナも、今はクレーンで舷側から吊り出され、発進の準備をしているはずだ。
灯火統制をやめた駆逐艦が、四方に探照灯の光の束を飛ばしながら、P-07へ進路を変えてくる。
私の背中に震えが走った。武者震いだった。手を見る。拳銃を握ることが出来る手。殺したり、殺されたりする手。その手は震えていた。
救えなかった四百人のリストを思う。強く拳を握った。再び掌を開いた時、震えは止まっていた。
接近してくる駆逐艦は一隻。極夜の闇にまぎれて、艦名は特定できない。
遥か頭上を、カタリナが通り過ぎる。
我々が小さすぎて、目視できないのだ。旋回してもう一度通過しようとしている。カタリナは、高度を思い切って下げてきた。
「砲手、機銃手、狙いが付き次第撃て」
マイクに向かって命令を叫ぶ。戦闘は始まった。戦力差は、もはや絶望的だが、我々は砲弾を叩き込み、銃弾を放つだけだ。
駆逐艦に向かって舵を切る。傾いたまま、ペンギンの機体が安定する。
「撃て」
心の中で念じる。私の声なき声を聴いたかのように、七十五ミリKwK L/48戦車砲が火を噴く。
特徴的な甲高い砲声。
燃焼する火薬のにおい。
マズルフラッシュ。
暗視望遠鏡では、着弾は確認できなかった。測距儀はないが、艦の大きさとシルエットから見て、ほぼ二千メートルの距離だ。このあたりは、砲手の経験則に任せるしかない。
クラッセン軍曹が、カチカチと仰角を微調整している。着弾の水柱と駆逐艦のシルエットで、距離を測ったのだ。
「弾種徹甲、装填急げ! 次は当てるぜ」
クラッセン軍曹の呟き。装填手のブッシュバウムは装填にもたつくことはなくなり、クラッセン軍曹は怒鳴らなくなった。
砲撃と同時に回避行動をとっていたP-07の機体が再び安定する。
砲声が響く。私の暗視双眼鏡の中で、黒々とした駆逐艦のシルエットから火花が上がった。
「命中! いいぞ! オンボロ勇者ども」
二千メートルの距離では、七十五ミリKwK L/48戦車砲の貫通力は約六十五ミリという。
防弾処理された艦橋や射撃指揮所、砲塔以外なら貫通弾になったはずだ。
砲撃のマズルフラッシュで、P-07の位置がカタリナにバレた。低空をバンクして我々の側面から突っ込んでくる。
機首にあるブローニングM1919三丁の7.7ミリ機銃弾が、水面に小さな水柱を立てつつ、P-07に迫る。
「全速前進! フリッパー・ターンだ!」
連装二十ミリFlak C/30機関砲が迎撃の火蓋を切る。相手は時速三百キロメートルに近い速度だ。ペンギンには射撃統制システムなど搭載していないので、偏差射撃は機銃手の経験だけが頼りだ。
ガンガンと、鋼をハンマーでぶっ叩くような音がする。カタリナの7.7ミリ機銃弾が着弾したのだ、
思わず頭をキューポラ内部に引っ込める。砲塔に数発、左舷のシュルツエンに数発、弾を食らったらしい。
弾が当たった衝撃のエネルギーは熱エネルギーに代わり、白く凍った砲塔の氷の一部を溶かしていた。
幸運な事に弾は全て弾いた。Sボートならこの時点でおそらく致命傷だ。
「くそ! くそ! 当たらねぇ!」
機銃手のバルチェ伍長が罵る。彼がタイミングよく反撃したので、敵のパイロットは怯んだ。おかげで、機銃の着弾がブレて集弾されなかったと言える。
カタリナは、連装二十ミリFlak C/30機関砲を警戒して、高度を上げつつ、旋回する。
機体後部からマズルフラッシュが瞬き、赤いアイスキャンディのような曳光弾が我々の方に飛来する。
ブローニングAN/M2機銃の十二.七ミリ機関弾。
十二.七ミリは、半インチ。ゆえに『キャリバー50』の愛称もある、強力な機関銃だ。
ペンギンがフリッパーターンを行う。偏差射撃を試みていたブローニングAN/M2機銃は見当違いの海面を掃射することになった。
連装二十ミリFlak C/30機関砲が再び火を噴く。カタリナは、ふらふらと左右に機体を振って、上昇した。
当方の二十ミリ機関砲の曳光弾は、カタリナの下をくぐっていった。




