エンデュアランス号の避難小屋
「いきなりチャカぶっ放すとか、やめてよね」
と、ぶつぶつ文句を言いながら、小屋に向かう私にバウマン大尉が続く。
樹木がないこの島では、小屋の建材を現地調達するには転がっている石しかなかったみたいで、石積みの小屋だった。
船の廃材を使ったらしい入り口があり、鎖と南京錠で施錠されている。
私は、その周辺の石の隙間や、さび付いた門燈の代わりのランプの残骸を調べ、玄関わきのプランター代わりの木箱の残骸から、油紙に包んだ鍵を見つけた。
拳大の石で鍵を壊そうとしていたバウマン大尉に鍵を投げると、彼はそれを器用に左手でキャッチして、右手の石を捨てた。
「まさか、ここに着た事があるとか?」
バウマンはいぶかっていたが、私はこんな最果ての島なんかに来たことは無い。
小屋に入る。
この小屋は中に入ると、古い木造船を逆さに地面に伏せたものだとわかる。天井がそのまま船底になっているのだ。大型のジョリーボートみたいな、ずんぐりとした船だ。
ジョリーボートは別名『雑用艇』と言われ、外洋航海をする昔の帆船や蒸気船に搭載されていたものだ。
名前のとおり、舷側の修理や、ちょっとした荷揚げ、時には救難ボートとして、細々とした雑用をこなしていた船のことを言う。
今は、ゴムボートが主流になって廃れたが、古い帆船の絵画などには、甲板上につるされているジョリーボートを見る事が出来る。
そのジョリーボートを斜めに立てかけて屋根の代わりにし、石積みで壁面を作ったのが、この小屋の構造らしい。
一九一五年十一月、南極で流氷に閉ざされ遭難したエンデュアランス号の乗組員は、圧潰した同船を捨てて三隻のジョリーボートに乗って避難。
翌年、エレファント島にたどり着いた時、乗組員を半数に分け、一斑をさらに救助を求めて海に、残りはエレファント島で救助を待つこととした。
この時、強風に耐えられず、ズタズタに裂けてしまったテントの代わりにつくられたのが、このジョリーボートを屋根代わりにした小屋だった。今、我々が目にしているのは、これと同じものだ。
「しばらく、使われていないようだね」
ワルサーP38にセーフティをかけ、ホルスターに戻しながら言うと、しげしげと埃だらけの内部を見ていたバウマン大尉がうなづく。
「でもまぁ、風がしのげるし、ペンギンのテントよりましだろう」
軍用の石油ストーブがあり、使えるかどうか調べてみる。天井代わりのジョリーボートが斜めに立てかけてあるので、船尾に当たる部分は屈まなければならないほど天井が低い。そこは、倉庫のスペースになっていて、英国製の通称『ジェリ缶』が置いてあった。独国では『国防軍缶』という。もともとこのタイプのブリキ缶は、軍用に、水や燃料を運ぶのに便利で、ポンプ等がなくても、直接注ぎ込めるように工夫がされているなど、使い勝手がいいことから、英国でも模倣品が作られるようになったらしい。
ジェリ缶の『ジェリー』は英国における独国兵の蔑称で、ジェリ缶とは『独国クソ野郎の缶』という意味だろうか?
罵りながら、便利なら使うという彼らのユーモアセンスは理解しがたい。




