立ちふさがる者
HX-577輸送船団と、それを護衛する第十五護衛艦隊の情報は、例のごとくラジオの放送によって暗号で行われる。
合図は、あの忌々しいリリーとかいう女性と兵士の悲恋を描いた歌だ。
三番までのフルコーラスが流された場合は、そのあとのDJの会話に暗号が隠されている。一番だけで終わった場合は普通の放送というわけだ。
Uボートが活躍していた頃、頻繁に暗号文が放送されたこともあり、この曲は盛んに流れた。
おかげで、独国の兵士たちは刷り込みでも受けたかのようにこの曲が好きになり、傍受していた敵国の兵士さえもこの曲の虜になった。
私は、どんなにいい曲でも繰り返し聞かされると、イラっとする性質で、正直に言わせてもらうと、うんざりだ。
暗号の傍受のため、仕方なしにラジオをつけっぱなししているが、この曲が流れるたびに、装填手のバルムガルテン一等兵が低くハミングする。
私は暴君ではないので「やめろ」とは言わないが、不快指数は上がった。
暗号化されたHX-577輸送船団の情報は、次々に入ってくる。
カエルは決して口にしないが、氷国にも相当数の工作員が入っているようで、出入りする艦船を監視する仕組みが整っているのだろう。
補給のために物資が動く。燃料はもちろん、水や食糧、生活日用品、そういったものが動くのだ。
そしてその分量を見れば、どれくらいの規模の船団がくるのか、推測できる。
英国海軍が接収している港では、諜報対策はしているのだろうが、一般の納入業者のガードはそれほどきつくない。諜報の訓練を受けた工作員なら、簡単に情報を盗むことが出来るはずだ。
それらを、統括し、取捨選択し、図面を描くのがカエルの仕事だ。
カエルの情報は、海軍本部に送られ、情報局が大西洋に散らばる狼やペンギンに情報を流しているのだ。
HX-577輸送船団は、氷国で補給を終え、大西洋から諾海に入ったらしい。速度は、おおよそ十ノット。航空支援を受けやすいグリーンランド寄りの航路を採っているらしい。予想通りの動きだ。
グリーンランドは、本来は諾国領土だが、諾国が独国と強引に同盟(実際には占領)させられると、独自に米国に庇護を求め、米国の駐屯地が沿岸に多く作られているのだ。
一番規模が大きいのは、加国と近接しているチュールと言う町の気象観測及び空軍基地だが、大西洋側にもタシーラクと言う町に空軍基地があり、HX-577輸送船団は、航空機の航続距離ギリギリまでその庇護下に置かれる。
この段階では、Uボートはもちろん、ペンギンも手が出ない。
タシーラクより北は、フィヨルドと氷の荒涼たる地形で、無人の荒野である。輸送船団は、ここで進路を北東に採り、グリーンランドの沖合四百キロメートルにあるヤンマイエン島の近辺を通って諾海からバレンツ海に入るはずだ。
我々が待ち受けるベア島は、この諾海とバレンツ海の境目にあり、タシーラク米軍基地の航空機の支援も届かない場所。
そこで十五隻の護衛艦と五機のペンギンが殴り合うというわけだ。戦力差は、考えるだけバカバカしいほど。
米国の誇る大型駆逐艦『フレッチャー級駆逐艦』の主砲は、射程が十五キロメートルもあり、直撃されれば、八十ミリ装甲のペンギンでも一撃で消し飛ぶ。それを二千メートルの距離で砲撃戦を挑むのだ。
極寒の露国でのたうちまわって苦しんでいる兵士たちを、更に苦しめる補給品を運び込ませるわけにはいかない。
強力な護衛艦隊に守られた輸送船団と、露国の間に立ちふさがるのは、五隻のUボートと五機のペンギンしかいないのだ。




