岸壁を登攀する姉妹
わずかな時間だが、私はぐっすりと眠ったらしい。ずっと不眠に悩まされていたので、一時間も連続した睡眠は珍しい。
「少し、眠れたようだね」
カエルが、私にマグカップを差し出しながら言う。そこには、淹れたての珈琲が入っていた。
「報告を」
カエルに目礼を送り、ありがたくマグカップを受け取ると、私は傍らの操縦席で、シートに背中を預けて休んでいるベーア曹長に尋ねた。
「つい五分ほど前に、現地に到着しました。途中発見されることはなく、順調な航海でした。今、P-08は岩場に接近し、登攀を始める場所を物色してます。我々は彼らから沖合百メートルの地点で、警戒中」
私は、ご苦労だったとベーアをねぎらい、マグカップを持ったまま、艇長席に移る。ここにいたはずの、機銃手のバルチュ伍長は、すでに機関砲の銃座に移っており、対空警戒の体制に入っていた。
座席のフックには、双眼鏡がかけてあり、私は交戦規定に定めるとおりに鉄兜をかぶり、すぐに装着できるようにゴーグルを鉄兜にひっかけ、タコマイクをつけた。
暗視双眼鏡を覗く。岸壁を微速で進むP-08の姿が見えた。テントが建てられる場所である狭い後甲板に3つの人影あり、バウマン大尉と、工作員のアマラとカマラであることが分かる。
「灯りを使えない暗闇での登攀だからね。かなり難易度は高いよ」
操縦手横のハッチから上半身を出したカエルが、暗視双眼鏡を構えながら言う。
じれったいほどゆっくりと、妹のカマラが壁を登攀してゆく。その下では、姉のアマラが、ザイルを送り出しつつ、妹を見守っていた。
十メートルほど登ったところで、カマラは、最初のハーケンを壁面に打った。そこにシュリンゲと呼ばれる紐を通し、輪状の金具であるカラビナとザイルを繋げた。
これで、万が一カマラが滑落しても、下で支えるアマラがザイルを離さない限り、この地点でカマラの落下はここで止まる。
暗闇の中、手探りでカマラは更に七メートルほど進み、ようやく岩棚のような足場を見つけて、そこにまたハーケンを打った。そこにまたザイルを通して、体を確保すると、今度は姉の体を確保する。
P-08の上のアマラは、見送るバウマン大尉と握手すると、岩にとりついた。
「もう、我々に出来る事は無い。あとは彼女たちの戦いだ」
カエルは、アマラが登攀を始めると、双眼鏡から目を離さないまま言った。
私は、その言葉を受け、発光信号をP-08に送る。
「帰投せよ」
名残を惜しむかのように、ゆっくりとP-08はラスの岸壁を離れ、我々の後方についた。時間は深夜をまわっていて、夜明けまでにフェロー諸島に帰らないと、我々が哨戒機に発見されてしまう。
冷たくて暗い岩場に残された二人の姉妹の事を思う。
果たして、ここまでしてやらなければならない事だったのかと、思わないでは無かったが、我々のような前線にいる兵士にはわからな高度な戦が、諜報戦というやつなのかもしれない。
無事にあの壁を登りきることを、私は祈っていた。




