『乳牛』浮上
夕闇せまる海に我々はいた。場所は隠れ家であるフグロイ島の沖合三キロメートルの場所。ここが補給Uボート『乳牛』とのランデブー地点になる。
この時間、哨戒機は飛んでこない。哨戒艇はこの海域には来ない。それを我々は知っている。
ペンギンの天敵になりそうなフェアリー・ソードフィッシュの巡回パターンは注意して観察していた。ここ数日は、パターンを変えずに索敵を行っている。ということは、指揮官がよほど間抜けか、フグロイ島という場所が意外すぎて完全に盲点になっているか、またはその両方かだ。
敵の真っただ中に拠点を作るのは大胆すぎると思ったが、大胆すぎてかえって発見しにくい事になっているらしい。しかも、米国からの輸送船の航路に近い。たいていの輸送船団は、氷国で隊列を整えてから露国に向かうので補足しやすいのだ。
漁船にのって、やってきたカエルは、先に漁船を返し、P-07に残った。補給と、工作員の移送に立ち会うつもりらしい。
ペンギンは船の体裁をなしているが、その実態は戦車である。ゆえに決して居心地は良くないことを説明したのだが、それでもかまわないという。
移送任務中の十時間、機銃手のバルチュ伍長はずっと銃座に出ずっぱりになるので、彼の待機席にでもいてもらうしかない。
バルチュ伍長は、装填手のバウムガルテン一等兵から砲弾の空薬莢を一つ受け取っていて、銃座に置いている。
「漏らすわけにはいかないですからね」
と、私には説明していた。要するに携帯便所だ。これは名案だと思ったが、戦車乗りには常識らしい。
「みなさんの分です」
バウムガルテン一等兵は、一人づつに空薬莢を配っている。捨てるときは、口が開いている方を外に向け、手で砲丸投げのようにして投げるのがコツなのだそうだ。ためらったり、押す力が弱かったりすると「漏らした方がまし」という羽目になる。
カエルも空薬莢を渡されて、複雑な表情をしていた。兵器の使用目的外の使用は交戦規定違反だが、私は黙認している。
五十ノットとかっとぶペンギンの甲板に上がる方が、よっぽど危険だからだ。
中身が飛び散るのが心配ならば、ボロ布で蓋をすればいいだけの事なのだが、あえてリスクを冒すところが面白いのだろう。それくらいの「娯楽」は許されていい。
時計を見る。ランデブーの時間だった。
気泡が上がってきた。Uボートが、タンクをブロウしているのだろう。Uボートはタンクに注水したり、排水したりして、浮力を調整する。それをタンクブロウと言うらしい。
潜望鏡が見え、艦橋が現れ、Uボートが浮上する。ハッチが開く音がして、わらわらとUぼーとの船員が道具をもって作業に入る。
本来、浮上戦闘時に対艦・対空両用で使うC35八十八ミリ砲/L45が設置される場所に、クレーンが作られていた。
ペンギンの戦車乗りと『乳牛』の船員が補給の準備をしている間に、『乳牛』から差し向けられたゴムボートに乗って、私とカエルとバウマン大尉はUボートのつるつる滑る甲板に上がった。
甲板には初老のUボート艦長が待っていて、我々に向かって手を振っていた。若い艦長が多いなか、初老のUボート艦長は珍しい。
「君たちが、あの変な……いや、失礼、あの可愛らしい船の指揮官だね」
私とバウマン大尉は敬礼して、「そうであります」と答えた。
「ここは見捨てられた海域だ。堅苦しいことはなしにしよう。ちょび髭への賛辞も省略でいい」
カエルがいても、お構いなしにそう言ってのけたのは、ⅦC型「乳牛」仕様Uボート艦長トマス・グスタフ中佐だった。
「まだ『乳牛』専用の船体は生産されていなくてね。こいつは、『乳牛』乗組員の練習艦として作られたんだよ。といってもⅦC型の雷撃機能を取り外して、その魚雷格納庫を物資保管庫に変えただけなんだがね。まさか、この年で、外洋にでるとは思わなかったよ」




