永遠の十五分
機動性を生かしてアネモネ号に接近する。近間での殴り合いをしなければ、当方の機関砲では牽制すらできない。
老練なアネモネ号はこっちの意図を読み、全砲門を向けて迎え撃つ構えだ。
敵の主砲であるMk.Ⅸ百二ミリ単装砲が火を噴く。
それが合図になりポンポン砲も射撃を開始した。
Sボートは高速で動いていて、的は小さい。にもかかわらず、至近弾が多い。すでに何発かは船体に命中した。
Sボートの周りは着弾の水しぶきで水面が沸騰したかのようになっていて、主砲の砲弾も、当方の船首のすぐ右に着弾した。至近弾だった。
着弾の衝撃で船体はビリビリと震え、酔っ払ったかのようにSボートの船首が左右に振れる。
だんだん狙いが正確になってきていた。多分、次は当ててくるだろう。アネモネ号の砲手も機銃手も、想像以上に腕がいい。
「アネモネのケツに食らいつくぞ!」
私は、私の意図を操舵手に告げる。ピタリと船尾の死角に入り、喫水線に機銃を撃ち続ける。うまくいけば操舵装置が故障させることが出来るだろう。勝ち目の薄い賭けだが、これくらいしか我々には打つ手がない。
問題は、アネモネ号とすれ違う一瞬だ。
その十秒ほどは、至近距離でまともに殴り合うことになる。
「取舵!」
私の合図とともに舵輪が回される。急角度でSボートは回頭した。射撃を継続していた船首の機関砲に続き、船尾の機関砲も射角にアネモネ号を捉えて銃撃を開始した。
アネモネ号の主砲は撃ったばかりだ。
次弾を装填中の今しか、すれ違うチャンスは無い。
一発でも直撃弾があれば、我々は行動不能なまでに叩きのめされてしまう。
当方の連装二十ミリ砲二基と、ポンポン砲二基がすれ違いざまに撃ちあう。我々の4つの銃口から放たれた銃弾はアネモネ号の鋼鉄製の防護板に当たって火花とペンキの欠片を散らし、ポンポン砲の八つの銃口から放たれた銃弾がSボートに降り注き、突き刺さり、痛めつける。
銃弾が貫通するたびに船体の木片が飛び散り、どこかで悲鳴が上がった。
艦橋にも多数の着弾があり、ガラスは全て割れて飛び散った。
上がっていた悲鳴はぶつんと断ち切られたかように唐突に止み、それは誰かが死んだことを示している。
「くそっ」
私の額に汗が流れた。毒づいて乱暴に袖口で拭うと、それは血で染まっっていた。飛散したガラスで、頭のどこかを切ったらしい。
軍帽をかぶり直そうと思ったのだが、軍帽はどこかに吹っ飛んで行方不明になってしまっていることに、たった今気が付く。
床には大の字になって操舵手助手のヨハンが横たわっており、私は彼を助け起こそうとして、やめた。
彼の額にはぽっかりと大きな穴が開いていて、床が血まみれになっているのを見たから。
ビルジポンプ(船底に溜まった水を排水するポンプ)が、荒天でもないのに作動を始めた。排水口からどっとあふれた水は、まるでSボート自身が吐血しているかのように、真っ赤な色をしていた。
時計を見る。ああ……なんてこった、戦闘開始から三分も経っていない。
輸送船が逃げるための十五分を稼ぐ。
たったの十五分ぽっち。だが、それはまるで永遠にも思える十五分だ。
奇跡的に銃弾を受けず、掠り傷ひとつ負わなかった操舵手が再び舵を切る。
私の指示通り、相手の船尾に付けるべく、舵輪を必死で操作しているのだった。