初戦の勝利
東洋の諺に『青天の霹靂』という言葉がある。これは、晴れた日に突然落雷に襲われるという意味で、予測できない驚きを示しているらしい。
ここは夜の北海で、靄が出ていて、晴天とは程遠いが、哨戒艇の艇長にとってはペンギンの七十五ミリ砲の砲声はまさに『青天の霹靂』だったろう。
「全速前進! 舵、取舵一杯!」
ダイムラーベンツ二十気筒ディーゼルエンジンMB501が唸りを上げる。
我々が取舵をとったのを見てP-08は面舵を切り、同時に発砲した。
靄の奥で船体は見えないが、二度、探照灯がガクンと揺れるのが見えた。おそらく、命中だ。
素早く移動する。砲口のマズルフラッシュで、こっちの位置がバレた可能性があるからだ。
「次弾徹甲! 装填急げ」
砲塔旋回のハンドルを操作しながら、砲手のディーター・クラッセン軍曹が装填手のクルト・バウムガルテン一等兵に指示を出す。
「装填完了」
即座にクルト・バウムガルテン一等兵が答える。装填時間はだいぶ早くなっていた。
砲塔を左に旋回させながら、仰角を最大に下げて、ディーター・クラッセン軍曹が第二射目を撃つ。また、探照灯が飛び上がるように揺れ、一斉に消灯した。探照灯を目印に撃ってきている事に、気が付いたらしい。
右に旋回中のP-07の機体は、砲撃の反動もあって、危険なほど右に傾いていた。
私はキューポラに頭を打ち付けないように両手でキューポラの縁にしがみついた。
砲手のディーター・クラッセン軍曹は、食いしばった歯の間から怒った犬のような呻き声を上げながら、照準器から目を離さず、砲塔と砲身を動かすハンドルからも手を離さず、脚だけで体重を支えていた。
「ヒャッホー」
と、奇声を上げたのは、機銃手のエーミール・バルチュ伍長だった。砲が左を向いているので、砲塔の後ろに設置された銃座が機体の傾きによって、手を伸ばせば届くほどに海面に近付いていたのだった。遊園地のアトラクションより、迫力がある一瞬だっただろう。
操縦手のコンラート・ベーア曹長は、逆舵を当てて体制を立て直そうとしていた。
装填手のクルト・バウムガルテン一等兵は、ラグビーボールのように左手だけで砲弾を抱えながら、右手一本で体を支えていた。腕まくりした上腕が筋肉で膨れ、顔は真っ赤になっている。
半ば宙に浮きかけていた左舷がドスンと着水すると、空に白い光が広がった。照明弾が哨戒艇から発射されたのだ。
マグネシウムが燃焼する音を響かせながら、落下傘にぶら下がった照明弾がゆらゆらと落ちてくる。
同時に、QF2ポンド砲の聞きなれた音がした。マズルフラッシュが見えた方向に、敵はとりあえず斉射してみたらしかった。
射撃後、即時移動をしていなければ、被弾していたかもしれない。百メートルという至近距離なら、初速が遅く貫通力が低いQF2ポンド砲でも、ペンギンの正面装甲以外なら撃ち抜くことが出来る。
ペンギンの基本戦術が五百メートルでの殴り合いが基準になってるのは、距離による威力の減衰を考慮してのものなのだ。
「面舵十五ポイント。敵のケツにつけ」
私の指示で、P-07は逆S字を描くように進路を変えた。
火花が散る。榴弾の着弾だ。P-08が、我々から二度、P-08から一度砲撃を受けて、応急処置に乗組員が甲板に出てきていると踏んで、鉄片をばら撒いたのだ。
おかげで、転針によってロストしかけた哨戒艇の位置が認識できた。
「弾種徹甲! 装填急げ」
ディーター・クラッセン軍曹は、あくまでも船体を叩くことにしているらしい。三度、徹甲弾を叩き込む気だ。
靄の奥。火災が起きたらしい哨戒艇の影に狙いを定める。
七十五ミリKwK L/48戦車砲が吠えた。哨戒艇は、巡洋艦クラスでないと備えていないはずの砲弾に叩かれて、混乱しているだろう。
鋼鉄をハンマーで叩いたような音が響き、徹甲弾はまた哨戒艇を貫いていた。
チカっとマズルフラッシュが瞬き、P-08もまた三度目の砲撃を行ったのが分かる。派手に火花が散る。また、榴弾だった。
装填を終えたP-07が四度目の砲撃を加える。火災によって、哨戒艇の姿が浮き上がっていたので、砲撃の名手であるクラッセン軍曹にとっては射的の的のようなものだろう。
徹甲弾は、船尾から哨戒艇に飛び込み、燃料タンクを破壊したらしい。
火災は一気に広がり、噴き出た蒸気で機関室に残っていた整備士は地獄を見ただろう。
まばゆい光がはじけて、一瞬遅れて爆発音が響く。衝撃波で、百メートル離れたペンギンも揺れた。タンクに引火したのだろう。
「撃ち方やめ。 機関停止」
私はそう命じて、双眼鏡を覗いた。崩れゆく哨戒艇の炎を背景に黒い人影が見えた。立ち尽くしているらしいその人物は、やがて吹き上がる火炎に飲み込まれて消えた。
もう一度、爆発が起きて、哨戒艇は沈み始めた。船内に残った空気が水圧で押し出されてブクブクと海面が泡立つ。
まるでそれは、哨戒艇の断末魔のようだった。
私は、気が付くと自分の手を見ていた。それは拳銃を握ることが出来る手で、殺したり、殺されたりする者の手だった。
私のSボートの乗組員を含む、四百人の死亡者のリストを思い出していた。
私は、今日、彼らの仇を討った。もっと、気分が晴れるかと思っていたが、胸に何かが詰まったような変な感覚があるばかりだ。
手を見る。その手が震えてしまうと、すべてが崩れてしまいそうで、私は思わず固く拳を握った。
皆が、私を見ている。何か言わなくては……、そう思った時には、もう言葉が口からこぼれていた。
「みな、良くやった。諸君らを誇りに思う」
離れたP-08から歓声が上がる。この寒いのに汗みずくになっている装填手のクルト・バウムガルテン一等兵が、
「なんと『ペンギン』が勝ったぜ!」
と素っ頓狂な声を上げた。
どっと笑いが起きた、砲手のディーター・クラッセン軍曹が手を伸ばし、操縦手のコンラート・ベーア曹長と握手を交わしている。
私は、笑みの形に顔を作るぐらいの事は出来たが、心から笑うことはできなかった。




