海軍旗行進曲
Uボートに次ぐ戦果をあげたSボートは、その高い機動性を武器に敵艦に肉薄し魚雷を叩き込むのが基本的な戦法だ。
速度はSボートの生命線そのものなので徹底的な軽量化が図られ、戦闘艇であるにも関わらず、その船体は木製であった。
木製であるがゆえ『磁気機雷原』を易々と突破することが出来、それもまた高い撃沈スコアを上げることが出来た要因であったと言える。
反面、防弾性能に劣るのは宿命であり、損耗率の高さはそれを物語っていた。
自らの命を的に、自分の何倍もの敵を屠るポテンシャルを持つSボートだが、我々が乗船する哨戒艇は、裸で重装甲の騎士の群れに飛び込むに等しいSボートの唯一の武器である魚雷がない。
あるのは、四十ノットという快速と、鍛え抜かれた操船技術だけ。
ならば、やることは一つ。
哀れな輸送船を逃がすために、コルベット艦に食らいつき、注意を引きつけて追跡の足を遅延させること。それも、敵の航空隊が到着する前に……だ。
速力があがる。Sボートの軽い船体は、海上を跳ね飛ぶように進んでいた。まるで、解き放たれたポニーのように。
遠くに黒煙をたなびかせる輸送船の姿が見えた。大型の商船を徴用したものらしかった。
甲板上の構造物である艦橋と煙突には砲弾で出来た穴が開いていて、荷揚げ用のクレーンは傾いて海面スレスレに倒れこんでいる。
火災も発生しているらしく、ホースを抱えた水兵が走り回っているのが見える。
全幅五メートル弱、全長二十メートル余りのちっぽけなSボートから見るとのしかかるような大きさの船だが、その命運はそのちっぽけなSボートにかかっているのだ。
傷ついた輸送船の横を通過する。
輸送船上から歓声があがった。甲板に居るのは、皆どこかに包帯を巻いている、打ちのめされた兵士たちであった。
どこからか、『海軍旗行進曲』の演奏が聞こえた。祖国を目指す病傷兵の中で楽器を使える者がいて、音楽で我々に精いっぱいの感謝の気持ちを伝えているのだろう。
「敵の航空隊到着まで十五分ってとこですかね?それまでに、海岸線まで逃げられればいいけど……」
ヤンセン少尉が、私にライフジャケットを差し出しながら言う。
「アネモネ号の砲撃を阻止できれば、なんとか行けるだろう。」
艦橋といっても、Sボートのそれは三メートル四方の狭い空間で、天井高は二メートルもない。長身のヤンセン少尉は頭がつかえそうなほどだ。
かたちばかりの防弾板が張られているのだが、私の哨戒艇より前の型では、その防弾板すらない。
この狭い空間に、私と操舵手とその助手。がさばる通信機と通信手。海図台とカーテンで仕切られただけのベッド一つ分もない私の執務室まであるのだ。
「それじゃあ、前に行ってます。幸運を」
ヤンセン少尉が艦橋を出て行く。Sボートのこの小さな集団に士官は私の他はヤンセンしかいない。小銃弾すらプスプス貫通してしまうという噂の艦橋に士官を二人とも置いておくわけにはいかない。
それで、船首の機関砲の所にある砲撃指揮所にヤンセンは移動したというわけだ。
「君にも幸運を」
商船と、あっと今にすれ違った我々は、フラワー級コルベット艦『アネモネ号』を視認した。
「暗号打電、『ワレ英国コルベット艦アネモネ号を発見セリ。コレヨリ交戦ス』だ。以降は故障したフリをしてろ」
通信士がにやりと笑って暗号化されたモールス信号を打つ間にも、アネモネ号の姿が霧雨の中から浮かび上がってきた。
ちょっとしたジョーク。なんでもないという下手くそな演技。指揮官は恐れを表に出してはいけない。例え海図台の縁をギュッと握っていないと、手が震えそうであっても。
アネモネ号の煙突から濃い黒煙が上がる。相手が高速艇とわかって、速力を上げてきたのだ。
相手はベテランの船乗りだ。フラワー級コルベット艦は、就航するとアルファベット順で花の名前が付けられる。アネモネの頭文字は『A』。つまり、初期に就航した古強者というわけだ。
だから無駄弾は撃たない。もっと引きつけてから、一斉に火門をひらくはず。
そこを逆手にとる。近づくように見せて、さっと離れる。当方に砲口が向いていれば、輸送船は撃たれない。