Schnellboot(Sボート)
通信封鎖を破ってSOSが打電されたのは、今日の様に霧雨が降る冬のある日の明け方だった。哨戒任務を終え、港に帰投する矢先の事だ。
通信は露国と泥沼の戦いを展開している北方の戦線からの引き上げ船からで、航空支援もないままネズミの様にコソコソと夜に紛れ、祖国まであと少しというところまで着た単独航行の輸送船だった。
独国軍人らしい、淡々とした口調で述べられる状況は結構絶望的で、英国のフラワー級コルベット艦に追尾されているらしい。
我が国の輸送船は、最大でも十ノットしか出ない老朽船で、しかもぎっしりと兵員が詰め込まれ過積載の状態だった。
この海域に配備されている英国のフラワー級コルベット艦といえば、アネモネ号だろう。
十七ノット程しか出ないウスノロの艦だが、排水量千トン未満の最小の軍艦とはいえ、よたよた航行する輸送船や、我々のような小型哨戒艇を撃沈する火力は持っている。
アネモネ号の備砲は、たしか『Mk.Ⅸ百二ミリ単装砲』。
艦対戦では豆鉄砲だが、輸送船や私の小型哨戒艇が相手なら十分すぎる。
「無茶だ」
そうつぶやいたのは、通信を聞きつけて狭苦しい艦橋に駆けつけた副長のヤンセン少尉だった。士官学校を卒業後にすぐこの哨戒艇に配属された若手士官だ。
私が予備役士官として海軍に招集され、任についたのは国境警備のための哨戒任務。与えられた艦艇は、通称『Sボート』と呼ばれる小型で高速の船だった。
全幅五メートル、全長二十メートル程の船で、本来は高速を生かして敵艦に接近し、どてっぱらに魚雷を打ち込む勇敢な戦闘艇だ。
私の『Sボート』はその旧式艇で、哨戒任務に魚雷は必要なかろうということで魚雷発射管が外され、その代わりに船首と船尾に『連装二十ミリFlak C/30』が据えられた、対空特化モデルだった。
つまり、対艦戦闘は想定されていない。偵察し、哨戒機に発見されたら弾をばら撒いて逃げる。
四十ノットという高速に追いつける艦艇はないので、航空機さえ振り切れば、生還できるという算段だった。
「でもなぁ、祖国の土を踏ませてやりたいよなぁ」
海図を睨みながら、私は言った。人生は選択の連続だ。そして、その選択は大概において苦い。
この近辺に味方の艦艇はいない。しかも、この極寒の海に投げ出されれば、凍死は免れまい。あんな雪ばかりの白い地獄から生還した哀れな兵士を、また凍えさせるのは忍びないところだ。
「取り舵一杯!エンジン出力全開!よたよたの婆さんを助けにいくぞ!総員戦闘配備!」
マイクに向かって、私は船内放送をする。
気心の知れた二十人の乗組員たち。大型艦と違って、その全員の名前も顔も個人情報も、互いに知れた仲間だ。
どこかで歓声があがった。ヤンセン少尉が肩をすくめるのが見えた。だが、軍帽を目深にかぶりなおすハンサムなその横顔は笑っていた。
通信封鎖が破られた今、敵の航空基地では緊急発進のサイレンが鳴っていることだろう。
射的の景品と化してしまった兵員輸送船と敵の間に割って入れるのは、私の『Sボート』のみ。
ありったけの技量と経験が必要だった。
そして、何より『運』……。