ペンギンは海へ
どこに隠れていたのか、技術士官のカール・フェルゲンハウワー中尉が、注水が完了したドッグに居た。
彼はいかにもアルブレヒト・ホフマン中佐のような士官に、悪い意味で目を付けられそうな人物なので、接触を避けるのは正しい判断だ。
「あー……どうも、どうも。今日は、『水平安定翼』とエンジンの出力テストをしてもらいます」
相変らず、前置き無しで要件を言う男だ。まぁ、技術者というのは、こういうタイプが多いものだが。
「ここから、沖合三百メートルの地点から、西に向けて全速力で走ってください。理論上は四十五ノットを叩きだせるはずですが、限界が知りたいのです」
エーリッヒ・バウマン大尉が肩をすくめながら、口をはさむ。
「おいおい、いきなり火を噴いて爆発なんてことにならんだろうね」
彼の心配ももっともなことだった。何せ、Ⅳ号戦車のエンジンを取り外して、無理やり船舶用のエンジンを載せたのだから。
「この強襲型高速砲撃艇に搭載される『ダイムラーベンツ二十気筒ディーゼルエンジンMB501』は、本来Sボート用のエンジンなんだ。二十五トンなんていう軽量の船体を動かすことは想定されていないんだよ。だから、どうなるか分からない」
正直なのはいいことだが、これから搭乗するこっちの身にもなってほしいものだ。
「……で、ペンギンのパドルがなんだって?」
我々は試作機に乗る。危険はつきものだと諦めたのか、エーリッヒ・バウマン大尉が『水平安定翼』について質問する。ペンギンの飛べない翼は「パドル」と呼ばれる。それで、兵士たちの間では、この矮小な翼がその名称で呼ばれているのだ。
「強襲型高速砲撃艇の水平安定翼は、姿勢制御の役割を担うが、やはりこれもノウハウがない。これらの改良のため、実験が必要なんだ」
ペンギンの開発者であるカール・フェルゲンハウワー中尉は、この機体を決して『ペンギン』とは呼ばない。したがって、水平安定翼も、『パドル』とは呼称しないのだった。
『ペンギン』という名称が、ほんのり馬鹿にされている名だと、気が付いているらしかった。カール・フェルゲンハウワー中尉が頑なに開発時の名称を強調するのが面白くて、兵士たちはわざと『ペンギン』呼ばわりしている側面もある。
ブリーフィングは終わった。搭乗員に招集がかかり、P-07の前に、兵士が並んでいた。
操縦手のコンラート・ベーア曹長。砲手のディーター・クラッセン軍曹。装填手のクルト・バウムガルテン一等兵。機銃手のエーミール・バルチュ伍長の四人だ。
招集から集合までが早い。この四人の誰かが先読みして、予め準備を整えていたのだ。抜け目がないのは、良い兆候だ。
「総員、搭乗」
私が命じると、四人はキビキビと動いてペンギンの内部に消える。私も、砲塔上部のハッチから内部に入った。
どうも、乗船したという感じがなく、変な気分だ。キューポラから頭を出して出港するのも違和感がある。
私は座席の脇のフックにぶら下がっているタコマイク(咽頭マイク)を装着し、左手に小範囲無線機のマイクを握る。
出力を抑え、敵の電波探索にかからないよう、通信範囲を抑えた簡易な無線機で、パートナーを組むP-08との交信に使うものだ。使用範囲は、電波状態が良い時で一キロメートル弱。
戦車兵出身の砲手と装填手は、さすがに馴染は早い。内部の構造は、殆ど戦車と変わらないのだから。
操縦手は、勝手が違うので戸惑っていることだろう。操縦席は船舶というより、戦闘機のコクピットのようだからだ。それに、操縦手用の窓が狭い。戦闘時は『視察クラッペ』という数センチの隙間から外を見るだけだ。
戦車では戦闘時以外はその視察クラッペを開けて視界を広げるが、ペンギンは固定式になっている。
正面から波を受けるので、視察クラッペを解放すると、そこから海水が流れ込んでしまうのだ。
操縦手のコンラート・ベーア曹長は、頭に叩き込んだマニュアルを反芻しているのか、ブツブツと呟いていたが、操縦桿に手を載せて、コキコキと首を鳴らしている。準備はできた様だ。
「エンジン始動」
私は軍帽を脱いで、鉄兜を被り、首に巻いたマフラーを口にまで引き上げた。
コンラート・ベーア曹長が復唱して、スロットルをひねる。ペンギン内部は騒音に包まれ、タコマイクとヘッドホン無しでは会話もままならなくなった。
「マイクをテストする。声が聞こえたら挙手せよ」
私のタコマイクの音声に、全員の手があがる。
準備は整った。いよいよペンギンは海に往く。
先に出る事を示すため、P-08のキューポラから頭を出したエーリッヒ・バウマン大尉にハンドサインを送る。
彼は、私に『幸運を』のハンドサインを送ってきた。
私は、うなづいて、『君にも』のハンドサインを送る。
「微速前進。取舵二ポイント」
ペンギンはゆっくりと動き出した。
事実上、これが進水式だ。
軍楽隊の演奏もなく、シャンパンも割られない。
だが、奇妙な陸海の混血児は、確かに海に出たのだった。




