エピローグ
私が気が付いた時、静かな夜の海にいた。
激戦だったセーヌ湾を離脱し、ひたすら北へ走っていたそうだ。
新しい本拠地であるメール・レ・バンまでの燃料はないらしい。つまり、どこかで、P-07を投棄しなければならないということだ。
その決断は私が下さなければならない。艇長としての責任だった。
「バウムガルテンはどうだ」
懸念だった事を聞く。クラッセン軍曹が首を振って、ため息をついた。
「麻酔が効いて眠ってるっす。出来るだけ、破片は取り除きましたが、医者に見せないと、失明しちまいますぜ。可哀想によ」
ぐったりと操縦席に寄りかかっているベーアに聞く。
「現在位置は?」
眠っていたかと思ったが、ベーアは目を閉じていただけで、眠ってはいないらしい。回答はすぐだった。
「メール・レ・バンの南五十キロってとこですかね。燃料は、もう殆ど無いですぜ」
弾は尽きた。
燃料もない。
翼も折れた。
もういいだろう。ペンギンも休ませてやりたい。
「最寄りの海岸に、接舷しろ」
それが私の結論だ。これからは、内陸での戦いが続く。
ペンギンの戦争は終わったのだ。
P-07から最後に飛び降りたのは、ベーア曹長だった。
起爆装置のスイッチを入れ、舵を中央に固定して、沖に向ける。
その作業をしたのだった。
別れを告げたかのように、エンジンがせき込む。
そして、ゆらゆらと、初夏の星が降る様な夜に、沖にP-07が向かってゆく。
P-07はボロボロだった。
銃弾と機関砲の傷。
砲弾の凹み。
これらは全て、我々を装甲で守ってくれた証だった。
「あばよ、相棒」
砲手のディーター・クラッセン軍曹がつぶやく。
まだ殺したり殺されたりする音が聞える。それはいつもより更に遠くに聞こえる様だった。
私は心の中で、拳銃を手放してしまったのかもしれない。
多くの者を死なせてしまった。
多くの者を殺してしまった。
今は空しさだけが、私の胸に去来していた。
ズシンという響き。
月光に煌めく波の上で、一度だけP-07が跳ねた。
そして、あっという間に沈んでゆく。
別れの余韻すらない、あっさりとした別離だった。
終わった。
その実感がある。まだ、戦争は続いているが、少なくとも私の戦争は終わった。
そんな気がする。
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ほどなくして、P部隊は解散になった。
私は負傷者として病院に収容されているうちに、軍法会議のことはうやむやになり、単なる予備役の士官に戻った。
先行して帰還したはずのP-21は、結局帰り着くことはなかったらしい。忽然と消えてしまったのだ。
バルチュ伍長は
「異世界にでも転移したんじゃないか?」
などと馬鹿な事を言っていたが、そんな馬鹿な。
機銃手を務めたエーミール・バルチュ伍長は、原隊の防空機関砲大隊に復帰し、ベルリン陥落まで銃座を守っていたそうだ。
陥落前日の爆撃の際、爆弾の直撃を受け、鉄兜以外なにも残らなかったらしい。もう、彼のおふざけを効くことが出来ないと思うと、今でも寂しい。
操縦手を務めたコンラート・ベーア曹長は、念願かなって少尉に抜擢され、小さいながらも輸送船の船長に就任した。
東部戦線からの傷病兵輸送任務につき、バレンツ海を三度往復した。
彼が本国に移送できた傷病兵は七百人にのぼる。
四度目の航海の時、敵航空機に襲撃され、救難信号を打電したのを最後に行方不明となった。
戦後、米軍の資料から撃沈が確認された。
砲手を務めたディーター・クラッセン軍曹は、陸軍に復帰した。
最期の機甲部隊である、ヨーヘン・パイパー少佐の戦闘団に抜擢され、独軍最期の反撃作戦『バルジの戦い』に参戦。
砲手として搭乗したⅣ号戦車は霧深いアルデンヌの森で撃破され、戦死したという。
失明の危険があった、気のいい装填手クルト・バウムガルテンは、眼科の専門医がいたドレスデンに移送された。
手術後、順調に視力を回復していたが、後の世で『やる必要のなかった爆撃』と言われたドレスデン大空襲で瓦礫に埋もれて死んだ。
赤ん坊も老人も若者も男も女も虫けらのように殺された戦略的に何の価値もない過剰な爆撃だった。これがなければ、彼は生きてオーロラを観に行くことが出来たかもしれないのに、その機会は永遠に失われてしまった。
P部隊の司令官を務めたアルブレヒト・ホフマン大佐は、原隊のゲシュタポに復帰した。
ユダヤ狩りでしこたま私財を稼いだらしいが、そのために戦後イスラエルが作った『ナチス狩り』という過激な私刑集団に指名手配されて、世界中を逃げ回っているらしい。
つかまったら、即銃殺らしいから必死の逃亡だろうね。
P部隊の技官。ペンギンの生みの親であるカール・フェルゲンハウワー中尉はベルリンの技術本部に復帰した。
そこは、露軍が乱入して虐殺が行われた場所なのだが、彼は最後まで施設に踏みとどまり、ペンギンに関する資料を全て燃やしてしまった。
銃弾がもったいないということで、スコップで頭をかち割られて死んだそうだが、見かけによらず度胸が据わっていたのだろう。
おかげで、P部隊はこの戦争で全く資料の無い部隊となったのだった。
ロストックの幸運亭は、海岸沿いを進出してきた米軍の連隊本部として接収された。
当時、米軍の支配地域でよくあったことなのだが、若い娘が強姦の被害にあっていた。
若く魅力的だった宿の娘テレーゼ・バルシュミーデもタチの悪い米兵に目をつけられ、拉致強姦されるところだった。
それを助けたのは、勇敢な元軍用犬のリンツだった。三本脚の老犬は、二人の米兵の喉を食い破り射殺された。
女傑、クラーラは包丁で米兵を一人殺害し、銃剣でメッタ刺しされた。
残された息子のアヒムと被害者になりかけたテレーゼは憲兵に訴えでたが、米軍のいつもの弁である、
「わが軍は、兵士諸君の『自由恋愛』に感知しない」
に遭遇し、激怒して宿に放火して逃走したらしい。これ以上、宿が米兵に汚されるのを見ていられなかったそうだ。
私は結局足が不自由なまま、諾国沿岸の哨戒艇の任務についた。
見捨てられた海域であるバレンツ海で、敵に遭遇しないまま終戦を迎え、土壇場で独軍を裏切った瑞国にわざと投降し、部下が露軍の捕虜になるのを防いだ。
私は、そこで気の抜けたような捕虜生活を送り、なんとなく刑期を終えて帰国したのだった。
米兵による『自由恋愛』を避けた、テレーゼと再会したのは、分断された西独国の首都ボンだった。
彼女は復員してきた傷病兵のケアを担当する国立機関に勤務しており、偶然そこで私と出会ったのだった。
結婚は一年後のことで、私は戦後の混乱期を船員として働き、我々夫婦は一男二女を育て上げた。
健康的だったテレーゼはガンで亡くなってしまった。
酒もタバコも止められなかった私が、生き延びている。
いまさら、変えるつもりもないのだが。
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気がつけば、私は柵を乗り越え、展示場の冷たいペンギンの装甲を撫でていた。
警備員が、遠慮がちに私に声をかけてくる。
「あの、すいません。ここは進入禁止なんです」
私は、私の孫ほどの年齢のその警備員に詫びて、再び柵の外に出た。
あの日のバレンツ海のように、霧のような雨が降っている。
戦争に意味はあったのか?
その結論はいまだに出ていない。
多分、私が死んでも結論が出ない事柄なのだろう。
だが、私の手は拳銃を手放した。
その日以来、死ぬべきだったという念慮にはとらわれていない。
英仏海峡に沈んだP-07が、私の情念も持って行ってくれたのだろう。
私は、寒くても胸を張って歩いた。
遠くに見える海は、今もしずかにけぶっていた。
(了)
これにて『ペンギンの海』終劇であります。
読んでいただいたすべての皆様に感謝を。
初めて書いた「戦記もの」ですので、アラは目立ったことかと存じますが、暖かく見守って下さり、感謝の気持ちでいっぱいなのであります。
完走二作目ということで、感無量です。
感想など頂けると、今後の糧になります。
ぜひ、お聞かせください。
多分、手厳しいご意見でも泣きません(多分)。




